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熊本地方裁判所 昭和55年(ワ)292号 判決 1987年3月30日

《目次》

当事者の表示

主文

事実

第一当事者の求める裁判

一原告ら

二被告ら

第二主張

一請求の原因

1 被害事実

(一) 被告チッソ株式会社の沿革と水俣湾及びその付近海域汚染の経緯((1)ないし(6))

(二) 水俣工場の工場廃水の汚染状況((1)ないし(4))

(三) 水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況(被告国及び同熊本県につき)

(1) 昭和二六年以前(ないし)

(2) 昭和二七年(ないし)

(3) 昭和二九年(、)

(4) 昭和三一年(ないし)

(5) 昭和三二年(ないし)

(6) 昭和三三年(ないし)

(7) 昭和三四年(ないし)

(8) 昭和三五年(、)

(9) 昭和三六年〜昭和三七年

(10) 昭和三七年〜昭和三八年(、)

(11) 昭和四一年〜昭和四四年(ないし)

(12) 昭和四六年

(13) 昭和四八年(、)

(四) 原因究明に対する被告らの妨害

(1) 原因究明に対する被告チッソの妨害

(2) 原因究明に対する被告国及び同熊本県の妨害

(五) 水俣病及び水俣病患者発生地域((1)、(2))

(六) 本件における水俣病罹患の事実

(1) 死亡患者らの相続関係

(2) 水俣病

水俣病像

① ハンター・ラッセル症候群

② 昭和四六年事務次官通知

③ 第三水俣病

④ 昭和五三年事務次官通知

⑤ 第二次訴訟判決

⑥ あるべき水俣病像

⑦ 水俣病診断における「疫学」の重要性

⑧ 慢性水俣病

⑨ 水俣病の症状(健康障害)

水俣病の診断

① 診断

② 水俣病の診断の要点

③ メチル水銀曝露事実の有無

④ まとめ

(3) 本件患者らの診断をした医師(ないし)

(4) 本件患者らの水俣病罹患の事実(ないし)〔うち〜<省略>〕

2 責任

(一) 被告チッソについて((1)、(2))

(二) 被告国及び同熊本県について

(1) 事実の認識状況

昭和二九年八月頃の段階

昭和三一年一一月頃の段階

昭和三二年九月頃の段階

昭和三四年一一月頃の段階

(2) 被告国及び同熊本県の国家賠償法上の責任

(3) 被告国及び同熊本県の作為義務の発生(存在)

行政庁の安全確保義務

行政庁の不作為の違法性

① その一 規制権限不行使が違法となる場合(裁量収縮の理論)

② その二 注意義務違反=有責

③ 規制権限の発生根拠

本件における被告国及び同熊本県の作為義務の発生(存在)

右義務発生の根拠として各種法規等

① 食品衛生法(昭和四七年六月法律第一〇八号による改正前のもの)

② 漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの)、水産資源保護法、熊本県漁業調整規則

③ 公共用水域の水質の保全に関する法律(昭和三三年法律第一八一号)及び工場排水等の規制に関する法律(昭和三三年法律第一八二号)

④ 警察法、警察官職務執行法

⑤ 行政指導

(4) 被告国及び同熊本県の具体的作為義務の違反(規制権限の不行使)

魚介類の捕獲販売等の禁止の措置をとらなかった違法

① 昭和二九年八月頃の段階

② 昭和三一年一一月頃、昭和三二年九月頃、昭和三四年一一月頃の各段階

水俣工場廃水の浄化又は排出停止の措置をとらなかった違法

① 昭和二九年八月頃の段階

② 昭和三一年一一月頃、昭和三二年九月頃の各段階

③ 昭和三四年一一月頃の段階

3 損害

(一) 被害の実態

(二) 包括請求

(三) 包括請求の内容

(四) 本件請求額

(五) 相続による承継

(六) まとめ

4 まとめ

二請求原因事実に対する認否

〔4(二)(3)④〜<省略>〕

三被告らの反論

1 水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況につき

被告国及び同熊本県の反論

(一) 昭和三一年

(二) 昭和三二年

(三) 昭和三三年

(四) 昭和三四年

(五) 昭和三五年

(六) 昭和三七年以降

(七) 水俣病の原因物質の予見可能性について

2 水俣病につき

(一) 被告チッソの反論

(二) 被告国及び同熊本県の反論

3 本件における水俣病罹患の事実につき

(一) 被告チッソの反論

(二) 被告国及び同熊本県の反論

(1) 診断書を作成した医師の専門知識、経験の有無

(2) 診断書の信頼性

(3) 供述録取書の証拠価値

4 本件患者らの水俣病罹患の事実につき

(一) 被告チッソの反論

(二) 被告国及び同熊本県の反論

5 責任につき

被告国及び同熊本県の反論

6 損害につき

(一) 被告チッソの反論

(二) 被告国及び同熊本県の反論

第三証拠<省略>

理由

第一(被害事実について)

一(被告チッソの沿革と水俣湾及びその付近海域汚染の経緯、水俣工場廃水の汚染状況、水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況、原因究明に対する被告らの妨害並びに水俣病及び水俣病患者発生地域)

1 (被告チッソの沿革と水俣湾及びその付近海域汚染の経緯、水俣工場の工場廃水の汚染状況並びに水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況)

(一) (被告チッソの沿革と水俣湾及びその付近海域汚染の経緯並びに水俣工場の工場廃水の汚染状況(被告チッソとの関係において―擬制自白))

(二) (被告チッソの沿革と水俣湾及びその付近海域汚染の経緯並びに水俣工場の工場廃水の汚染状況(被告国及び同熊本県との関係において) (1)ないし(6))

(三) (水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況について(被告国及び同熊本県との関係において))

(1) (争いのない事実)

(2) (証拠により認められる事実)

昭和二六年以前

昭和二七年

昭和二九年

昭和三一年

昭和三二年

昭和三三年

昭和三四年

昭和三五年

昭和三六年〜昭和三七年

昭和三八年

昭和四一年〜昭和四四年

昭和四六年

昭和四八年

2 (原因究明に対する被告らの妨害について)

3 水俣病及び水俣病患者発生地域について

二本件患者らの水俣病罹患の有無

1 水俣病の病像について

(一) (争いのない事実)

(二) (チッソ水俣工場排出のメチル水銀の不知火海における汚染状況)

(三) 水俣病の病像

(四) 水俣病罹患の有無の判断について

2 メチル水銀曝露の有無について

3 本件診断書の評価について

(一) 本訴における立証上の問題点と当裁判所の見解

(二) 診断書の一般的証明力について

(三) 診断書を作成した医師らについて

(1) 上妻四郎医師

(2) 平田宗男医師

(3) 原田三郎医師

(4) 佐野恒雄医師

(5) 藤野糺医師

(6) 赤木健利医師

(7) 宮本利雄医師

(8) 松尾和弘医師

(9) 樺島啓吉医師

(10) 板井八重子医師

(11) 松本脩医師

(四) 診断書における所見のとり方について

(五) 他の疾患との鑑別及び医師の専門性について

4 本件患者らの病状

(一) 原告小島サツエ(原告番号四七)

(二) 原告野崎光雄( 〃  四八)

(三) 原告亡竹部貞信( 〃  四九の一ないし七)<以下省略>

第二責任の有無について

一被告チッソにつき

二被告国及び同熊本県につき(事実の認識状況、国家賠償法上の責任、作為義務の発生(存在)、具体的作為義務の違反(規制権限の不行使)について)

(一) (事実の認識状況及び被告国及び同熊本県の国家賠償法上の責任について)

(二) 被告国及び同熊本県の作為義務の発生(存在)について

(1) (行政庁の不作為の違法性について)

(2) (本件における被告国及び同熊本県の作為義務の発生(存在)について)

(3) 規制権限の根拠規定等

食品衛生法(昭和四七年法律第一〇八号による改正前のもの)

漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの)、水産資源保護法、熊本県漁業調整規則

水質保全法及び工場排水規制法

警察法、警察官職務執行法

行政指導

(三) 被告国及び同熊本県の具体的作為義務の違反(規制権限の不行使)について

(1) 魚介類の捕獲販売等の禁止の措置をとらなかった違法

昭和三二年一一月頃

昭和三四年一一月頃

(2) 水俣工場廃水の浄化又は排出停止の措置をとらなかった違法(①②)

第三損害について

第四結論

原告

本田精一

外一一四名

右原告ら訴訟代理人弁護士

千場茂勝

外一四八名

右原告ら訴訟代理人福田政雄訴訟復代理人弁護士

鈴木俊

外一名

右原告ら訴訟代理人千場茂勝訴訟復代理人弁護士

斉藤一好

外三八名

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

被告

熊本県

右代表者知事

細川護煕

右両名指定代理人

安齋隆

外五名

被告国指定代理人

柳下正春

外一八名

被告熊本県指定代理人

魚住汎輝

外一五名

被告

チッソ株式会社

右代表者代表取締役

野木貞雄

右訴訟代理人弁護士

塚本安平

外九名

主文

一  被告らは、原告澤田友喜、同伊藤シズヲ、同伊藤フジ、同松田政行及び同橋口三郎を除くその余の原告らに対し各自別紙認容金額一覧表記載の各原告に対応する認容金額欄の各金員及び原告竹田フミエ及び同吉永文男を除き右各金員に対する昭和四九年一月一日、原告竹田フミエ及び同吉永文男につき右各金員に対する昭和五〇年一月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告澤田友喜、同伊藤シズヲ、同伊藤フジ、同松田政行及び同橋口三郎の請求及びその余の原告らのその余の請求を各棄却する。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

四  この判決は、一項につき仮に執行することができる。但し、被告らが原告澤田友喜、同伊藤シズヲ、同伊藤フジ、同松田政行及び同橋口三郎を除くその余の原告らに対し別紙認容金額一覧表記載の各原告に対応する認容金額欄の各金員の三分の一に相当する金員の担保を立てたときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一原告ら

1  被告国及び同熊本県は、各自原告松田政行、同橋口三郎、同澤田友喜、同伊藤シズヲ及び同伊藤フジに対し別紙請求金額一覧表記載の右各原告らに対応する請求金額欄の各金員及びこれに対する昭和四九年一月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、各自原告松田政行、同橋口三郎、同澤田友喜、同伊藤シズヲ及び同伊藤フジを除くその余の原告らに対し同表記載の右各原告らに対応する請求金額欄の各金員及びこれに対する昭和四九年一月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言。

二被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

3  (被告国、同熊本県)

被告国、同熊本県の敗訴の場合、担保を条件とする仮執行の免脱の宣言。

第二主張

一請求の原因

1  被害事実

(一) 被告チッソ株式会社(以下「被告チッソ」という。)の沿革と水俣湾及びその付近海域汚染の経緯

(1) 被告チッソは、明治三十九年に電力供給を目的として設立された曾木電気株式会社に始まり、明治四十年に右電力を活用するため、株式会社日本カーバイド商会が現在の水俣市に設立されてカーバイド製造を始め、明治四十一年八月に曾木電気株式会社は、日本窒素肥料株式会社と商号変更をし、株式会社日本カーバイド商会を吸収合併し、明治四二年五月、水俣に石灰窒素製造工場を建設した。大正六年九月に石灰窒素による変成硫安工場、大正一四年に合成アンモニア及び硫安工場を建設してアンモニア及び硫安製造をし、さらに、朝鮮に進出して大化学工場及び水力発電所を建設し、水俣においてもアセチレン系有機合成化学工業に進出して、昭和七年にカーバイド→アセチレン→アセトアルデヒド→醋酸即ち合成醋酸の製造に成功して工業化を進め、無水醋酸、アセトン、醋酸エチル、醋酸ビニール、醋酸繊維素、醋酸人絹、塩化ビニール等のアセチレン誘導品を次々に開発して工業化した。

(2) 第二次大戦後、日本窒素肥料株式会社は、在外資産の総てを失い、水俣工場を稼働させて再出発をし、昭和二〇年一〇月に硫安、昭和二四年にアセトアルデヒド、塩化ビニール等を生産し、政府からの設備融資額は、昭和二〇年から昭和二八年までの間に総額九億三五〇〇万円に及んだ。その間、昭和二五年一月、企業再建整備法に基づき日本窒素肥料株式会社を解散し、同会社の稼働資産の一切を承継する第二会社である新日本窒素肥料株式会社を設立し、旧会社が製造していた製品の殆ど総てを生産した。

(3) 新日本窒素肥料株式会社は、昭和二七年一〇月、塩化ビニールの可塑剤であるDOP、DOA等の原料のオクタノールをアセトアルデヒドから誘導合成することに成功し、昭和二八年から昭和三四年にかけて年々塩化ビニール、オクタノール、DOPの製造設備を増強して生産量を累増し、必然的にその中間原料であるアセトアルデヒドの需要増加となり製造整備を拡大した(別表一参照)。

(4) アセトアルデヒド生産量は、旧会社の時代には、昭和七年 二一〇トン、昭和八年 一二九七トン、昭和一四年 九〇六三トン、昭和一五年 約九一五〇トン、昭和二一年 約二二〇〇トン、新会社の新日本窒素肥料株式会社の時代に入り、昭和二九年 九〇五九トン、昭和三〇年 一万〇六三二トン、昭和三一年 一万五九一九トン、昭和三二年 一万八〇八五トン、昭和三三年 一万九四三六トンと増加し、水銀流出量も昭和二九年 五二四三kg、昭和三〇年 六三〇七kg、昭和三一年 四六七八kg、昭和三二年 六四六一kgと増加していつた(別表一参照)。そして水俣工場は、日本における有数のアセチレン有機合成化学工場となつた。なお、塩化ビニールも昭和一六年に生産を開始し、その後の生産量の推移は、別表二のとおりである。

(5) 新日本窒素肥料株式会社は、昭和三九年一〇月に資本金 七八億一三九六万八七五〇円となり、昭和四〇年一月一日、チッソ株式会社(被告)と商号変更をし現在に至つている。

(6) 被告チッソの水俣工場(以下「水俣工場」という。)の位置は別紙図面一ないし四のとおりであつて、水俣市のほぼ中央に位置し、その幹線排水溝である百間排水溝は、水俣湾の百間港へ通じており、水俣湾北側の水俣川河口付近には、カーバイド残滓沈澱用プールの八幡プール群が存在する(別紙図面五参照)。

(二) 水俣工場の工場廃水の汚染状況

(1) 水俣工場は、新旧会社時代を通じ大正七年から大正一五年までは、変性硫安残滓廃水を百間排水溝から水俣湾に排出し続けたため、水俣湾海面は黒色を帯びた状態であつた。アセチレン発生残滓廃水は、工場内の沈澱池を経て上澄液を昭和七年から昭和二一年までの百間排水溝を経て水俣湾に排出し続けたため、水俣湾は、水酸化マグネシウムの沈澱によつて白濁していた。その後は、昭和二二年から昭和三四年まで八幡プールを経て上澄液が水俣川河口へ放流された。

(2) 水俣工場のアセトアルデヒド醋酸廃水は、昭和七年から昭和三三年九月まで百間溝から水俣湾、昭和三三年九月から昭和三四年九月まで水俣川河口、昭和三四年一〇月から昭和三五年五月まで八幡プール、昭和三五年六月から昭和四一年五月まで百間溝に排出し、昭和四一年六月から昭和四三年五月まで地下タンクとアセトアルデヒド生成器との間を循環する方式を取り入れ、塩化ビニール廃水は、昭和二四年一〇月から昭和三四年九月まで百間溝、昭和三四年一〇月から昭和四一年五月までは、アセトアルデヒド醋酸廃水と同一経路、昭和四一年六月から昭和四三年二月まで百間溝に排出された。昭和二七年から昭和三四年までの排水量については、別表三、昭和三五年三月から昭和四一年五月までの廃水処理系統は、別紙図面六のとおりである。

(3) 水俣工場は、水銀を触媒として昭和七年にアセトアルデヒド、昭和一六年に塩化ビニール及び昭和一〇年頃に無水醋酸製造(但し、無水醋酸については、水銀を触媒として製造したのは昭和二五年までである。)を開始し、昭和四三年五月、カーバイドを原料とする水俣工場におけるアセトアルデヒドの製造を終えるまでに総合計二〇〇トン以上の水銀を流失した。

各年における水銀の使用状況は、別表二のとおりである。アセトアルデヒド一トンの製造には、昭和一三年 四kg、昭和二五年 一ないし二kg、昭和二九年 一kg、昭和三一年 0.6ないし1kgが消費されたものと推定されている。

(4) 水俣工場は、水銀のみならず、セレン、タリウム、マンガンを始めとする多くの重金属類を排出していた(別表四参照)。

(三) 水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況(被告国及び同熊本県につき)

(1) 昭和二六年以前

水俣工場は、明治四二年、工場完成後にカーバイド並びに昭和七年にカーバイドから水銀を触媒としてアセトアルデヒド、昭和一六年に塩化ビニール及び昭和一九年に醋酸ビニール等の製造を開始して残滓及び廃液を排出し、昭和二四年頃には水俣湾における百間港の残滓の堆積量は、著しい場所で6.5mに達し、船舶は満潮時以外に出入りが不能となつていた。

水俣工場廃水による漁業被害及び漁業補償の問題は、大正一五年、昭和一八年に起こり、昭和一九年頃からは、水俣湾に面する月浦でカキの腐死が目立ち始め、第二次大戦後次第に広範囲となつていつた。

昭和二五年頃からは、頻繁に水俣湾の鯛、太刀魚、ボラ等の魚が浮いて流れているのが見られた。

昭和二六年頃には、水俣湾の藻類の死滅が目立ち始め、水産庁漁政部漁業調整二課の調査でも、水俣湾における水俣工場廃水によるイワシ、ボラその他の魚介類の漁業被害が報告されている。

(2) 昭和二七年

昭和二七年三月二四日、被告チッソは、被告熊本県の経済部長に対し工場廃水処理状況報告書を提出し、水俣工場における製造の種類、原材料名(醋酸の項では水銀を使用していることを表示している。)、排水の性質、殊に醋酸冷却水の項にアセトアルデヒド母液の老化による一部排出及び循環ポンプの故障並びにパッキング取替えの際における硫酸及び酸化鉄の母液が流出することのある旨の報告をしている。なお、水銀塩がアセトアルデヒド製造における触媒として使用されていることは、高校の化学の教科書にも記載されていることから公知の事実である。

水俣湾では魚が斃死して浮き、貝類も腐死し、海藻も育たず、カラスが突然空中から落下し、茂道、出月等の部落の猫が次々と狂死し、月浦、湯堂、明神、梅戸等に広がつた。

被告熊本県は、水俣市漁業協同組合等の要請によつて、昭和二七年八月二七日、水産課技師 三好礼治に水俣湾の漁場汚濁に関する調査を命じた。前記のとおり、被告チッソの昭和二七年三月二四日付の報告書には、水俣工場における醋酸製造工程での水銀の使用及びアセトアルデヒド母液の流出の事実が明記されており、右母液には、硫酸、酸化鉄及び水銀が含有されていた。三好礼治の昭和二七年八月二七日付調査報告書には、工場廃水の排水溝は、百間港側にあるが、従前は、工場廃水を丸島の魚市場及び水俣市漁業協同組合のある漁港にも排出しており、漁民の要望により堰止めしているが、大雨のときには溢水して流出し、生簀の魚が斃死したこともある旨の事実、百間港側では、排出される工場廃水と水俣湾沖の恋路島付近に達する堆積した廃水中の残滓が、巾着網、ボラ囲刺網、大網、延縄等の操業を悪くさせ、水俣湾における漁獲を減少させている事実、水俣工場廃水を必要によつては分析し成分を明確にしておくことが望ましいこと、水俣工場の廃水の影響は、水俣湾に限られず、丸島漁港の南方から水俣川河口に至る海岸一帯に広がつている事実、廃水の直接被害と長年月にわたる累積被害とを考慮する必要性のあることが記載されている。

(3) 昭和二九年

昭和二八年末頃から原因不明の中枢神経系疾患の患者が水俣に発生し、昭和二九年には、約一八名に達していた(別表二五参照)。

昭和二九年六月初頃、茂道部落の猫一〇〇余匹が殆ど全滅し、水俣市衛生課にねずみ駆除の申入れがされた。

(4) 昭和三一年

水俣湾沖の恋路島のカキは全滅し、百間港入口の海面に無数の斃死した魚が漂い、海面は死魚によつて真白に見えたりした。

昭和三一年には、既に水俣市郊外で原因不明の中枢神経系疾患々者(以下「患者」という。)約五名が発生していた。

昭和三一年四月下旬、被告チッソの水俣工場付属病院に脳症状を主訴とする田中静子(当時六才)及びその妹(当時三才)並びに他三名の患者が来院して診察を受けて入院するに至り、同病院は、同年五月一日、水俣保健所にその旨の通告をした。

水俣保健所長 伊藤蓮雄は、昭和三一年五月四日付で「水俣市月浦付近に発生せる小児奇病について」と題する被告熊本県の衛生部長あての報告書を提出し、被告熊本県は、後記のとおり同年八月三日付で厚生省にその旨の報告をした。

当時の医師の記録には、某患者につき「昭和三一年四月二八日頃歩くのがふらついて不自然となり、言葉が次第に不明瞭になり、物が握れなくなつた。昭和三一年五月八日初診。失調性歩行。昭和三一年五月九日水を飲ませるとこぼすことが多くなりむせるようになる。昭和三一年五月一〇日立てなくなり、昭和三一年五月一六日なにも握れなくなる。昭和三一年五月一七日飲み込みが全く不能となり、四肢が硬直してくる。昭和三一年五月二一日、肺炎を起こし痙攣を頻発する。全身痙攣が強く変形があつて意識が消失する。昭和三一年五月二三日死亡。」とある。

昭和三一年五月二八日、水俣市医師会、水俣保健所、水俣市役所、水俣市立病院及び水俣工場付属病院の五者による水俣市奇病対策委員会が設置され、患者の措置及び原因究明に当たることとなつた。なお、昭和三二年二月一九日、水俣奇病研究委員会と改称した。

昭和三一年七月一八日、水俣市奇病対策委員会は、水俣工場付属病院に入院中の患者を日本脳炎疑似患者として水俣市伝染病隔離病舎に収容することとし、熊本大学(以下「熊大」という。)医学部に原因究明の依頼をした。

昭和三一年八月、被告熊本県の衛生部は、水俣工場廃水と魚と奇病の関係を疑い、水俣における魚介類の販路及び水俣工場の製品、原材料の調査をし、患者の続発状況(昭和三一年七月末現在の患者一八名、死者三名)及び症状の特異性に鑑み、その頃、熊大学長に原因究明の調査依頼をし、同年八月、厚生省防疫課長あてに原因不明の脳様疾患が多発している旨の電報を送り、同年九月八日、文書で右状況報告をした。

昭和三一年八月二四日、被告熊本県の依頼により熊大医学部教授らをもつて構成する水俣奇病医学研究班(以下「熊大研究班」という。班長 尾崎正道(医学部長)、勝本司馬之助(内科学教室)、長野祐憲(小児科教室)、武内忠男(病理学教室)、六反田藤吉(微生物学教室)、喜田村正次(公衆衛生学教室)、入鹿山且朗(衛生学教室))が設置され、調査研究が開始された。

昭和三一年八月二九日、水俣工場付属病院長 細川一が被告熊本県の衛生部に猫の狂死事実と患者の地域集積性の指摘をした。

喜田村教授は、昭和三一年九月から水俣で患者等を個別に調査し、患者は昭和二八年末から発生して昭和三一年に激増していること(別表五、六参照)、当時確認された患者五二名中一七名死亡(致命率 32.8%)、同一世帯内の発生率(家族集積率)は、極めて高度であり、患者発生世帯は漁業に関与している者が大部分であり、患者及び家畜は、類似の症状を呈して斃死するものが多いこと、即ち魚介類を摂取した現地の猫、豚、犬等が患者類似の症状を呈して斃死するものが多く、水俣湾内の魚介類(コノシロ、ボラ、カニ、カキ、ビナ等)を摂食している者に患者が圧倒的に多いことから、水俣湾内の魚介類がなんらかの原因で汚染されており、右魚介類を比較的長期間摂食することによつて右疾患は、発生するものと考え、汚染原因の可能性のあるものを水俣工場廃水等にあるものと考えた。右調査結果は、昭和三一年一一月三日、熊大研究班第一回報告会において、被告熊本県の係官の出席する前で報告された。入鹿山教授は、水俣工場廃水を水俣奇病の原因として水俣湾の汚染との間になんらかの関係があることを疑い、これを前提として同湾の汚染状況の調査を行い、第一の汚染因子を水俣工場廃水と考えた。当時、水俣工場廃水の排出量は、毎時三五〇〇m3に達しており、水俣湾の海水は、排出口に近い部分では明らかにその影響が見られ、港湾全体が一般的に濃厚に汚染されており、同湾の地形、潮流から汚染物質は、容易に外海に放出されて稀釈されることはなく、湾内に停滞していることを明らかにした。

熊大研究班は、第一回報告会において水俣奇病の原因として重金属による中枢神経系の中毒を疑い、人体の侵入は、主として魚介類の摂取によるものと推測し、汚染原因として水俣工場廃水を考えていることを報告した。

昭和三一年一一月、厚生省は、厚生科学研究班を設置し、水俣病の原因究明を行うこととした。

昭和三一年一一月、水俣市袋小、中学校、津奈木村赤崎小学校生徒の集団検査では、袋小学校生徒七五二名中水俣病症状のある者 一三二名(16.2%)、袋中学校生徒三一七名中右症状のある者 三九名(12.3%)であつた。

昭和三一年一二月一〇日、水俣タイムスは、水俣奇病特集を組み、患者総数は一〇〇名を超える旨の報道をした。その頃には、毎日新聞、熊本日日新聞等も関連記事を掲載して報道をしていた。

熊大医学部喜田村教授の昭和二九年から昭和三一年の患者多発地区であつた月浦、出月及び湯堂における猫の斃死数の調査結果は、別表七、自然発病猫、実験発病猫及び健康猫の体内における蓄積水銀値は、別表八のとおりである。

水俣市の調査結果では、昭和二五年から同二八年における漁獲高は、平均で一二万二四六〇貫であつたところ、昭和二九年には七万四五一六貫と平年の六一%しかとれなくなつていた(別表九、一〇参照)。昭和三二年には、さらに減少して昭和二五年から昭和二八年までの平均漁獲高の九%に落ち込んだ。昭和三三年には8.7%にまで落ちている。昭和三四年八月一五日、水俣市漁業協同組合と被告チッソが調査したときには、魚は網にかからない有様であつた。

(5) 昭和三二年

昭和三二年一月二五、二六日、厚生省、国立予防衛生研究所、国立公衆衛生院、熊大研究班、被告熊本県、水俣市、水俣工場付属病院等が東京で第一回中央合同研究会を開催し、熊大研究班、国立公衆衛生院の研究陣が、「水俣病は重金属による中毒であるとの考え方が有力であり、魚介類の摂食によつて発症することが確認されたので、水俣湾の魚介類の摂食を中止する緊急の必要性がある。」旨を強調した。

昭和三二年一月二八日、熊本日日新聞は、魚介類が危険である旨の記事を報道した。

水俣市漁業協同組合は、昭和三二年一月、被告チッソに対し汚悪水の放流中止ないし排水浄化装置の完備を強く要求し、被告国、同熊本県に対し規制権限を行使するよう強く要請した。

昭和三二年二月一四日、熊本日日新聞は、熊大、被告熊本県、水俣市、水俣市医師会等で構成する水俣奇病対策委員会の調査結果として、当時、五四名が水俣奇病に罹患し、一七名が死亡した事実及び患者が既に昭和二七年頃から発生している旨の記事を掲載して報道した。

昭和三二年三月四日、被告熊本県の水俣病対策連絡会(副知事、衛生部、民生部、土木部及び経済部の各部局で構成、以下「県水対連」という。)が水俣湾の漁獲禁止を検討し、参考として浜名湖のアサリ中毒事件に対する静岡県の対策を調査することを決定した。

昭和三二年三月八日、県水対連は静岡県に照会をし、同年四月三日、静岡県衛生部長が県水対連に対し「貝中毒事件に対する措置の概要について」と題する書面で要旨次のとおり回答した。

「貝中毒事件は、昭和一七年から発生し、同年、三三四名の中毒患者中一一四名死亡した。そこで、右患者発生七日後に現地調査をしたが原因物質は不明であつた。しかしながらアサリに起因する疾病と断定し、直ちに発生地域における貝類の採取禁止措置をした。昭和二四年、同種事件が発生したので、同県は、食品衛生法(昭和二二年公布)四条二号を適用して貝類の採取及び販売授受移動の一時禁止措置を実施した。」

昭和三二年三月六日、被告熊本県の技師 内藤大介は、百間港一帯の漁業被害の実態調査をし、海岸一帯にカキ、フジツボの脱落が見られ、明神崎内側には、海藻類の付着が殆ど見当たらず、明神崎突端から西方の七ツ瀬は、わかめの生育地であるが(七ツ瀬のわかめの年産額は、約三〇〇貫であつた。)、わかめ等の海藻類は死滅して灰泥に覆われていたこと、水俣市漁業協同組合が、水俣工場に対し工場廃水の完全浄化装置設置の申入れをし、被告国、同熊本県にも強力な勧告を実施してもらうことと、患者の救済及び、補償を被告国又は工場に要求することを当面の目標としていることを報告した。

昭和三二年三月二六日、水俣保健所長 伊藤蓮雄は、被告熊本県の衛生部長あてに「水俣奇病に関する速報について」と題する書面で、津奈木村平国部落で猫が集団狂死をしたこと、同部落地先海域の漁獲は皆無であり、天草、葦北郡、八代郡方面の漁業者に対する水俣湾内での操業を至急禁止する必要性を強調する旨の報告をした。

同所長は、昭和三二年三月二六日から水俣湾内の魚介類を猫七例に投与する実験を試み、内五例に投与開始後七日目、最も遅いもので四七日目に自然発病猫と同様症状で発病し、病理所見も一致した。右実験では投与する魚介類の種類を問わなかつた。

昭和三二年三月三〇日、厚生科学研究班は、「熊本県水俣地方に発生した奇病について」と題する書面で、中毒は、水俣湾内の魚介類の摂食によるものであつて、魚介類の汚染源は、化学物質ないし重金属であり、水俣工場の実態につき十分調査して工場廃水、廃鉱等の成分を明らかにすることにより原因を明らかにしたい旨の報告をした。

昭和三二年四月四日、被告熊本県の芦北地方事務所長は、被告熊本県の経済部長あてに「水俣市における奇病(猫)に関する調査について」と題する書面で、津奈木村について前同様の事実及び水俣市以北の海域についても危険区域となるおそれのある旨の報告をした。

参議院社会労働委員会において、昭和三二年六月二四日、厚生省公衆衛生局環境衛生部長は、水俣病は化学物質による中毒であり、水俣の魚を食することによつて発病することは確実に分かつている、発生源については、一番推定され疑わしいのが水俣工場であり、同工場の産出する物質である旨の答弁をした。

昭和三二年七月一二日、厚生科学研究班は、厚生省、熊大、被告熊本県、被告チッソを招いて水俣病研究懇談会を開催し、会議で漁獲禁止の実施の必要性のある旨の報告をした。

昭和三二年七月、熊大研究班は、右伊藤の実験を踏まえ水俣湾の魚介類を動物に投与する実験をすることによつて、水俣病は魚介類の摂食が原因であることが確認された旨、箱根で開催された日本衛生学会で発表した。

昭和三二年七月二四日、県水対連は、水俣湾浚渫工事の一時禁止及び食品衛生法による漁獲禁止の知事告示実施の方針を決定した。

昭和三二年八月一日、被告熊本県は、水俣市で水俣奇病対策懇談会を開き、水俣奇病をもたらす有毒魚種及び危険海域を討議し、告示の指定海域を明神崎、恋路島、茂道岬を結ぶ線以内の海域とする旨の具体的線引を行い、漁民は、漁獲禁止及び漁業権の買上げを要求したが、被告熊本県は後記厚生省の意向により、漁業法の適用による漁業の禁止及び漁業権の買上げを双方に否定的見解を示すに至つた。

昭和三二年八月一六日、被告熊本県は、厚生省公衆衛生局長に、水俣病にともなう行政措置について照会し、食品衛生法四条二号の適用を促したところ、同年九月一一日、厚生省公衆衛生局長は被告熊本県に対し、Ⅰ 水俣湾内特定地域の魚介類を摂食することは、原因不明の中枢神経系疾患を発生するおそれがあるので今後とも摂食しないよう指導すること、Ⅱ 水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められていないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し食品衛生法四条二号を適用することはできないものと考える旨の回答をした。

昭和三二年七月から同年秋頃、被告熊本県の水産試験場は、水俣湾の生物、水質、底質に関する調査を行い、カキの腐死が水俣湾から北部津奈木村北端に至るまでに及んでいることを明らかにした。

昭和三二年九月七日、熊大医学部は、硫酸製造用原鉱(硫化鉄)の処理状況、石灰石滓及び酸化マンガンの処理法、排水路、原鉱その他の分析値及び分析時期、製品沿革並びにその使用原料、その量及び廃棄物処理方法(昭和二〇年から歴年別)、セレン、タリウムの定量方法(昭和二四年以降歴年、疾病別)について問い合わせたが、被告チッソは誠意ある回答をしなかつた。

昭和三二年一〇月、厚生科学研究班は、第一二回日本公衆衛生学会において、水俣病は水俣湾産の魚介類を摂食することによつて起こるものであることは明らかに実証されたが、その魚介類の有毒化の原因及び本病発症の機転については今後更に研究を続行し、近い将来これを解明したい、回遊性の魚類で同湾内に短期間留まつたものでも毒性を帯びるようであるとの報告をした。

昭和三二年一一月二九日、国立公衆衛生院における厚生科学研究班主催の水俣病研究報告会で、水俣病は猫その他の動物にも自然的または実験的に発病するものであるが、その病理学的所見は、人の場合に酷似しており、魚介類の汚染物質として重金属のセレン、タリウム、マンガンが考えられる旨の報告がされた。

昭和二四年頃から昭和三二年頃までの水俣湾内における魚介類、鳥獣の異常状態は別表一一のとおりである。

(6) 昭和三三年

昭和三三年六月二四日、参議院社会労働委員会において、厚生省公衆衛生局環境衛生部長 尾村偉久は、水俣病は水俣の魚を摂取することによる化学物質のタリウム、セレニウム、マンガンのいずれか或は複合による中毒で、発生源とされるものは水俣工場において生産されており、その物質による病気であることが推定される旨の発言をした。

昭和三三年七月七日、厚生省公衆衛生局長 山口正義は、厚生科学研究班の研究成果を援用して通産省等の関係省庁等に対し、肥料工場(水俣工場)の廃棄物が港湾泥土を汚染していること及び港湾生棲魚介類ないし同回遊魚類が右の廃棄物に含有されている化学毒物と同種のものによつて有毒化し、これを多量摂食することによつて本症が発症するものであることが推定されると発表した。

昭和三三年八月二一日、被告熊本県の経済部長は、水俣市漁業協同組合長を除く八代海沿岸各漁業協同組合長あてに水俣湾及びその付近の想定危険海域(明神岬、恋路島及び茂道岬を結ぶ範囲(別紙図面七参照))での漁獲を行わないよう指導方の要請をした。

昭和三三年九月一日、水俣市漁業協同組合は、漁民大会で危険区域内の法的漁業禁止の措置を求めること等の決議をし、被告熊本県及び厚生省に陳情した。

昭和三三年九月、水俣工場が、アセトアルデヒドの製造廃水を水俣湾へ排出していた百間溝から排水路を変更して水俣川河口へ排出したことによつて、水俣病患者は、水俣川以北に続出し、患者発生地域が拡大した。

昭和三三年一〇月一六日、衆議院社会労働委員会において、厚生大臣は、水俣病の原因が水俣工場廃水の重金属によるものであると述べ、特別予算を組み早急に対策を講ずる旨の発言をした。

昭和三三年一〇月発表の被告熊本県の水産試験場の昭和三二年七月末から八月にかけての水俣湾及びその付近海域調査によれば水俣市地先漁場における生物、水質、底質等の調査では、アサリ貝は、水俣湾外丸島港外北側地点で殻長 2.0ないし3.8cmのものが一m2内に五五箇生棲しているのみであり、水俣湾の袋湾奥の地点及び明神崎の地点では、一m2内に約四五〇箇の死貝が発見され、フジツボは、水俣湾内陸寄りの一六箇所の地点で二〇ないし一〇〇%の腐死、丸島港内二地点及び港外の数地点で多数腐死していた。

昭和三三年八月から同年一二月までには、茂道、袋、丸島、梅戸の各地区に続々と水俣病患者が発生した。

(7) 昭和三四年

昭和三四年一月一六日、厚生省は、食品衛生調査会(以下「食衛調」という。)水俣食中毒特別部会を発足させた。

昭和三四年一月、葦北郡湯浦町で猫が集団発狂し、春頃から鹿児島県出水市、同県出水郡東町獅子島幣串及び熊本県天草郡御所浦等でも猫の狂死が相次いだ。

昭和三四年六月、水俣市長、水俣市議会議長等は、熊本県知事に対し新患者発生対策、漁業権の買上げ、漁業禁止区域の設定等を陳情し、政府、国会に対し漁獲禁止を含む特別立法を陳情した。

昭和三四年七月二一日、水俣工場付属病院長細川一は、水俣工場の百間溝に排出する廃水一〇c・cとアセトアルデヒド工場廃水二〇c・cを毎日基礎食にかけて猫に投与する実験を開始したところ、実験猫は、同年一〇月七日から同年一〇月二一日までに次々に痙攣発作、運動失調、後肢麻痺、流涎、視力障害等の典型的水俣病症状を発現した。

昭和三四年七月二二日、熊大研究班は、被告熊本県の担当者及び熊本県議会水俣病対策特別委員会委員らの出席する研究報告会において、水俣病は、現地の魚介類を摂食することによつて惹起される神経系疾患であり、魚介類を汚染している原因毒物は、ある種の有機水銀である旨の報告をした。

昭和三四年七月二二日、熊本県知事は、農林大臣に対し危険海域を漁業禁止区域とする等の特別立法を陳情した。

昭和三四年七月二三日、食衛調水俣食中毒特別部会員 後藤源太郎(熊大理学部教授)によつて、水俣工場から排出される水銀が原因である旨の見解が表明された。

昭和三四年八月六日、水俣市漁業協同組合、鮮魚商小売組合は、被告チッソと交渉して漁業補償一億円、海底に沈澱した汚物の完全除去及び浄化設備の設置を要求し、同月一七日、被告チッソは、水俣市漁業協同組合に対し漁業補償 一〇〇〇万円、見舞金 三〇〇万円の最終回答案を提示した。

昭和三四年九月、牛深市、八代市で猫の臓器から水銀を検出し、津奈木町で新患者の発生が確認され、芦北、湯浦漁業協同組合は、水俣工場廃水の排出禁止、海底のドベの除去及び汚染海域の調査をすべきである旨の決議をした。

昭和三四年一〇月六日、食衛調合同委員会が開催され、水俣食中毒特別部会代表が中間報告として水俣病の原因物質は有機水銀である旨の報告をした。

右中間報告において明らかにされた水俣病発症のヒト、猫の臓器の水銀値、水俣湾泥土の水銀量及び分布状況は、別表一二ないし一五のとおりである。右報告で不知火海一円の猫が水銀によつて汚染されていることが明らかになつた。

昭和三四年一〇月一四日、熊本県漁業協同組合連合会は、不知火海水質汚濁防止対策委員会を設置し、水俣工場廃水の排出停止、沈澱物の完全除去を被告チッソに要求する方針を決定し、同月一七日、被告チッソに対し浄化設備完備までの操業中止、廃棄沈澱物の完全処理及び漁民の経済補償等の要望事項を決議し、被告チッソに交渉しようとしたが、拒絶された。同月二〇日、熊本県漁業協同組合連合会長等は、厚生省に対し右決議事項が実現されるよう要望した。そこで、同月三一日、厚生省公衆衛生局長は、通産省企業局長に対し工場廃水の排水につき適切な措置を講ずるよう要請した。通産省は、同年一一月一〇日、水俣病の原因が魚介類中に含まれる有機水銀化合物によるものであるとするのは疑問であり、一概に水俣工場廃水に帰せしめることはできないとの回答をしながら、被告チッソに対しては、口頭で水俣工場廃水を水俣川河口へ流出させることを即時中止し浄化装置の設置をするように指導したところ、被告チッソは、通産省の行政指導には直ちに応じて水俣川河口への流出を中止した。

昭和三四年一〇月二二日、衆議院農林水産委員会の審議で水俣病問題が取り上げられ、早急に食品衛生法等の適用による水俣湾の魚介類採取禁止の措置等をとるよう厚生省、水産庁に対し追及したが、厚生省等の被告国側の消極的答弁に終わつた。

昭和三四年一〇月二六日、熊本県議会水俣病対策委員会において、人命尊重の立場から水俣工場の操業を病気の原因が分かるまで中止すべきであるとして熊本県知事に対しその旨の申入れをするよう要求した。熊本県知事はそれをしなかつた。

昭和三四年一一月、鹿児島県出水市米ノ津に水俣病類似患者が存在することが判明した。

昭和三四年一一月二日、水産庁長官は、経済企画庁調整局長あてに「公共用水の水質の保全に関する法律に基づく指定水域の指定に関する要望について」と題する書面を送り、水俣病が漁業者はもちろん、水俣湾沿岸住民の生活に及ぼす影響の程度は、すでに看過し難い情勢に立ち至つており、本件は水俣湾に放流される工場廃水の影響を受けたと思われる魚介類を、相当量摂取することによるものと考えられ、水俣湾水域を「公共用水域の水質の保全に関する法律」に基づく指定水域として指定し、水質基準を設定して、湾内の水質の保全を図ることが必要である旨述べた。

昭和三四年一一月四日、熊大医学部助教授 神原武(病理学)は、水俣病の原因として水俣湾に面する水俣工場から廃液として出る無機水銀が魚、貝の体内で有機水銀に変わり、これが原因である旨の報告を日本病理学会にした。

昭和三四年一一月一二日、食衛調常任委員会が開催され、水俣病は、水俣湾及びその周辺に生棲する魚介類を多量に摂取することによつて起こるある種の有機水銀化合物による主として中枢神経系統が障害される中毒性疾患であると断定し、厚生大臣に答申した。厚生大臣は、翌一三日、水俣病の原因が有機水銀であるとの見解を通産大臣等関係当局に通知し、かつ食衛調水俣食中毒特別部会の解散を命じ、同部会代表は同月二〇日、有機水銀化合物の過程の研究調査が完了していないのに解散させられるのは極めて遺憾である旨の談話を発表した。

昭和三四年当時、水俣湾内外の水銀値は、別紙図面八のとおりであり、水俣工場廃水の排出口付近で二〇一〇ppmであつた。当時の魚介類の水銀量調査では、熊大研究班の喜田村教授による別表一六のものがある。当時、不知火海が水銀によつて汚染されていたことは熊本県水産試験場の調査報告によつても明らかであつた。

水俣工場は、昭和三四年一〇月一九日、醋酸プール、同月三〇日、八幡プール浸透水逆水管設備、昭和三四年一二月二五日、廃水浄化装置サイクレーター・セディフローターを各完成したが、醋酸プール、サイクレーターのいづれも殆ど水銀除去能力はなかつた。そして、水俣工場廃水は無処理のまま不知火海へ排出された。

昭和三四年当時、水俣工場のアルデヒド母液及び精ドレンの中で数百ppmの総水銀及び有機水銀(塩化メチル水銀)を検出することができた。

昭和三四年一二月二八日、内閣は政令第三八八号「工場排水等の規制に関する法律施行令」を制定、公布したが、水銀の流出源であるアセトアルデヒド醋酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設は特定施設からはづされていた。

(8) 昭和三五年

熊大公衆衛生学教室の昭和三四年一二月から昭和三五年一月にかけての水俣病患者らの毛髪水銀量調査では、水俣地区以外の健康者が五ppm未満 一五名、五〜一〇ppm 一名に対し、水俣病患者 一〇ppm未満 四名、一〇〜五〇ppm 一一名、五〇〜一〇〇ppm 一名、一〇〇ppm以上 九名(最高七〇五ppm)であり、水俣地区の健康者でも一〇ppm未満 五名、一〇〜二〇ppm 五名、二〇〜五〇ppm 三名、一〇〇ppm以上 二名であつた(別表一七参照)。

昭和三三年から昭和三五年にかけての水俣湾及びその付近海域に棲息するイ貝(ヒバリガイモドキ)を動物に投与した実験では、一三日で発病し遅いもので八五日目に発病した(別表一八、別紙図面九)。

(9) 昭和三六年〜昭和三七年

熊本県衛生研究所が行つた昭和三五年一一月から昭和三六年三月までの不知火海住民の毛髪水銀量調査結果では、御所浦 一〇ppm未満 二五九名、一〇〜五〇ppm 七八四名、五〇〜一〇〇ppm 一二九名、一〇〇ppm以上 二四名、水俣 一〇ppm未満 三八名、一〇〜五〇ppm 一五〇名、五〇〜一〇〇ppm 四九名、一〇〇ppm以上 一二名であつた(別表一九、一九参照)。

昭和三六年一〇月から昭和三七年三月の調査結果は別表二〇のとおりである。

(10) 昭和三七年〜昭和三八年

昭和三七年八月、熊大入鹿山且朗教授は、日本衛生学会総会において、「水俣工場から排出されると考えられる有機水銀と水俣病有機化機転」と題する研究結果を報告し、昭和三八年二月、熊大研究班会議で、水俣病の原因物質と考えられる有機水銀化合物を、水俣工場で採取したスラッジから抽出した旨の報告をした。

昭和三八年一〇月五日、熊大医学部衛生学教室の調査では、水俣湾の水銀値が2.4mの海底土で七一六ppm、右海底から下 3.68mまで汚染されていた(別表二一、二二、別紙図面一〇参照)。

(11) 昭和四一年〜昭和四四年

熊大医学部入鹿山教授の昭和四三年三月から昭和四四年二月までの水俣湾及び水俣川河口(大崎)のアサリ貝中の水銀の調査によれば、水俣工場がアセトアルデヒド生産を中止した昭和四三年以降急激にアサリ貝中の水銀が減少してきたことが明らかである(別表二三参照)。

昭和四三年の入鹿山教授の調査では、水俣工場のアセトアルデヒド反応母液中に総水銀 五三六ppmが検出され、メチル水銀 一三四ppmが含まれていた(別表二四及び別紙図面一一参照)。

昭和四三年九月二六日、厚生省は、「水俣病は、水俣湾の魚介類を長期かつ多量に摂食したことによつて起こつた中毒性中枢神経疾患であり、その原因物質はメチル水銀化合物であり、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによつて生じたものと認める。」と公式見解を発表した。

昭和四四年二月三日、経済企画庁長官は、水俣水域について、指定水域 水俣大橋(左岸 熊本県水俣市八幡町三丁目三番地の二四号地先、右岸 熊本県水俣市白浜町二一番地の二五号地先)から下流の水俣川、熊本県水俣市大字月浦字前田五四番地の一から熊本県水俣市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれに流入する公共用水域、水質基準 水銀電解法か性ソーダー製造業又はアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場又は事業場から、右指定水域に排出される水の水質基準 メチル水銀含有量が検出されないこと、適用の日 昭和四四年七月一日とする指定及び設定をした。しかしながら、水俣工場はそれ以前の昭和四三年五月一八日、水銀又はその化合物の流出源であり、水俣病の発生源であるアセトアルデヒド醋酸製造設備を閉鎖し、アセトアルデヒドの製造をとりやめていた。右指定及び設定は、全国各工場のカーバイド→アセチレンから水銀を触媒とするアセトアルデヒド製造が終息した後のことであつた。被告チッソも、アセトアルデヒドをアセチレンから水銀を触媒として使用することを必要としない単価的に安価な石油から製造する方法に総て転換を終えていた。

昭和四四年三月一三日、内閣は政令第二一号「工場排水等の規制に関する法律施行令の一部を改定する政令」により、塩化ビニールモノマー洗浄施設を特定施設に加えた。

(12) 昭和四六年

水俣工場は、昭和四六年三月、水銀を触媒とする塩化ビニールの製造を中止し、やつと水銀を含む廃水の流出を停止した。

(13) 昭和四八年

昭和四八年、被告熊本県の水俣湾における調査結果では、水銀によつて高濃度に汚染されている(別紙図面一二、一三参照)。

昭和四八年、環境庁の調査結果では、底質の水銀量が0.1ppmの範囲は、不知火海の南端の黒の瀬戸から北端の三角半島付近に及び、西は御所浦、獅子島、長島に及んでおり、不知火海全域が水銀によつて汚染されていることが明らかである。

(四) 原因究明に対する被告らの妨害

(1) 原因究明に対する被告チッソの妨害

被告チッソは、熊大の原因究明を妨害し、工場における使用物質、製品、廃棄物処理方法を明らかにしなかつた。熊大医学部は、前記のとおり昭和三二年九月七日付で原因究明のために被告チッソに対し照会したが、被告チッソは事実を明らかにせず隠蔽的な悪意に満ちた犯罪的な回答をした。工場排水路は明確にせず、生産品は、水俣工場の呼称による不明な表現方法で記載し、使用原料及び触媒は全く回答せず、廃棄物処理法も把握できないいい加減な回答であつた。当時、被告チッソが右照会に対し誠意をもつて回答をしておれば、熊大医学部研究班は、水俣病の原因物質の特定に苦しむことなく早期に突きとめえたことは明らかである。熊大側は、右事情に対し不満を表明している。

次に、被告チッソは、熊本県議会からの水銀使用量及び損失量の照会に対し、アセトアルデヒド製造工程の右各量を真実の量の約半分の量をもつて報告し、無水醋酸工場の使用水銀量及び損失量について回答をしなかつた。被告チッソは、水俣工場の水銀使用量及び損失量、アセトアルデヒド製造工程における排水路等を明らかにしないでおきながら、原因究明については先入観念に把われず、あくまで科学的に又は医学者だけでなくあらゆる知識を総合することによつてのみ解明されるなどと白々しいことを云い、実際は事実の解明を妨害していた。さらに、被告チッソは、自社々員の研究によつて昭和二九年頃にはアセトアルデヒド合成の際に可溶性の有機水銀化合物が生成することを確認していた。アセトアルデヒド製造に関する最も古典的なニューランドの一九二一年の論文である「アセチレンからアセトアルデヒドへの触媒作用による変化における水銀の役割及びパラアルデヒドの製造における新しい工学的プロセス」の中で可溶性の有機水銀化合物の生成が報告されている。有機水銀化合物は一般的に有毒であり、無毒なものは非常に例外であることは公知の事実であつた。被告チッソは、昭和三四年七月、熊大の有機水銀説に対し反論書で反論しているが、当時猫実験が始まつたばかりであつたにも拘わらず、猫実験の結果によつてアセトアルデヒド製造工程の工場廃水で水俣病を発病させないことを立証したと虚言を弄し、猫実験の結果では典型的水俣病が発症したところ右投与実験の続行を禁止し、廃水の採取を認めなかつた。

(2) 原因究明に対する被告国及び同熊本県の妨害

被告らは、昭和三四年、熊大が水俣病の原因物質につき有機水銀説を打ち出し、被告チッソは排水路の変更によつて水俣病患者が新排水路の排出口付近に発生したことから、水俣工場廃水が水俣病の原因物質を含むものであることを決定的に確認せざるをえなくなつていた。加えて不知火海全域の漁民から排水の即時停止の要求を求める騒然とした雰囲気の中で被告チッソも独力で抗し切れなくなり、被告チッソが、被告国及び同熊本県並びに同業者の団体である日本化学工業協会に助けを求め、被告チッソの依頼を受けた東京工業大学教授 清浦雷作は、昭和三四年一一月一〇日、根拠のないアミン説を打ち出し、通産省の関係部局もこれを支持した。そして、日本化学工業協会専務理事 大島竹治も同様根拠のない爆薬説を打ち出して有機水銀説を否定しようとした。さらに、食衛調合同委員会が昭和三四年一〇月六日、有機水銀説を発表したところ、通産省、厚生省、被告熊本県及び水俣市は爆薬説に加担し、厚生大臣は、食衛調常任委員会の有機水銀化合物が水俣病の原因物質である旨の答申を受けるや、その後、有機水銀化合物の解明の研究をさせることなく、翌日、食衛調水俣食中毒特別部会を解散させ、原因究明を妨害した。被告国の右妨害行為は、国策としてのアセトアルデヒド製造を担うアセチレン系有機合成工業の保護育成、さらには効率の良い石油化学工業への脱皮をさせるべく、人命を軽視してまでも遮二無二被告チッソを擁護して、被告チッソのなりふり構わない利潤追求のための増産を庇護する意図によるものであつたことは明らかである。

(五) 水俣病及び水俣病患者発生地域

(1) 水俣病は、被告チッソが水俣工場において昭和七年から昭和四三年まで、第二次大戦前後の一時期を除き長期継続して人体に対し有毒である水銀化合物を触媒として大量に使用し、アセトアルデヒド、塩化ビニール及び無水醋酸を製造し、右製造工程において相当量の水銀化合物が工場廃水中に流出することを認識しながら敢えて工場廃水中に流出させ、加えてアセトアルデヒド製造工程中において生成する人体に最も有毒な物質の一つである有機水銀化合物(メチル水銀化合物)をも含む工場廃水を、十分に分析検討せず、人体を含む生体に与える危険性をなんら顧慮することなく、長期かつ大量に不知火海に排出し続け、殊に人体被害が続出し、右工場廃水が有毒物質を含み、主として中枢神経系疾患を呈する水俣病の発生源であることが科学的に高度の確かさをもつて推定されるに至つてからも、水俣工場の工場廃水の浄化ないし排出停止を緊急にするよう漁民から深刻かつ悲痛な声をもつて求められていたにも拘わらず、これらを無視して一〇数年にわたりアセトアルデヒド等の増産に次ぐ増産を進めて大量の工場廃水を殆ど無処理のまま不知火海に排出し続けた結果、不知火海(就中水俣湾及びその付近海域)の魚介類を有機水銀化合物によつて汚染させ、沿岸住民の中で右汚染魚介類を多量に経口摂取した者が発症する中毒性の主として中枢神経系疾患であり、胎児性水俣病は、母体が右汚染魚介類を経口摂取して体内に有機水銀化合物を取り込み、胎児が胎生期に胎盤を通じ右有機水銀化合物に侵かされて発症する右疾患である。

(2) 水俣病患者は、水俣湾及びその付近海域沿岸のみならず、南北約八〇Km、東西約二〇Kmの不知火海一円に及び、その発生は、昭和一六年からであり、行政庁において認定された水俣病患者は、昭和六一年八月三一日現在、被告熊本県 一七二二名、鹿児島県 四二二名である(別表二五、二六、別紙図面一四参照)。なお、不知火海の魚類の水銀値の調査結果は、別表二七のとおりであり、厚生省の水銀における安全性の暫定基準値である総水銀 0.4ppm、メチル水銀 0.3ppmとの対比からも濃厚な汚染状態が続いていることが明らかである。

(六) 本件における水俣病罹患の事実

(1) 死亡患者らの相続関係

相続関係一覧表記載1ないし10の死亡患者並びに原告らのうち同表記載1、3ないし10の死亡患者の相続人及び同表記載2の死亡患者の相続人中の原告福田アサエを除くその余の原告ら(以下死亡患者及び水俣病罹患の原告らを「本件患者ら」という。)は、以下のとおりいずれも不知火海沿岸の水俣病患者発生地域に居住し、メチル水銀によつて汚染された不知火海産の魚介類を継続して経口摂取した結果メチル水銀中毒症即ち水俣病に罹患し、同表記載2の死亡患者である福田いつ子を胎児性水俣病に罹患せしめ、死亡患者につき同表記載の各相続人が相続により死亡患者の一切の権利義務を承継した。

(2) 水俣病

水俣病像

① ハンター・ラッセル症候群

一九四〇年、ハンター・ラッセルがイギリスのメチル水銀化合物を製造する工場および付属研究室の労働者らの中毒例を報告し、その臨床症状に共通にみられた四肢の知覚障害、構音障害、運動失調、難聴、求心性視野狭窄をハンター・ラッセル症候群と称する。急性劇症型の水俣病患者の典型例の症状は、ハンター・ラッセル症候群と一致し、病理像も酷似していた。このためハンター・ラッセル症候群は水俣病の原因究明に大きな役割をはたしたが、逆に水俣病はハンター・ラッセル症候群そのものであるように受けとられてきた。疾病の原因を究明する過程で診断の条件をきびしくするのはむしろ当然であるが、一旦原因が判明した段階では、逆にその原因からどのような結果が招来されるのかを総て究明し、水俣病の症候の全貌を把握しなければならない。ところが被告らが原因究明を妨害したため、メチル水銀説にたつ者が原因究明より一歩進んだメチル水銀中毒の病像の全部の把握までには至つていない。しかしながら、原因究明段階での厳しい診断基準は、原因究明とともにその役割を終え、その後は、逆に、原因からもたらされる結果の総体としての疾病の全貌をとらえた新しい病像が作られなければならない。水俣病の場合、メチル水銀に汚染された住民の健康被害調査を綿密に行ない、メチル水銀汚染被害の実態をあきらかにし、新しい病像を構築していくべきであつて、ハンター・ラッセル症候群に束縛されてはならない。しかも、ハンターらの例は、工場等の限定された場所でメチル水銀を取り扱つているうちに吸引ないし経皮的に摂取した労働者の直接中毒である。これに対し水俣病は、広範な地域の環境汚染の結果、食物連鎖を通じておこつたメチル水銀中毒であり、被害は胎児から老人まで広範に及んでおり、ハンターらの例とは比較にならないほど個体のもつ条件による差は大きい。従つて、水俣病の病像は、ハンター・ラッセル症候群を中心とした狭い病像ではとても把握できないのである。

② 昭和四六年事務次官通知

昭和四五年、熊本県から認定を棄却された患者が行政不服審査法にもとづき環境庁長官に対し、審査請求を行つた。同長官は昭和四六年八月七日前記棄却処分取消しの裁決をし、同日環境庁事務次官は、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)」と題する通知(いわゆる四六年事務次官通知)を発した。右通知の「水俣病の認定の要件」の内容は次のとおりである。

「① 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経疾患であつて、次のような症状を呈するものであること。

イ 後天性水俣病

四肢末端、口周囲のしびれ感にはじまり、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などをきたすこと。また、精神障害、振戦、痙攣、その他の不随意運動、筋強直などをきたす例もあること。

主要症状は求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む。)、難聴、知覚障害であること。

ロ 胎児性または先天性水俣病

(略)

② 上記①の症状のうちのいずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まないが、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であつても、これを水俣病の範囲に含むものであること。

なお、この場合において「影響」とは、当該症状の発現または経過に、経口摂取した有機水銀が原因の全部または一部として関与していることをいうものであること。

③ ②に関し、認定申請人の示す現在の臨床症状、既往症、その者の生活史および家族における同種疾患の有無等から判断して、当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定しえない場合においては、法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものであること。

④ 法第三条の規定に基づく認定に係る処分に関し、都道府県知事等は、関係公害被害者認定審査会の意見において、認定申請人の当該申請に係る水俣病が、当該指定地域に係る水質汚濁の影響によるものであると認められている場合はもちろん、認定申請人の現在に至るまでの生活史、その他当該疾病についての疫学的資料から判断して当該地域に係る水質汚濁の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、その者の水俣病は、当該影響によるものであると認め、すみやかに認定を行なうこと。」(「法」とは、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法である。)

③ 第三水俣病

昭和四六年六月、熊本大学の「一〇年後の水俣病研究班」(いわゆる第二次研究班)が発足し、大規模な疫学調査、検診、臨床的精査を行なつた。調査対象地区は、水銀汚染地区として水俣、比較的汚染の少ない地区として対岸の天草郡御所浦町、殆ど汚染のない地区(対照地区)として有明海に面した天草郡有明町が、それぞれ選ばれ、昭和四七年三月、第一年度の報告が、昭和四八年五月、第二年度の報告がそれぞれ熊本県にされた。右調査により潜在患者が多数発見され、慢性水俣病の存在があきらかとなつた。この第二次研究班の調査で問題となつたのは、汚染されていないはずの地区として調査した有明町も水銀に汚染されており、水俣病と区別できない患者が八名見出されたことである。いわゆる第三水俣病である。かつて水俣病でメチル水銀説に対する反論の一つとして、全国に同様の工場が多数あるのにどうして水俣だけに水俣病が発生したかというのがあつた。今や新潟に次いで、全国各地で水銀汚染の可能性のあることが指摘されたのである。昭和四八年五月、新聞に「有明海に第三水俣病」として報道され、大問題となつた。結局環境庁の最終結論では「現時点では水俣病と診断できる患者なし」として否定されたが、有明海沿岸に、チッソとは別の工場による水銀汚染があり、すくなくとも水俣病と類似した患者が存在したことは事実である。

④ 昭和五三年事務次官通知

昭和五二年七月一日、環境庁企画調整局環境保健部長は「後天性水俣病の判断条件について」と題する通知(いわゆる五二年判断条件)を発した。

右判断条件は、水俣病が感覚障害、運動失調等の症候を呈するとしたうえで、右症候は、「それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であることを判断するに当つては、高度の学識と豊富な経験に基づき、総合的に検討する必要がある」とし、有機水銀の曝露歴を有し、次の「症候の組合せのあるものについては、通常、その者の症候は、水俣病の範囲に含めて考えられる」としている。その症候の組合せとは次のとおりである。

ア 感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること。

イ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。

ウ 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症候が認められること。

エ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症候の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であること。

さらに、「認定申請者の症候が他疾患の症候でもあり、また、水俣病にみられる症候の組合せとも一致する場合は、個々の事情について曝露状況などを慎重に検討のうえ判断すべきである」とした。昭和五三年七月三日、環境事務次官は、「水俣病の認定に係る業務の促進について(通知)」と題する通知(いわゆる新事務次官通知)を発した。右通知は、「申請者が水俣病にかかつているかどうかの検討の対象とすべき全症候について、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合には、その者の症状が水俣病の範囲に含まれる」とし、後天性水俣病の判断については、前記五二年判断条件にのつとり検討、判断すべきものとした。右判断条件、新次官通知が昭和四六年事務次官通知を変更したことは明らかである。第一に昭和四六年事務次官通知では、知覚障害等の症状のいずれかの症状があればよいとしていたものを、複数の症状の組合せを要求し、第二に有機水銀の影響を否定し得ない場合も水俣病の範囲に含むとしていたのを、「個々の事情について曝露状況などを慎重に検討のうえ判断すべきもの」と後退し、さらに「蓋然性が高い」ことを要求し、第三に四六年事務次官通知が指摘した疫学的資料を軽視し、「高度の学識と豊富な経験」にもとづく「医学的」な判断を強調した。

⑤ 第二次訴訟判決

第一次訴訟の判決言渡し直前の昭和四八年一月、熊本県、鹿児島県の未認定(棄却)患者、未申請患者(申請前死亡)が、チッソを被告として、熊本地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起していた。昭和五四年三月二八日、行政認定を受けて和解をした者を除き原告ら一四名に判決が言い渡され、未申請患者一名は水俣病と判断され、その他の患者一三名中一一名も水俣病と判断された。水俣病ではないとして棄却された右原告らのうち殆どの者について、その処分(棄却)が誤つていたとされたのである。しかも、右患者らは、五二年判断条件、次いで五三年事務次官通知がなされる以前の四六年事務次官通知にもとづき審査され、棄却処分を受けていた患者らである。認定審査会の認定が、如何に厳しく、認定すべき者に対しても認定を拒否してきたかを物語つているものといわざるをえない。しかも第二次訴訟で救済されなかつた原告坂本武喜は、控訴審係属中の昭和五八年二月六日死亡し、病理解剖を受けたところ、水俣病と診断され、認定を受けたのである。

右経過は、「死んで解剖されなければ認定されない」といわれる認定状況を象徴的に示している。

⑥ あるべき水俣病像

前記のとおりハンター・ラッセルの論文が水俣病の原因究明過程において大きな手がかりを与えたことは事実である。即ち水俣病公式発見後の急性劇症型の患者の主要症状である視野狭窄、運動失調等の小脳障害はメチル水銀中毒症状として常に引用されるハンター・ラッセル症候群の主徴候と一致する。しかしながら、水俣病は、チッソ水俣工場の廃水に含まれるメチル水銀による前例のない巨大な環境汚染によつてもたらされたものであり、かつ食物連鎖を通じて発生し、その対象者が胎児から老人まで、またすでに病気を持つている人まで含まれる点で前例のないものである。従つて、水俣病と異なる発生機序をもつ職業性のメチル水銀中毒例たるハンター・ラッセル症候群をもつて、水俣病像を固定化することは誤りである。

Ⅰ メチル水銀による高度の汚染を長期間にわたつて受けた者はなんらかの健康障害を受けていることのほうが当然であり、メチル水銀により汚染された魚介類を一〇年、二〇年或は三〇年以上にわたつて多食しながら何らの健康障害も来さない人間が不知火海一円の汚染地区に多数存在するというが如きことは到底考えられない。汚染地区住民の健康障害は多様、複雑であつて、典型例から非典型例に至るピラミッド型をなす(別紙図面一五参照)。これは中毒による研究例から得られた原則とも一致する。汚染地区住民の有意差のある健康障害を幅広く系統的に明らかにする調査、研究が水俣病像を明らかにし、患者を救済する上で決定的に重要である。即ちハンター・ラッセルらが職業性のメチル水銀中毒を明らかにするために労働者の健康障害を忠実に拾い上げた作業と同等の作業が水俣病像を解明する上でもなされなくてはならない。正に汚染地区住民の有意差のある健康障害が明らかにされることによつて、水俣病は、ハンター・ラッセル症候群に限定されるものではなく多様かつ複雑な症状を持つたメチル水銀中毒症であることが明らかになり、水俣病像は、新たに確立、発展していくものである。過去の学説にこだわつて水俣病像を狭く固定的にとらえるのは、非科学的であるばかりでなく、患者救済に背を向け人命を軽視した全く誤つた態度であるといわざるをえない。

Ⅱ 水俣病は、メチル水銀が脳・神経のみならず各臓器、血管、リンパ腺等々全身に入りこんでこれを侵害するもので全身病として把握すべきものであり、症状も自覚症状も全身にわたる多様性を持つものである。因みに、慢性期に入つたハンター・ラッセルの症例で持続性の高血圧および動脈硬化症のあることが報告されているが、これは水俣病像を解明する上で重要な示唆を与えるものである。

⑦ 水俣病診断における「疫学」の重要性

Ⅰ メチル水銀汚染の調査

水俣病はメチル水銀中毒であるから、その診断にあたつて、発症した時点での健康障害と毛髪水銀値を診察・検査すればメチル水銀による汚染は容易に証明されるはずである。しかしながら、現在問題になつている水俣病認定申請を求めている患者は発症後長期間経過した者がほとんどであり、毛髪水銀量が発病後時日が経過するに従つて低下することはよく知られた事実である。従つて、発症後長期間経過した患者の毛髪水銀量だけを検査してみてもメチル水銀による中毒であることを証明するのは困難である。被告国及び同熊本県はこれまで汚染地域の全住民の毛髪水銀量は勿論のこと魚介類の水銀値の追跡調査も行わず、住民の健康障害についても追跡調査を行つていない。現在の時点では、個々の原告のメチル水銀濃厚汚染の事実については、居住地、職業、食生活、家族らの汚染の事実、環境の異変等を総合考察して判断する以外に方法がない。

Ⅱ 本件患者らのメチル水銀濃厚汚染の事実

イ 居住地(居住歴)

居住地については、海岸からの距離、状況、交通の便、畑地などの農業の条件、その集落の主たる職業及び生活からしてそこに居住している住民の汚染魚を摂食する可能性が問題となる。特に、昭和二〇年代から同四〇年代の居住歴は汚染の決め手になる重要事項である。本件患者らの昭和三〇年代までの住居は、御所浦町嵐口 二一名、出水市米ノ津(名護を含む) 六名、同市桂島 一名、水俣市茂道 七名、同市袋 四名、同市百間町 一名、津奈木町岩城大泊 九名、同町赤崎 二名、芦北町女島 三名、同町計石 四名、同町花岡 一名、田浦町大字田浦町 五名、同町小田浦 三名、八代市二見 三名等となつており、不知火海に広く及んでいる。天草郡御所浦町嵐口地区は、水俣から直線距離で約十キロメートルの不知火海に浮かぶ御所浦島の北側にある地区で戸数四〇六戸、人口約一五〇〇名で陸地は狭く、ミカン以外の農産物は殆どない。大部分の住民が直接、間接に漁業に関係している。一部、舟大工や運搬船船員などがいるが、食生活は同一である。この地区でも、昭和三四年頃より猫が狂死し、豚、鶏など家畜が狂死したことが報告されている。

鹿児島県出水市米ノ津、名護地区は、出水市の海岸地区で主に漁業であるが、農業も盛んな土地である。この地区の住民は、漁師から容易に魚を手に入れることができ、網子として季節によつて漁業に参加した者も多い。この地区の猫、豚、犬、鶏などの狂死が相次ぎ、急性劇症患者・胎児性患者が最初に発生している。水俣市茂道は、水俣病多発地区である。漁業と半農半漁が主であり、専業漁業でなくとも網子として、あるいは楽しみとして大部分は舟をもち、自らも釣りや夜ぶりをしている。この地区では、猫は全滅し、犬、豚、鶏、いたち、水鳥、烏なども水俣病となり、急性劇症や胎児性水俣病も多発している。袋は、農業が主なる地区である。しかし、海から一〜二キロメートルの距離にあるので農業の合間に主婦たちはカキうちや貝とりに、男たちはつりや夜ぶりに出かけたし、魚介類は主として茂道地区から流入していた。津奈木町の大泊、泊、赤崎は不知火海に面したリアス式海岸の海辺近くで、主に漁業を中心とした地区である。土地が狭く、農業は密柑以外では成立し難く、昭和三〇年から四〇年までは、魚介類が主食であつた。農業、舟大工、その他労務や林業などもあるが、時には網子として働き、家族や親戚に漁業者が必ずいて、そこからわけてもらつたり、近所からわけてもらつて魚介類を多食している。芦北町女島、計石も大泊、泊の北への延長線上の海岸にあつて、疫学条件は、ほとんど同一と考えていい。とくに、この地区は、漁業者が大部分を占めており、急性劇症患者が昭和三四年に発病しており、認定患者の数も多い。田浦町大字田浦町、小田浦ともに国道三号線沿いにあり、海岸から五〇〇メートルから一キロメートル以内の地区である。ここも漁業が中心で、田浦港の水揚げ高は不知火海で、一、二を争い、八代、熊本、人吉の大消費地に近いことから鮮魚商が盛んであつた。もちろん、労働者や非漁家もいるが、海岸に近いことから、自らもつりに行つたり、貝類をとつたり(ここの海岸は貝が多い)、漁師仲間からわけてもらつたりしていた。八代市二見地区も田浦の海岸続きで、南は患者の多発地区である井牟田地区に隣接している。しかも、田浦、井牟田、二見の漁師たちは、魚の豊富な水俣湾に獲りに行つていた事実があり、多くの患者が発生している。

ロ 食生活

居住地で述べたような状況であるので、漁家、非漁家を問わず同じように魚介類を多食している。桂島の漁師の調査では、男性一日に一九〇〜八四二g、女性で一日九一〜四〇三g、平均一日333.6gと報告されており、他の調査では、男性で一日、三九六プラスマイナス118.1g、女性で一日164.3プラスマイナス97.4g、子供で一日221.4プラスマイナス106.5gと報告されている。日本人の平均一日魚介類最大摂取量が、108.9gとされていることからみて、この地区の住民が、いかに多量の魚介類を摂取しているか明らかである。津奈木町の赤崎、福浦、平国地区を津奈木町の住民は、「赤崎、平国、ちん米くわん、じゆうじゆうからいも、イワシのしや」と言つて、米は食べずに、サツマイモとイワシばかり食べていると差別・侮辱した呼びかたをしていた。

ハ 職業

漁師がロのように魚介類を多食したことは、当然であつたが、この地区に住む非漁業者もほぼ同じように魚介類を多食した。網元の下で網子は、一年のうち最低六カ月位働く。しかし、それ以外も何等かの形で一年中魚介類を手に入れていた。イリコ製造従事者、鮮魚商も魚介類を多食していた。舟大工、しんきゆう師、僧侶などもよく魚介類をもらつて多食していた。海に近いために、サラリーマンや日雇いであつても自ら貝採りに行つたり、夜ぶりに(鉾突き)に行つている。また、知人、親戚に漁師が多い。こういつたことからも、職業による魚の摂取量の差は少ない。水俣病の発生時期には、農家といつても、多くは漁業と関係をもち、貧しさもあつて副食を得る為に、カキ、貝、タコとりに行き、あるいは舟をもち一本づり、夜ぶり漁をしていた者が多く、魚に比べて汚染のひどい(約一〇倍)貝類を食べる量は、農民も漁民も大差はなかつた。

ニ 家族歴

家族および同居人の水俣病罹患の有無は、診断について極めて重要な意味をもつ。即ち、水俣病が汚染された魚介類を摂食することによつて罹患する病気である以上、同じものを食べたという事実は重要である。一般に家族歴については、血縁関係のみを調査するが、環境汚染による場合は、同居者、あるいは同じ網子、網元関係についても調査する必要があつた。もちろん、認定患者がいれば汚染の重要な証拠であるが、認定患者だけが患者ではなく、他に家族等に発症している症状とか、昭和二五年以後の死亡者の症状等も重要であり、昭和三〇年代の流・死産もまた水俣病との関係において重要である。

ホ 自然環境の異変

不知火海沿岸の多くの住民は、貝の斃死、猫の狂死、魚の浮上などの異変を目撃しており、本件患者らも同様である。猫の狂死は、もつとも多くかつ人目を引いたもので患者の増加に伴つて増加し、かつ患者の発病に先行していた。これらの狂死した猫は、飼主から餌として汚染された魚介類を与えられたり、道路わき等に干してあつた汚染魚を盗み食いしていたこともよく知られており、干魚のほとんどは回遊魚のカタクチイワシであつた。

昭和三二年頃、茂道、湯堂などでは、猫は一か月で発症し、実験によれば、一日体重一キログラム当りメチル水銀一ミリグラムを必要とする計算となる。さらに、昭和三〇年代には多くの家畜、鶏、豚、犬などが、特徴的な症状で狂死している。この年代の家畜の死もまた、汚染の証明になる。なお、魚が浮きあがる場合には、一〇ppm以上の水銀が含まれていたものと推定されている。

ヘ 毛髪水銀値

昭和三五年に熊本県衛生研究所、鹿児島県衛生試験場では、住民の一部について毛髪水銀を測定している。それによると本件患者らの居住地の住民の一部の毛髪水銀値は明らかになつている。そうすると、本件患者らにも当時、ほぼ同様の汚染の背景があつたことを裏づけている。

ト 臍帯水銀値

保存臍帯中のメチル水銀は、当時の汚染状況を知るに重要な手がかりとなる。それは臍帯の本人の汚染の証明だけでなく、母体である母親の、ひいては同一家族の証明にもなることも明らかである。

チ 地域ぐるみの患者の発生

環境汚染による中毒であるから、同一生活圏、同一生活様式の場合、家族内発病だけにこだわることはなく、一つの地区は、同じ釜のめしを食つた仲間であつて、同一疫学条件と考えられる。そして、認定患者だけが水俣病ではなく、御所浦町、八代市二見、田浦町、芦北町計石などのように社会的条件によつて申請がおくれたという地域の事情も考えなくてはならない。認定患者が多数いることは、その地区の汚染の確かな証明になる。

先ず、御所浦地区は昭和四七年から同四八年にかけて熊大第二次研究班が住民検診を行なつており、その結果、8.6%を水俣病と診断した。藤野糺らは昭和五二年八月から同五三年二月、さらに一部については昭和五五年六月に右地区の住民三〇四名を診察した結果二一二名、(69.7%)の住民を水俣病と診断している。昭和五九年四月六日現在の右地区の認定患者は嵐口および外平で二九名(御所浦全体で四五名)であるのは、同地区住民の認定申請が最近になつてなされたためである。出水市米ノ津、名護では認定患者は既に一一五名に達しているが、右藤野らの調査によると昭和四九年一二月から同五〇年二月実施の検診では、総受診者数三一九名のうち、水俣病の症状が一つでもあるもの二五六名(80.0%)、知覚障害二〇七名(64.8%)、視野狭窄一六三名(51.0%)、運動失調一〇〇名(31.3%)、構音障害六五名(20.3%)となつている。水俣市茂道は一九九名、袋は四九名がすでに認定されている濃厚汚染地区である。津奈木町大泊は、認定患者三四名、赤崎は七三名と濃厚汚染地区である。右藤野らが昭和四六年から検診してきた住民一五一名の神経所見では、感覚障害一三八名(92.0%)、四肢末梢性感覚障害一一八名(78.7%)、難聴七六名(51.0%)、失調七四名(50.3%)、構音障害四九名(32.9%)、振戦四七名(31.1%)が認められている。実に一五一名の内一二六名(83.4%)を水俣病と診断し、八名(5.3%)をその疑いと診断している。芦北町計石では二一名、女島では九五名の認定患者を出し、ここも同様の地域ぐるみの汚染を示している。また、昭和四八年二、三月、右藤野らが実施した女島のうちの、大の浦、京泊、牛の水の調査では、全世帯、一六歳以上一二二名の人口のうち八七名が受診、このうち八二名が水俣病、五名を水俣病の疑いと診断した。なお、昭和五二年九月現在でも、熊本県は、これら受診者のうち五八名を水俣病と認定し、未受診の三五名のうち一名をすでに認定しており、右一二二名に対する水俣病認定率は、48.4%である。田浦町大字田浦町はすでに認定患者は五二名、小田浦は申請がおくれたこともあつて認定患者は四名であるが、右藤野らの昭和四八年七月七日から一一日実施の検診では、総受診者一七七名のうち、知覚障害一〇二名(57.6%)、運動失調八八名(49.7%)、構音障害六四名(36.2%)、視野狭窄九五名(53.7%)、難聴一〇〇名(56.9%)であり、一〇六名(59.9%)について水俣病またはその疑いと診断した。

⑧ 慢性水俣病

慢性水俣病は、発症からハンター・ラッセル症候群が揃う急速な急性・亜急性・水俣病と異なり、症状の進行が遅く数年から一〇数年かかつて症状がゆるやかに進行する。慢性水俣病は、病状の進行段階に色々差があり、その症状も非常に多彩である。しかもその底辺には不全型や軽症例がある。従つて、慢性水俣病を診断するに際しては、患者達が汚染地域に長期間居住し、濃厚汚染を受けている事実を重視しなければならない。なお、白川健一は仮に汚染が完全にある時期で停止されたとしても、臨床症状はその後も進行し、症状が悪化する場合を遅発性水俣病として報告している。藤野糺らは、被告チッソによる水銀のたれ流しが終わつた時、低濃度でも長期にわたつて残留しているメチル水銀を摂取することにより発症する可能性のあることを報告している。慢性水俣病の特徴は、発症が極めて緩慢であつて、発症経過年数が数年から一〇数年に及び、急性、亜急性水俣病に比して症状が遙かに多彩であり、かつばらつきがあることである。急性・亜急性水俣病では、知覚障害、失調、視野狭窄、聴力障害及び構音障害なる一連の症状があつて、知覚障害が強ければ失調も強い、視野狭窄が強ければ聴力障害も強いというように症状間に並行関係があるが、慢性水俣病では、各症状間の強弱にばらつきがある。なお、急性・亜急性の患者でも発症後二〇数年経過したものには、知覚障害がほとんど目立たなくなり、失調だけが残存したり、逆に失調が消えて視野狭窄が残存したりするように年月の経過によつて各症状にばらつきがでる。しかしながら、慢性水俣病では特にこのばらつきが目立つている。武内忠男は患者の老齢化によつて症状が顕在化する加令遅発性水俣病の存在をも指摘している。

一般に慢性水俣病は、失調や構音障害が著明でない。主要症状が多彩なために一見他の疾患のようにみえるため、知覚検査や視野検査を怠つたり疫学的条件を無視したりすると他の疾患と誤診される。これらの患者は、昭和四五年頃までは長期間他の疾患として放置されてきた。武内忠男らは、これらの患者を「マスクされた水俣病」あるいは「特殊型水俣病」と呼んでいた。疫学を調査し、詳細に臨床検査を行えば、ハンター・ラツセル症候群が全部確認される慢性水俣病もあり、これらは、従来経過があまりに緩慢だつたために他の病名がつけられていた。次に、四肢末梢性の知覚障害、口周囲の知覚障害、嗅覚・味覚などの障害を主徴としたものも多数存在する。これらの多くは神経痛、背椎変形症などと誤つて診断、治療されてきている。しかし、これらの例の場合には、詳細な検査を行なえば軽度の視野狭窄、聴力障害、軽い平衡機能障害などが証明されることがある。右のような例は、胎児性水俣病の母親や急性水俣病患者の家族の中に多数みられる。その他、筋萎縮や錐体路症状が目立つために他の症状が目立たず剖検によつて確認されることもある。卒中と診断された例の中にも慢性水俣病がある。これらの半身症状があるために脳血管障害と診断されたが、視野狭窄や健側に末梢性知覚障害や共同運動障害が証明されることがある。場合によつては知能障害や運動障害が高度なために剖検によつて確定される例もある。精神病とされた例や、パーキンソン氏病とされ、あるいは脊髄腫瘍と診断された例もある。これらは、いずれも末梢性知覚障害、小脳症状、聴力障害、求心性視野狭窄などの症状が同程度に同時期にあらわれていなければ水俣病と診断しない急性・亜急性水俣病を基準にした誤つた診断である。以上のように、慢性水俣病の症状は、多種多彩であり、その底辺は極めて広く、これらの不全型や軽症例も多数存在する。これらのことを重視せず固定的に診断がなされてきたことから多くの誤診断が生じたのである。水俣病は、環境汚染を受けた住民の健康障害の総てである。

⑨ 水俣病の症状(健康障害)

従来水俣病は神経疾患として理解されてきた。しかし、水俣病は神経・精神症状に限定されるものではなく、自覚症状、日常生活の支障および神経系以外の障害等をも含めて考えられなければならない。水俣病は、全身性疾患として理解されるべきである。

Ⅰ 自覚症状

汚染地区の住民の自覚症状は次のとおりである。

イ 物忘れ、計算しにくい、考えるのが難しい 一〇〇%

ロ 体がだるい、疲れ易い 98.2%

ハ 手足に力が入りにくい、力が弱くなつた 89.1%

ニ 頭痛、頭重 85.5%

ホ しびれが出たことがある

83.6%

ヘ 手を強くにぎつたり、ながく持つとしびれが出る 81.8%

ト 根気がない、仕事が長続きしない

81.8%

その他極めて多くの自覚症状がある。

通常、これらの症状は、不定愁訴と呼ばれ、個々についていえばあらゆる疾病のときにみられ、決して水俣病に特有のものではない。しかし、汚染された住民の中にみられる出現頻度は、著しく高く、そのパターンに特徴があるので、これらの自覚症状は当然メチル水銀によるものである。住民におけるこれらの自覚症状の出現頻度が高いこと、および一定のパターンをもつことは、すでに水俣地区における一斉検診及び桂島における一斉検診で証明されている。なお、自覚症状には客観性がないとの意見があるが、たとえば、しびれる・痛いという患者を裸にしてみれば灸のあとがあつたりしており、自覚症状を確かめることは困難でなく、以下に述べる日常生活の支障によつても裏づけられる。即ち、

イ 日常生活の支障

汚染地区には、日常生活に支障のある住民が多く居住しており、メチル水銀の影響を裏づけている。日常生活は自覚症状によつて支障をきたしており、その日常生活の支障の背景には、メチル水銀による神経障害が存在している。つまり、自覚症状、日常生活の支障、および神経症状は一連のものである。たとえば、留守番ができない。外の話は聞こえるが電話には応対できないなどの自覚症状があり、そのため日常生活に支障がある場合は、仮に神経学的な検査で聴力障害が確認できなくとも、右訴えがあり、その訴えを裏づける日常生活の支障が確認できれば、右自覚症状は客観的なものといえる。

日常生活の支障として最も多いのは、手足の運動に関するものであり、これは知覚障害、共同運動障害に絡んでいるので重要である。

ロ 全身性の障害

前述の健康障害のすべてが狭義の神経症状によるものばかりでなく、高血圧はじめ循環障害、腎障害、肝障害、糖尿病、頸椎変形、リューマチ性疾患などさまざまな疾患の合併がみられる。水俣病は、従来神経症状のみが注目され、神経症状の影に隠されて臓器等に対するメチル水銀の影響は、無視されがちであつた。白木博次は、サルの実験等をふまえ、八歳以下の水俣病患者の脳血管に老人と同様の変化がみられること、ハンター・ラッセルの症例においても、脳の血管病変やその他心臓の血管、静脈にも変化がある旨記録されていること等からメチル水銀によつて脳血管障害が起こるとしている。さらに白木博次は、血管病変が心臓など脳以外の血管に対しても影響を及ぼすこと、腎皮質や膵臓にも影響を及ぼすこと、及び血糖値上昇をきたすことなどを報告している。次に白木博次は、水俣病は決して脳神経だけの病気ではなく、結局、心臓を中心とした循環系の損傷を必ずともなつているから、全身病とみる視点が絶対必要であると強調している。武内忠男もまた、脳の血管障害に対するメチル水銀の影響を指摘しており、立津政順は、脳の血液の循環に障害が生ずる結果、めまい・立ちくらみ・意識障害・てんかん等が生じ、メチル水銀の影響と解される旨述べている。なお、熊大二次研究班により脳血管障害だけでなく腎皮質、脾臓、肝臓についてのメチル水銀の影響が指摘されている。以上のとおり、水俣病はメチル水銀が脳、神経のみならず各臓器、血管、リンパ腺等々全身に入りこんでこれを侵害するもので全身病として捉えられるべきものであり、症状も自覚症状も全身にわたる多種多様性をもつものである。

ハ 神経・精神症状

神経症状の出現率、地域集積性の高さは、水俣病患者に極めて特徴的である。つまり、住民の健康の歪みとして健康障害の筆頭に神経症状があげられる。い 地域集積性 水俣病の神経症状を明らかにする仕方には二通りあり、一つはハンター・ラツセル症候群の症状の有無を確認していく方法、他の一つは汚染地域の住民がどのような神経症状をもつているかを調査し、その地域集積性、あるいは家族集積性から見て何が水俣病の神経症状であるかを捉えていくというやり方である。水俣病が環境汚染による健康障害である以上、後者が正しい方法である。以上のとおり、神経症状は水俣病で特徴的な症状であり、主要な症状である。地域集積性の高さからみて、これらの症状のうちの一つでも認められれば水俣病の可能性を否定できない。その中身については、地域集積性からいくつかの症状が浮かび上つてくる。ろ 知覚障害 水俣病の基本的な症状として知覚障害があることは否定できない。また、神経症状の中で、最も地域集積性が高いのが知覚障害であり、水俣地区では、四肢末梢性の知覚障害が最も高い。以上のことから、最低限度四肢末梢性の知覚障害があれば、これはメチル水銀の影響とみるべきであり、口周囲の知覚障害、全身性の知覚障害、半身性の知覚障害(中枢型)と下半身の知覚障害(脊髄型)も高率であり、メチル水銀の影響は否定できない。なお、半身の知覚障害については、仔細に検査すると反対側に知覚障害や失調があつたりすることは前述のとおりである。全身性知覚障害については、立津政順がこれを詐病扱いにすることを誤りとし、島状(不規則)、半身性知覚の脱失も重要な水俣病の所見としている。立津らのした若狭湾を対象地区とした疫学調査の結果からも左右半身性および全身性の知覚障害が水俣病の症状として重視されるべきことが指摘されている。またハンター・ラッセルの症例中にも、全身のしびれと痛みが記載されていることを見落してはならない。以上のように、水俣地区には非常に特徴のある知覚障害が高率にみられる。そして、その水俣地区の特徴は、全域にわたる濃厚な水銀汚染である。従つてこのような地域集積性の高い知覚障害のパターンはメチル水銀の影響と考えてよい。四肢末梢性の知覚障害は特にそうである。また、昭和四六年事務次官通知も認定の条件として四肢末端、口周囲のしびれ感が一つでもあれば水俣病の範囲に含むものと解釈される。四肢末梢性知覚障害が他の原因から起る頻度は非常に少ない。脊推変形症が問題にされるが、頸椎のX線上の変化だけでこれを説明してしまおうとするのは誤りだし、また脊椎変形症で起つてくる知覚障害は形が違う。また、その人が濃厚なメチル水銀の汚染を受けてきたことの重みは大きい。診断とは、後述のように可能性をしぼつてゆく作業であるから、知覚障害の原因を脊椎変形症に求めるには無理がある。アルコール中毒から知覚障害がくる場合もあるが、水俣病のようにきれいな四肢末梢性のタイプは極めて少ないし、やはり汚染の事実をぬきにしては診断できない。糖尿病についても同じようなことがいえる。なるほど知覚障害の診断には難しい面もある。一つは技術の問題で、この診断は患者の協力がないとできない。つまり、患者の訴えがなければ検出できない。自覚症状だから当てにはならないとするのではなく、力を変えてみたり、押し方を変えてみたりすれば、知覚障害の存在がわかる筈である。次に患者によつても違い、胎児性の患者や知能が低かつたり、精神症状が強かつたりする患者は、それがあつても検出できないことがある。また、水俣病は中枢から末梢まで広範に障害されており、しかも四肢末梢性のものは、その時の条件によつて変り得る。さらに、四肢末梢性のものは、変動するのが特徴である。その上その境界がはつきりしない。以上のとおり、濃厚汚染地域の患者で知覚障害がないとされるのは症状の見落しであることが多い。は 求心性視野狭窄及びその他の眼科的所見 桂島の全地区住民の検査で、ゴールドマン視野計による視野狭窄が98.2%であることからも、水俣地区のそれが対照地区に比して極めて高いことからも、また今までの研究成果からも、視野狭窄が重視されなければならないことは言うまでもない。水俣病の視野狭窄は、後頭葉の障害であり、後頭葉には視中枢があるが、そこは神経細胞の分布が中心部にあつて、周辺はうすい。そこで水銀による場合は、全身性中毒で一様に万遍なく障害されるから神経の細胞が脱落したときに数の少ない周辺部が見えなくなる、そこで求心性視野狭窄が起こるのである。従つて、そのような障害は、中毒などの全身性のものでないと非常に起こりにくい。脳軟化症や脳出血、脳腫瘍が後頭葉の視中枢に起こるようなことがあれば、視野狭窄が起こりうる。しかし、これらの病気の場合、局部が障害されるのだから、四箇所左右対象に傷害されないと周辺が皆障害されるということにはならず、求心性視野狭窄が起こる頻度は極めて僅かである。なお、筒井のデータによつて周辺部だけでなく中心部にも神経細胞の間引脱落があることがわかつていることは、右のことを裏づけるものである。以上のとおり、求心性視野狭窄があれば水俣病である確率は非常に高い。眼球運動障害や視野沈下も桂島の全住民の検査でともに八〇%を越えており、メチル水銀との関係を重視しなければならない。に 共同運動障害(失調)、構音障害 これは、急性・亜急性の水俣病では非常に目立つ症状で主として小脳の障害によるものである。現在も水俣病の非常に重要な症状であることに変りはない。しかし慢性水俣病の場合は軽くなり、余り目立たなくなつている。これは小脳が脳の中では割と原始的な部分であることから残された部分において代償機能を果していると考えられる。そこで運動の遅さ、拙劣さに注意しなければならない。水俣病患者にはジアドコキネーゼをさせると遅さが目立つ。たとえ検査の場では目立たなくても、その日常生活の支障が大きいという例が多い。運動のぎこちなさ、遅さは小脳症状の一連のものであり、小脳が慢性的に傷害されたときに起こつてくる運動障害の症状の一つである。また、最近眼球運動の異常が小脳性の異常パターンだということが検出されているし、耳鼻科的にも平衡機能異常が検出されている。なお、左右半身性の運動失調が水俣病患者に多いことも注目する必要がある。半身性をもつて水俣病を否定しきれぬこと、知覚障害の場合と同様である。ほ 聴力障害 聴力障害はハンター・ラッセル症候群の一つであり、水俣病の重要な症状の一つである。また、桂島の全住民の調査でも八〇%を越えており、水俣地区でも三〇%に近く、地域集積性も高い。メチル水銀との関係で重要な症状である。聴力障害は他の原因からも起こるので、これだけで水俣病というのは困難だとしても、水俣病の場合は電話が聞きとれないが音はわかるとか、大きな声で言うと聞こえないが、ゆつくり低い声で言うと聞こえるとか、一般の難聴とちよつと違う訴えが多い。これは大脳皮質の関与と考えられる。音を複雑にしたり、一定のひずみをかけたり疲れたりすると、聴力が悪くなることがある。そういうものを検出すれば、患者の訴えは間違いなかつたということになる。このようなことから鑑別はそう難しくない。へ 振戦 振戦は、水俣病に多い症状である。これだけで水俣病というのは問題があるが、他の何かの症状があれば、振戦はメチル水銀との関係で非常に重要な症状となる。と 反射異常 水俣病の場合、反射については亢進するもの、減弱するもの色々あるが、これは中枢と末梢の侵され方のバランスの問題と考えられる。ち 精神症状 水俣病はメチル水銀による中毒性疾患であり、かつ広汎な脳器質性疾患でもある。従つて、水俣病の精神症状は、環境汚染によつて起こつた様々な程度の広汎性の脳器質性障害によつて起こるものである。これは急性・亜急性のみならず、慢性水俣病においてもみられる。水俣病の精神症状の特徴は以下のとおりである。 a 知的機能障害 植物的人間といわれる重症のものから高度の痴呆のあるもの、ほとんど障害が目立たないものまである。しかし、細かく検査をしてみると、読み、書き、話す、計算などの障害が著明であり、特に、記憶・記銘力障害が強くみられることが多く、隠れた日常生活の支障がみられる。これは「物忘れ」という自覚症状が高率にみられることの裏づけでもある。一見、粗大な知的機能障害が目立たないような印象さえ受けるのも、実は水俣病の精神症状の特徴でもある。それは後天性脳器質性障害の特徴である。即ち、判断力及び理解力は比較的よく保たれている一方で、一桁の暗算もできず、読み、書き、計算などの障害がある。その社会適応障害が大きい。 b 性格障害 脳器質性障害による性格障害も社会生活の上で重大な支障になつている。多幸的、人格の浅薄化、迂遠、粘着、固執、気分易変、無気力、精意減弱、孤立、無関心、鈍重、緩慢、易怒爆発、抑制欠如、不機嫌など多彩なものがみられる。程度も社会生活に全く適応できないものから生来の性格の拡大・尖鋭化まで様々である。これらの性格障害は、脳器質性障害の結果であるから軽快し難く、頑固な症状である。抑制がきかず怒りつぽく、家族内で争いが絶えなかつたり、根気なく、注意集中が困難であつたり、抑うつ的、こだわりが強く、疑い深くなつたり、無関心になつたりするなど生活障害は深刻である。しかし、その一方でこれらの性格障害を理解するにあたつては、水俣病患者のおかれた社会的背景も考慮にいれなくてはならない。即ち水俣病患者は、昭和三五年から昭和四五年までは、「過去のもの」として葬り去られ孤立していた。被告チッソの城下町における水俣病患者は「水俣の恥」としての存在でしかなかつた。当然、人を避け、孤立し、恥ずかしがり、反抗・拒絶的態度をとつたのである。脳器質性障害による症状に加えて右のような社会的環境による影響も同時に深刻であつた。 c 精神病的状態 神経衰弱症状群または過敏情動性衰弱状態、抑うつ・不安、心因反応・ヒステリー様発作、時には幻覚・妄想など多彩な精神病様状態もみられ、多彩かつ深刻なものである。これらの症状は、患者個人の責任に転化されることが多いが、慢性疾患では比較的軽度の広汎性脳器質性障害の症状の一つである。り その他の症状 まず不妊、流産、死産が認められ、次に筋肉の萎縮が認められる。筋萎縮はメチル水銀との関係で重要な症状である。また、味覚、嗅覚の障害が認められる。これも水俣病の重要な症状である。さらに発作が認められる。ふらふらになつてすわりこんだり、めまいがするなどの発作が非常に高率である。これも無視できない所見である。これらのほかに、自律神経障害、粗大力低下、手指・足趾の変形および高血圧などの症状が認められる。高血圧について、白木博次は腎臓の血管が障害された結果生じるものとしてメチル水銀の影響を指摘している。

水俣病の診断

① 診断

診断とは最も可能性の高い病名の選択である。疾病の背景、頻度をぬきにし、患者にみられる個々の症状を分割して抽象的に考えた場合、説明しうる病名は多数ある。知覚障害をきたす疾病は、多数あるし、四肢末梢性の知覚障害に限定してみても依然として多い。失調をきたしうる疾病も同様であり、視野狭窄も他の疾患でみられないものではない。診断は、それらの可能性のある疾病の単なる羅列、組合せではなく、最も可能性の高い病名を選択することである。症状から診断される場合、それぞれの疾病の頻度、さらにその疾病における当該症状の出現率が考慮され、出現率の低い疾病より出現率の高い疾病が考慮されなければならないし、当該症状の出現率の低い疾病より当該症状の出現率の高い疾病が考慮されなければならない。また、個々の症状を分割し判断すべきではなく、どのような症状がどんな組合せで出現しているかみることが重要である。疾病には、症状の組合せからみて、一定の特徴的なパターンがみられることがある。その特徴的なパターンがみられれば、他の諸疾患を組合せて診断するよりも、まず、その特徴的なパターンを示す疾病を疑うべきである。しかしながら、診断にあたり考慮されるのは現在の症状だけではない。それは診断にあたり考慮される一部にすぎない。発病の経過、その後の推移も重要である。ある疾病に特徴的な経過をたどれば、その疾病を考えることは当然である。現在の症状だけから診断がなされるのは、本人の記憶がなく、家族等からも事情が聞けないなどの極めて特殊な場合であり、その場合、診断の確実性が低いことを免れない。次に、疾病にはその原因があり、原因不明の疾病もあるが、原因が判明している疾病を選択する場合、その原因が存在するか否かは極めて重要である。すくなくとも、原因が否定できないことが必要である。しかし、逆に原因があれば、その原因によつて起こる疾患を疑わなければならない。以上のように可能性を考えながら、診断はなされていく。そして、その可能性のもつとも高いものを選択するのが診断である。

② 水俣病の診断の要点

イ 水俣地区における発生の基盤を重視すべきであり、水俣地区に発生した疾患のうち少なくとも原因不明のものや、水俣病類似のものは、メチル水銀との関係を徹底的に注意しなければならない。それは、水銀に汚染されていない地区に発生した疾病と同じように捉えることはできない。

ロ 水俣病の発生時期を限定すべきではなく、症状はありのままの生活状態において捉えるべきである。

ハ 同じ脳障害による症状にしても、環境汚染を媒介にして広範に起こつた中毒である以上、多様性を示す可能性があることや、発病以来十数年の経過による症状の変遷のことも無視できないので、症状はごく軽いものまで拾い上げないと診断は困難であり、単に教科書的神経学的な症状だけではなく、具体的に日常生活に支障のある症状は、症状として捉えるべきである。

ニ 自覚症状を重視すべきである。特に水俣病の場合、初発症状や症状発現の順序やその進行などが、他の疾患に比較して極めて特異で、診断上重要である。

ホ 水俣病においては、発生機序から考え、水俣病とすでに認定されている患者のみならず、生活を共にした家族の神経症状や日常生活における障害の程度などが極めて大きな参考となる。

ヘ 患者の経過に関する調査を可能な限り徹底的に行うべきである。症状発現以来、かなりの年数が経過していることが多い。その間に多くの医師の診察治療を受けている例が多いので、できる限りその情報を集め、その意見を尊重し、これらの調査を確実にすると、診断は比較的容易な場合もある。

ト 症状を固定的に捉えるべきでなく、軽快や悪化があり、症状は多様性を示す。

チ 中毒は全身病として捉えるべきである。既に知られたメチル水銀中毒においては、あまりにも関心が神経系に集中した嫌いがある。しかし、他の臓器に及ぼす影響、とくに慢性期における影響は、医学的に十分に明らかにされていないのであるから、合併症の併発がみられる場合など、これらの症状を、もう一度メチル水銀中毒との関係において検討しなおさなければならない。

③ メチル水銀曝露事実の有無

イ 水俣病は、メチル水銀に汚染された魚介類を摂取することにより起こる疾患であるから生活歴、食生活歴等のメチル水銀汚染曝露の有無が先ず検討されなければならない。そして、汚染地区に居住し、魚介類を多量に摂取した者に水俣病にみられる症状が一つでもあれば、水俣病が疑われる。それが水俣病の基本的な症状であれば、さらにその蓋然性が強い。水俣病にみられる症状が複数であれば、決定的である。一方では、家族に同様の症状があること、家畜が狂死したりしたことなども、根拠となる。

ロ 他の疾患が存在することが積極的に証明されたとしても、それで水俣病でないとする根拠にはならない。

汚染地区の住民は等しく汚染されており、大なり小なりメチル水銀の汚染を受けている。他の疾患を有する者もメチル水銀の影響を受けていることは同様である。他の疾患を有するということは、他の疾患による障害とメチル水銀による障害とが競合していることを意味しているにすぎず、水俣病を否定できるということではない。さらに、前記のとおり、脳血管障害等はメチル水銀によるものと考えられるのであつて、他の疾患だからといつて水俣病と無関係とはいえない。

④ まとめ

以上のことをふまえて、すくなくとも、以下に述べるものが認められれば確実に水俣病と診断できるものと考える。

イ 不知火海の魚介類を多食し、ロ 健康障害のうち い 四肢末梢性の知覚障害 特に四肢末梢性の知覚障害は、水俣病の基本的な症状であり四肢末梢性の知覚障害があれば、それだけで水俣病と診断することができる。 ろ 知覚障害が不全型であつたり、証明できない場合は、次のa又はbの症状を有する場合即ちa 求心性視野狭窄が認められる場合である。求心性視野狭窄は、他疾患では起こりにくいので、これがみられる場合、水俣病である確率はきわめて高い。求心性視野狭窄は水俣病全体からすれば発症頻度は低いものと判断されるし、求心性視野狭窄だけの水俣病の存在は、小児を除いて、多いものとは考えられない。これらの場合は、知覚障害がないのではなく、知能障害等のために知覚障害が確認できなかつたり、所見のとりかたに問題があることが多い。従つて、実際的には、右イを前提として求心性視野狭窄が確認されれば、水俣病と診断することができる。b 口周囲の知覚障害、失調、構音障害、視野沈下、味覚・嗅覚障害、小脳性あるいは後頭葉性の眼球運動異常、中枢性聴力低下、振戦などが認められる場合である。ハンター・ラッセルの五徴候以外に水俣病にみられる症状があることは前記のとおりである。右イがあり、これらの水俣病に出現しやすい症状があれば、たとえ知覚障害が不全型であつたり、証明できなかつたとしても、水俣病と診断することができる。

(3) 本件患者らの診断をした医師

本件患者らを診察し、水俣病との診断を下した医師は一一名である。そのうち松本脩医師を除く一〇名の医師は、県民会議医師団に参加し、水俣病に関しては学識及び臨床経験豊富な医師である。なお、松本脩医師は、水俣病多発地域である葦北郡芦北町佐敷で長らく開業医として水俣病患者の治療にあたつてきた。県民会議医師団では、本件患者らの診断をするにあたつて統一した診断基準のもとに診断をしている。本件患者らを診断した各医師の学識臨床経験は以下のとおりである。

上妻四郎医師

① 経歴

同医師は、昭和二四年、熊本医科大学付属医業専門部を卒業し、昭和二五年医師免許を取得、その後、熊本大学精神神経科教室、大分少年保護鑑別所、城野医療刑務所、宮崎県の高宮病院副院長、熊大体質医学研究所気質学研究部講師などを経て、昭和三八年九月、医療法人ピネル会上妻病院を開設した。昭和四四年五月、水俣病県民会議が結成され、代表幹事となり、同年暮から水俣現地を訪れ、同四六年一月、県民会議医師団が結成されて団長となり、今日まで水俣病患者を数多く診断して来た。これまでに約一〇〇〇名の水俣病認定申請用の診断書を書いており精神衛生鑑定医をつとめ、県民会議医師団が水俣病と診断した患者で、行政がこれを棄却した後、医師団の方が正しかつたことが判明した例は非常に多く、枚挙にいとまがない。上妻四郎医師は、永年水俣病の現地に赴いて多数の患者を診察しており、その診断は確実である。

② 上妻医師の診断

同医師が診断して診断書を作成したのは、原告田渕レイコ(患者番号二二)、同白竹あつ子(同五三)、亡福田いつ子(同五七)、原告荒木ヒロ子(同六二)、同大石雪子(同六五)、同野村盛清(同六六)、同本田精一(同六八)である。

同医師の水俣病に関する研究、診断歴及び胎児性患者についても約二〇名の患者を診ている経験等から右診断は、的確であつて十分措信することができ、他の診断書についても、時間をかけ慎重に検査診断の上作成されたもので、的確であつて十分措信することができる。

平田宗男医師

① 経歴

同医師は、昭和一六年四月九州医学専門学校(現在の久留米大学医学部)精神神経学科の助教授となり昭和二〇年十二月医学博士となり、その後昭和二一年七月から昭和二六年三月まで平田医院を開業、同年七月医療法人芳和会熊本保養院を開設して、院長に就任、同年五月から昭和三四年二月まで、昭和四五年八月から現在まで同法人芳和会理事長となり、昭和五一年一一月同法人芳和会菊陽病院院長に就任し、昭和五六年一〇月から同病院総院長に就任して現在に至つている。

同医師は、昭和四五年六月から水俣病と取り組み、樺島春男医師、上妻四郎医師らと共に第一次訴訟の原告一〇名位も含めて診察してきた。その結果患者に共通する手袋、足袋状の知覚障害を発見し、この症状により、他疾患と鑑別できることを裏づけた。またいわゆる赤本(「水俣病―有機水銀中毒に関する研究」熊本大学医学部水俣病研究班昭和四一年三月付)等により勉強会も行い、昭和四六年一月、県民会議医師団の正式結成にも積極的に関与し、同医師が診察した水俣病患者は、五〇〇人以上にも達している。同医師は、水俣病に関する学識および臨床経験の深い医師である。

② 平田医師の診断

同医師が診断して診断書を作成したのは、原告小島サツエ(患者番号一)、同竹田フミエ(同六)、同竹地重哲(同一三)、同井坂ヤヲノ(同一四)、同畑崎和一郎(同一六)である。

同医師は、右原告らの診断書作成に関し、一回あたり一時間以上の時間をかけて診断したうえで作成しており、同医師の診断は、的確であつて十分に措信することができる。

原田三郎医師

① 経歴

同医師は、昭和二四年に熊本医科大学を卒業し、昭和二七年に同大学第一内科研究生となり、昭和二八年に同大学神経精神医学教室研究生となり、昭和三五年に医学博士の学位を授与された。昭和二五年七月から昭和二七年一月まで右第一内科にて結核と栄養の研究に従事し、昭和二八年三月から昭和三五年三月まで右神経精神医学教室にて神経精神医学の研究に従事した。職歴は、熊本保養院、宮崎市の高宮病院、熊本市の清小園(園長)を経て、昭和四六年八月から国立療養所菊池恵楓園に勤務し、現在に至つている。内科が専門で主に精神科に関係した分野と老人の分野を担当している。現在担当しているハンセン氏病患者(らい患者)は、水俣病の患者と同様に、神経の末梢の麻痺、四肢末梢の麻痺が特徴である。

昭和四五年に水俣病一次訴訟原告の田中実子を訪ねて以来、県民会議医師団に参加し、休日等を利用して水俣病の検診に従事するようになり、一〇〇人位の患者を検診している。因みに、水俣病二次訴訟では、原告緒方覚を担当し、診断している。同医師は水俣病に関して学識及び臨床経験の深い医師の一人である。

② 原田三郎医師の診断

同医師は原告横山義男(患者番号六一)の、同渕上ヨシエ(同六七)の二名について診断して診断書を作成している。同医師は右原告らを直接自宅で三回か四回診察し、藤野医師ら作成のカルテや検査データ、予備調査の結果などを参考にして診断をしており、その診断は的確であつて十分に措信することができる。

佐野恒雄医師

① 経歴

同医師は、昭和三九年三月熊本大学医学部を卒業し、その後、昭和四二年一一月まで同大学医学部第二病理学教室の研究員ないし助手として病理学の研究に従事し、昭和四二年一一月からは内科医として各地の病院、診療所に勤務してきた。なお、昭和五八年三月には死体解剖資格認定証明書を取得している。

同医師は、昭和四三年三月から昭和五六年三月まで右教室の研究生として武内忠男教授のもとで水俣病患者の病理解剖の研究に従事し、水俣病における研究テーマとして脊髄と末梢神経の関連をとりあげ「人体水俣病における脊髄末梢神経特に脊髄神経根の組織病理学的研究」(熊本医学会雑誌、第五四巻第四号、昭和五五年一二月)を発表し、右論文によつて医学博士号を取得している。右研究では水俣病患者の病理解剖一八例と対照しての一〇例を比較検討し、脊髄神経の前根と後根の繊維の大きさをコンピューターで解析し、その結果、後根では変化がないものの、前根では大きな繊維の脱落が見られ、小さな繊維は数の増加が見られた。水俣病の研究にとつて貴重な研究をした。昭和三九年四月から昭和四〇年三月まで水俣市立病院で医師実施修練を受けた際、当時右病院の副院長であつた三嶋医師から神経病理学の所見のとりかたについて指導を受け、また水俣病患者を多数診察している藤野医師や熊大の原田助教授からも指導を受け、水俣病の診察には十分な教育をうけているものである。昭和四八年五月から県民会議医師団に参加し、現在に至るまで水俣病の検診活動にも従事してきた。県民会議医師団に参加してからは、年に二、三回の割合で集団検診に参加し、二〇〇名を越える患者を診察し、診断書を書いた患者も二〇〇名前後である。佐野医師は、水俣病について、その病理は専門的に研究し、また臨床においても十分な教育を受け、かつ豊富な経験を有するものであり、その診断は的確であつて十分措信することができる。

② 佐野医師の診断

同医師は原告澤田友喜(患者番号五〇)、同浜田清熊(同六〇)、同大丸清一(同六四)、同枚三郎(同六九)及び同田中秋好(同七〇)を診察し診断書を作成している。同医師は原告らを数回診察する等慎重に診察したうえ診断書を作成しておりその診断は的確であつて十分に措信することができる。

藤野糺医師

① 経歴

同医師は、昭和四三年三月熊本大学医学部を卒業し、同年七月医師国家試験に合格、熊本大学医学部研究員となり、翌四四年四月熊本大学医学部神経精神医学教室に入局、昭和四七年四月右教室の研究生となり、同年九月精神鑑定医の指定を受けた。昭和四九年一月医療法人芳和会水俣診療所所長に就任、同診療所が昭和五三年三月医療法人芳和会水俣協立病院となり、右の院長に就任している。昭和五六年二月、医学博士号の授与を受け、その学位論文は、「ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究」であつた。熊本大学医学部神経精神科の立津政順教授のもとで、昭和四五年三月より水俣病患者の診察にたずさわり以後今日まで多数の水俣病患者の診察、治療にあたつている。特に、昭和四七年四月医療法人正仁会水俣保養院に勤務し、さらに水俣診療所の所長に就任して以来、水俣に居住し、水俣病患者を最も多く診察してきている。学位論文のほか、水俣病に関する論文が多い。環境庁の水俣病研究班の研究協力員でもあり、熊大二次研究班の検診にも参加している。不知火海一円の水俣病患者発掘に同医師の果たした役割は大きく、同医師は、熊本、鹿児島両県合わせて一万二〇〇〇名の申請者の約半数を診ている。その豊富な臨床経験と実績は、鹿児島県が水俣病患者がいないとしていた桂島が、島ぐるみの有機水銀汚染をうけているという重大な事実を発見した前述の学位論文からも明らかである。さらに同様の成果を不知火海一円の一斉検診でも挙げている。

② 藤野医師の診断

同医師が診断して、診断書を作成したのは原告平本豊史(患者番号一七)、亡西山貞吉(同二一)、原告浦崎直(同二三)、同竹山肥薩子(同二四)、同森下アキヲ(同二五)、同松田政行(同二六)、亡松田近松(同二七)、原告川崎スエマツ(同二八)、同橋口三郎(同二九)、同渕上ハツエ(同三七)、同佐々木正信(同四二)、同柳迫フタエ(同四四)、同柳迫フサエ(同四五)、同柳迫ツルエ(同四六)、同柳迫盛義(同四七)、同佐々木兼光(同四八)、同真野敏郎(同四九)、同伊藤シズヲ(同五一)、同伊藤フジ(同五二)、同田中重年(同五四)、亡釜貞喜(同五五)、原告福田稔(同五六)である。

同医師はこれらの患者については、二週間から一ケ月の入院をさせ(水俣協立病院に)、精密検査の後診断書を作成しており、右各診断は、的確であつて十分に措信することができる。

赤木健利医師

① 経歴

同医師は、昭和四九年三月、熊本大学大学院医学研究科(神経生理学)を卒業し、医学博士号の授与を受け、以後昭和五三年四月まで同大医学部第一生理学教室助手を勤め同年五月より医療法人芳和会(熊本保養院・菊池病院)に勤務し現在に至つている。臨床医としての経験は昭和四三年からあり、専門は神経生理と精神科(アルコール症)である。同医師は水俣病については、前記赤本について、徳臣教授の講義を受けた外、昭和四五年五月に県民会議医師団に入り原田正純医師などから所見のとり方の教授を受け、実際に認定患者の診断などして研究している。また、水俣病の研究例も多い。同医師がこれまでに検診した水俣病患者は五〇〇名を下らず、水俣病に関しては臨床経験および学識の深い医師の一人である。

② 赤木医師の診断

同医師が診断して診断書を作成したのは、原告野崎光雄(患者番号二)、同宮脇東助(同九)、同村上正盛(同一〇)、同越地フミエ(同一二)、同脇畑サダメ(同一五)である。

同医師は、右原告らを水俣協立病院で二時間位診察し従前の藤野医師ら作成のカルテや眼科渥美医師や整形外科の土屋医師の診断や検査データー、水俣協立病院職員の予備調査の結果(聞きとり調査)をも参考にして診断をしており、その診断は的確であつて十分に措信することができる。

宮本利雄医師

① 経歴

同医師は、昭和四四年四月医師国家試験に合格し、同月から昭和四五年三月まで熊本大学医学部付属病院で研修し、同年一〇月から昭和四八年三月まで同学部第三内科研究生を勤め、昭和四五年四月から昭和四七年一一月まで下通診療所に勤務、同年一二月から昭和四八年六月まで平和診療所に勤務、同年七月から昭和五〇年七月まで北九州健和会新中原病院で研修し、同年八月から昭和五六年九月まで医療法人芳和会平和診療所に勤務し、昭和五二年四月から昭和五五年三月まで熊本日赤病院で産婦人科研修を行い、昭和五六年一〇月から同法人芳和会くわみず病院院長となり現在に至つているが、また昭和五六年四月から現在まで熊本大学医学部産婦人科研究生、昭和六一年六月から現在まで同法人芳和会理事長である。

同医師は、昭和四六年一月以前から平田宗男医師、樺島春男医師らと共に水俣病の検診を始め、第一次訴訟の江郷下一家等の患者も診察し、県民会議医師団の一員でもある。同医師は、第一次訴訟、第二次訴訟の原告を含めてこれまでに約三〇〇名の水俣病患者を診察しており、時には、平田宗男医師、藤野糺医師、および原田正純助教授らと水俣病の診断について討論したり、前記赤本等を参考にして勉強しており、水俣病に関する学識および臨床経験の深い医師の一人である。

② 宮本医師の診断

同医師が診断して診断書を作成したのは、亡竹部貞信(患者番号三)、原告斎藤フジ子(同四)、亡吉中清(同五)、原告吉永文男(同七)である。

同医師は右原告らの診断書作成に関して一回あたり三時間位の時間をかけて診察したうえで、水俣協立病院のカルテ、検査所見等を参考にして作成しており、同医師の診断は的確であつて十分に措信することができる。

松尾和弘医師

① 経歴

同医師は、昭和四六年熊大医学部を卒業し、専門は消化器内科であるが、脳神経関係では脳卒中について九大神経内科の指導、研修を受け続けている。神経系を中心とする疾患であるスモンについても勉強した。

水俣病については昭和四七年から県民会議医師団に参加し、原田正純助教授ら先輩の指導も受けて研究等を行い集団検診にも参加し、五〇〇名程度を検診している。水俣診療所、水俣協立病院において、一〇年以上水俣病患者の診療にあたり、その診療した水俣病患者数は一〇〇〇名以上に達しており、同医師は水俣病に関し、長く豊富な臨床経験及び学識を有しており、その水俣病診断は信頼性がある。

② 松尾医師の診断

同医師が診断して診断書を作成したのは原告竹部長吉(患者番号一一)、同竹吉トメ子(同一八)、同盛里シゲノ(同一九)、同中村チサエ(同二〇)、及び亡濱田タケノ(同三五)である。

同医師は、このうち亡濱田タケノについて証言している。同医師は、水俣診療所、水俣協立病院において診断書作成のため、聞取り・診察・臨床検査を行う等その診断に臨む綿密、慎重な態度から同医師の診断は的確であつて十分措信することができる。

樺島啓吉医師

① 経歴

同医師は、昭和四六年熊本大学医学部専門課程を卒業後、昭和五〇年同大附属病院助手(神経精神科)、昭和五五年同大医学部講師(神経精神医学講座)を経て、昭和五六年に医学博士号の授与を受け、医療法人芳和会に就職し現在に至つている。臨床医としての経験は一四年六か月で、専門は神経精神学の中の中毒性の神経精神障害、精神分裂病である。

同医師は、熊大二次研究班の研究に立津政順の共同研究者として参加した外、立津政順の共同研究者で水俣病に関する総合研究班の会合に出席して研究報告をするなど数少ない小児期発症水俣病の研究者であり、その研究報告(小児期発症水俣病の臨床的研究)もある。同医師は昭和四六年六月に県民会議医師団に入り、現在までに約一〇〇〇名の水俣病患者を検診しており、水俣病に関しては、臨床経験および学識も深い医師の一人である。

② 樺島医師の診断

同医師が診断して診断書を作成したのは原告原田文江(患者番号三八)、同宗像日出子(同三九)、同石原百合子(同四〇)、同森元弘美(同四一)、同柳迫好成(同四三)、同高辻サエ(同六三)、である。同医師は右原告らを水俣協立病院で一回一時間位診察し、藤野医師ら作成のカルテや眼科の専門医(渥美医師)の診断や検査データー、予備調査の結果などを参考にして診断をしており、その診断は的確であつて十分に措信することができる。

板井八重子医師

① 経歴

同医師は昭和四八年五月医師国家試験に合格し、臨床医の経験はその時から、昭和六一年五月当時で約一三年間である。同医師は、昭和五〇年一〇月から水俣病の診療に従事し、水俣診療所、協立病院を通じ、水俣病患者ないしその疑いのある者を約三〇〇〇人位診ており、そのうち認定患者は五〇〇人である。

昭和五三年からは、「有機水銀中毒症と耐糖能障害について」をテーマに熊本大学の研究生になり、日本糖尿病学会に所属し、現在まで約四〇〇名位の患者を診ている。昭和五八年から、「有機水銀中毒症と全身臓器障害の研究」をテーマに東京大学の研究生となり、現在も東京大学医学部の研究生で研究報告をだしている。水俣病に関する研究論文は、藤野糺らとの「有機水銀汚染地区住民の臨床症状の遷移―比較的少量の汚染の影響に関する臨床的研究―」があるが、これは御所浦地区で昭和四六年と六年ないし六年半後の症状の推移を比較してまとめたもので、板井医師は昭和五二年から五三年にかけての二回目の検診に参加している。また研究論文に同じく藤野糺らとの「有機水銀による環境汚染が住民の健康に及ぼす影響、ある漁村地区の場合、アンケート調査と検診結果より」がある。これは津奈木赤崎地区でアンケート調査と検診をした結果をまとめたものである。その他水俣病の研究論文は数多くあり、同医師は水俣病については極めて豊富な臨床経験と学識を有している。

② 板井医師の診断

同医師が診断して診断書を作成したのは、亡濵﨑初彦(患者番号八)、原告棈松時子(同三〇)、同森朝枝(同三一)、同長野喜六(同三二)、同森豊喜(同三三)、同森マサ子(同三四)、同今村フサエ(同三六)である。同医師は、右原告らの診断にあたつては、一回につき一時間位診察し、疫学的条件やカルテや眼科、整形外科の専門医の診断等を参考にして作成しており、同医師の診断は、的確であつて十分に措信することができる。

松本脩医師

① 同医師は東京医科大学を昭和二五年に卒業、昭和二六年より芦北町で開業中の実父の医院に勤務後、昭和三九年より父死亡のため医院を継承し、翌年一〇月松本病院を設立して現在に至つている。同医師は現在水俣市・葦北郡医師会の副会長であり、内科と産婦人科が診療科目である。

芦北町計石に最も近いことから月に認定患者約三〇名、申請患者約七〇名が来院し、入院の認定患者も三名おり、これまで多くの水俣病患者を診療してきている。昭和四二年熊本大学の産婦人科の研究生の時代に当時の田代助教授の指導の下、芦北地区の海岸の胎児性水俣病の調査を行い、京泊から津奈木の海岸をずつとまわり、その結果をまとめて田代助教授に渡し、同助教授は学会で発表した。同医師は水俣病の病理の権威である熊本大学武内忠男教授の門下生であり、同教授から松本医師の叔父にあたる松本敝医師が水俣病であると思うと言われ、死亡後本人の希望もあり解剖したところ実際水俣病であることが判明した。この事実はいかに有機水銀の汚染が濃厚なものであつたかを示している。同医師は多くの水俣病患者の診察をし臨床経験も豊富で学識も深い。

② 松本医師の診断

同医師は一臨床医であるとの自覚から水俣病の診断書においては一応「疑い」という文字をいれるのを常としているが、その内容は水俣病であるとの確信をもつている。同医師は主治医とし亡古江岩五郎(患者番号五八)、亡向政吉(同五九)を診察し、水俣病との診断を下したものである。ただ、カルテについては昭和五五、六年の水害にあい破棄されているが同医師の診断は的確であつて十分に措信することができる。

(4) 本件患者らの水俣病罹患の事実

原告小島サツエ

① メチル水銀濃厚汚染の事実

Ⅰ 居住地

同原告は、天草郡御所浦町嵐口で大正六年九月二五日出生し、現在も居住している。嵐口地区は水俣病多発地区であり、メチル水銀汚染の最も濃厚な昭和三〇年代に一貫して同地域に居住していた事実は同原告が濃厚に汚染されていたことを裏付けるものである。

Ⅱ 職業歴

同原告は、半農半漁の家に生まれ、嵐口尋常高等小学校卒業後、京都、大阪、博多で紡績工場で働き、その後帰郷し家業の漁業の手伝いをしていたが、昭和一三年小島時次郎と結婚した。夫は漁業に従事していたため、同原告も夫と共に出漁し、漁場は、不知火海一円に及び、イカ、タチウオ、ガラカブ、アジ、イツサキ、クロイオ、チヌ、タコなどを捕り、貝、カキ、ビナなども捕つていた。

昭和三七年夫が漁業をやめたのに伴い、同原告も漁業をやめ、真珠養殖の日雇いに従事して昭和五二年八月まで続けた。右のように同原告は、濃厚汚染時代に漁業に従事し、漁業と密接に関連した生活をしていた。

Ⅲ 食生活

魚が主食のようなものであり(タチウオが一番多い)、子供のころからずつと多食してきた。刺身にしたり、みそ汁にいれたり、煮付けにしたり、から揚げにしたりして朝、昼、夕三度三度食べていた。夫が診療所に就職した後も、患者さんや近所の人から魚をもらつたりして食べていた。魚を食べる量は御飯の量より多く、水俣湾で捕れたタチウオなども食べ、アサリ貝は毎日のように食べていた。

右のように同原告がメチル水銀の汚染をうけたことは確実である。

Ⅳ 家族らの汚染の事実

同原告の長女西浦志真子(昭和一六年五月一〇日生)は、嵐口で漁業に従事しているが、現在認定申請中である。夫も足の感覚が鈍く引きずつて歩いているが、嵐口診療所に勤務していることを考慮し認定申請していない。右のように家族らの状況によつても汚染の事実が裏付けられる。

Ⅴ 環境の異変

猫を三匹飼つていたが、いずれもヨロヨロと弱つていなくなつていつた。昭和三三、四年ころタチウオ、アラ、イカなどの魚が浮いていたが、同原告はこれらを捕つて食べていた。

Ⅵ まとめ

以上のとおり、同原告は濃厚汚染当時、地域的にも職業的にも食生活上においても家族的にもメチル水銀の汚染を濃厚に受けた事実は明らかである。

② 同原告の健康障害

Ⅰ 現病歴

昭和四七年頃から足先が冷えてあたたまらなくなり、昭和四八年頃手足のしびれと頭重感がするようになつた。昭和五〇年頃から指先の仕事がのろくなつた。当時真珠の養殖の日雇いに行つていたが、かごに真珠を並べる仕事を他人が二つする間に一つしかできなかつた。また当時からめまいがし、目が見えなくなり、目の中に花火のようなちかちかを感じるようになつた。昭和五一年頃から耳が遠くなり、昭和五三年頃から臭いがわからず、味覚も鈍くなつて、右足のふくらはぎが肉ばなれするように感じるようになつた。なお、昭和五二年一二月認定申請をした。

Ⅱ 自覚症状

同原告の自覚症状をまとめると次のとおりである。

手足のしびれ、頭重感、右肩と腰の痛み、下肢のだるさ、耳が遠い、臭いがわからない、味がわからない、手から物を取り落とす、言葉がでにくい、手足の力が弱くなつた、上肢のカラス曲り、不眠、疲れやすい、食欲がない、根気がない、物忘れする、頭がふらつとして倒れそうになるなど。

Ⅲ 臨床所見

イ 知覚検査では、口周囲、両上、下肢末端の手袋、足袋状の触覚、痛覚鈍麻があり、四肢末端の知覚障害を認める。

ロ 失調症状については、一直線上の歩行時動揺軽度、一直線に足を並べての直立時中等度動揺、ロンベルグ軽度陽性、開眼、閉眼時片足立ち不安定、しやがみ動作不円滑で踵の挙上なし、指鼻試験はずれ軽度、ジアドコキネーゼ左右とも遅い、指と指のタッピング少し遅い、着衣動作拙劣、書字、線引き明らかに失調性、その他に失神様発作が時にある。

ハ 軽い構音障害を認める。

ニ 求心性視野狭窄、難聴を認める。その他、味覚・嗅覚障害がある。

ホ 精神症状は、抑うつ的で意欲減退があり、記銘・記憶力の障害を認め、暗算は多少遅い。

③ 結論

以上のとおり、同原告はメチル水銀の汚染を濃厚にうけ、かつ前記健康障害を有しており、水俣病の診断を確実にするものをみたしており、水俣病である。

原告野崎光雄

① メチル水銀濃厚汚染の事実

Ⅰ 居住地

同原告は、御所浦町嵐口で大正八年三月に出生し、戦時中の昭和一四年から終戦の昭和二〇年まで一時兵役に服していた期間と昭和四九年からの五年余の期間を除き、同所に居住していたものである。御所浦町はメチル水銀に濃厚に汚染された地域であり、濃厚汚染の当時、一貫して居住していたことは同原告が濃厚に汚染されていたことを裏付けるものである。

Ⅱ 職業歴

同原告は、巾着網の網元をしていた漁師の家に生まれ、尋常高等小学校高等科二年を中退した後、直ちに漁業に従事し、巾着網の網子としてアジ、イワシ等の漁獲に携わつた。昭和一四年から終戦までは兵役のため嵐口を離れていたが、戦後は再び巾着船に乗り、網子として漁に従事した。漁場は主に水俣沖、田浦沖、米ノ津沖、茂道沖であつたが、昭和三八年からは魚があまり捕れなくなり、昭和四九年漁業を辞め、大阪に一時出稼ぎにでたものの高血圧等の持病のため昭和五四年二月嵐口へ帰つた。それ以降は特に仕事はしておらず、月2.3回釣に出る程度である。

Ⅲ 食生活

魚を主食とし、刺身、煮付け、焼魚として食べるほか、貝も浜から採つて食べていた。漁に出ていた頃は、魚を一日に大皿山盛一杯以上は食べており、昭和三〇年頃魚が大量に浮いた時も、死んだ魚は食べなかつたが、まだ生きている魚は沢山捕つてきて食べていた。

Ⅳ 家族らの汚染の事実

妻フデノは、認定申請中である。

Ⅴ 環境の異変

昭和二三、四年頃、飼猫が首を垂れてキリキリ舞いをし二、三日後に死んだ。また昭和三六、七年頃、魚を餌としていた豚が子供を産んだのち立てないこともあつた。

Ⅵ まとめ

以上のとおり、同原告は、居住地、職歴、食生活等からみて、メチル水銀の汚染を濃厚に受けた事実が認められる。

② 同原告の健康障害

Ⅰ 現病歴

昭和三七、八年頃から手足のしびれ、ややおくれて頭痛が始まつた。昭和四〇年頃には、他の人から手の震えを指摘され、この頃から牛深の病院で高血圧の治療を受けるようになつた。昭和四六年の熊大の検診で水俣病と診断された。症状が強かつた時は手足・身体がだるく動かなくなつたこともある。昭和五三年頃から多彩な自覚症状があらわれ、水俣協立病院の治療を受け、今日に至つている。

Ⅱ 自覚症状

両手、両足のしびれ、手のふるえ、手足(特に手)のカラス曲りや脱力感、手足、脇腹のピリピリした痛み、肩及び後頭部の痛み、疲労感が強い、不眠、目がかすむ、ボタン掛けが難しい、などがある。

Ⅲ 臨床所見

イ 四肢末梢性タイプの表在知覚(触覚、痛覚)障害がある。

ロ 失調症状では、直立時や普通の歩行時に軽い動揺があり、一直線上の直立・歩行時に著明な失調が認められる。片足立ちは不安定で閉眼しての片足立ちは不能である。

ハ 精神症状

やや多幸的で深刻味はなく、軽い知的機能の低下がある。

③ 結論

以上のとおり、同原告は、メチル水銀の汚染を濃厚にうけ、かつ前記健康障害を有しており、水俣病の診断を確実にするものをみたしており、水俣病である。

亡竹部貞信

① メチル水銀濃厚汚染の事実

Ⅰ 居住地

同人は、明治三九年二月御所浦町嵐口で出生し、現在にいたるまで嵐口に住んでいる。嵐口地区は、多数の水俣病患者がいるメチル水銀汚染地域である。

Ⅱ 職業歴

同人は、漁業を営む家に生まれ、小学校卒業後家業の漁業に従事し、昭和一〇年頃まで長崎県五島沖を主たる漁場としていたが、その後は不知火海一円、特に水俣沖で漁をし、巾着網を使つてタチウオ、イワシ、タレソ等を捕つていた。昭和三〇年以降は、魚があまり捕れなくなつたので貨物運搬船に乗り、長男と一緒に材木や石を水俣、出水から北九州方面へ運ぶ仕事をした。昭和四九年腸閉塞で手術をしてから船を降り、その後脳卒中で倒れて闘病生活を送つていたが、昭和六一年一〇月二二日死亡した。

Ⅲ 食生活

嵐口で生まれ育つたため、小さいころから魚を多食し、特に漁をしている頃は、網にかかる魚(イワシ、タチウオ、イカ等)を三度の食事に欠かさなつた。運搬業を始めてからも、自家用の魚は釣つたり、親類から貰つたりして毎日食べていた。食べる量は昔にくらべ大分少なくなつていたが、それでも毎日食べていた。

Ⅳ 家族らの汚染の事実

妻 タカノ、妹 吉永スサエ、その夫 吉永文男は、いずれも認定を申請中である。弟の浦崎貞盛も申請中であつたが、昭和五四年死亡した。

Ⅴ まとめ

以上の通り、竹部貞信がその居住歴、職業歴、食生活等の点からみてメチル水銀に濃厚に汚染されていたことは明らかである。

② 同人の健康障害

Ⅰ 現病歴

昭和三〇年、貨物船に乗るようになつてから手足のしびれ感、筋のけいれん、カラス曲り等の症状が発現してきた。特に冬、症状がひどくなつたが、当時は仕事のしすぎであろうと思つていた。昭和四四年頃からは物がよく見えない症状も出てきた。

Ⅱ 自覚症状

主な自覚症状は次の通りであつた。手足のしびれ感、左肩まひ、腰痛、視力聴力の低下、耳鳴、嗅覚鈍麻、手の自由がきかずタバコをとり落とす、カラス曲り、筋肉がピクピクする、易疲労感、物忘れする、頭がフラフラする、不眠、左半身のふるえなど。

Ⅲ 臨床所見

イ 知覚検査では、左側の半身の障害と同時に右側の末梢性の著明の知覚障害及び口周囲の表在性感覚障害が認められた。

ロ 求心性視野狭窄が認められた。

ハ 失調症状では、右側の右指鼻試験ではずれ、右ジアドコキネーゼ陽性であつた。

ニ 聴力障害、構音障害も認められた。

ホ 精神症状としては、情意面で抑うつ状態が強く、知的機能面は記銘力、記憶力障害があつた。

③ 結論

以上の通り、同人はメチル水銀の汚染を濃厚に受け、かつ前記健康障害を有しており、水俣病の診断を確実にするものをみたしており、水俣病であつた。

<以下省略>

2  責任

(一) 被告チッソについて

(1) 一般に化学工場は、化学反応を利用して各種の化学製品を製造するのであるから、右製造過程において多種多量の危険物を原料や触媒として使用し、右過程において副生される物質は、動植物は勿論人間に対して重大な危害を加えるおそれの蓋然性が高度である。従つて、化学工場が廃水を工場外に放流する場合、常に高度の知識と技術を用い、廃水中に含まれる危険物質の有無、程度、性質等を調査し、人体等に危害を加えることのないよう万全の措置をとり、有害であることが判明し安全性に疑念が生じたときには、直ちに操業を中止する等の必要な措置を講じ、地域住民の生命、健康に対する危害を防止すべき業務上の注意義務がある。

(2) 本件において、被告チッソは、水俣工場のアセトアルデヒド等の製造工程において、触媒として人体に有毒である水銀化合物を大量に使用し、右製造工程で生ずる工場廃水に相当量の水銀化合物が流失するのを認識しながら敢えて工場廃水に流失させ、さらに右工場廃水には、アセトアルデヒド製造工程において、副生する人体に最も有毒な物質の一つである有機水銀化合物(メチル水銀化合物)をも含んでおり、人体を含む生体に極めて危険であり、右工場廃水に起因する水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁、廃水中の残滓の海底における堆積及び魚介類の斃死減少、水俣湾及びその付近海域の魚介類を餌として摂取した鳥、猫、犬、豚等の鳥獣が狂死する異変が相次ぎ、人体に対しても危害が発生することが容易に推測される異常状態が続いていたのであるから、右工場廃水を排出する場合、人体に危害が発生しないよう右工場廃水を十分に調査分析して右有害物質を除去するか若しくは工場外に排出しないようにすべき少なくとも業務上の注意義務があるにも拘らずこれを怠り、長期かつ大量に右有毒物質を含む工場廃水を不知火海に排出した過失により、殊に右工場廃水に有毒物質が含まれている高度の確かさによる推定がされるに至つた後においても、右工場廃水の分析検討をすることもせず、現に人体被害が続出していたにも拘らず人命を軽視ないし無視するかの如くにアセトアルデヒド等の増産を続けて更に大量の工場廃水を殆ど無処理のまま一〇年以上にわたつて不知火海に排出し続けた重大な過失により、不知火海の魚介類を有機水銀化合物(メチル水銀化合物)によつて汚染し、沿岸住民である福田いつ子を除く本件患者らを右汚染魚介類を経口摂取したために水俣病に罹患させ、福田いつ子の母 原告福田アサエが右汚染魚介類を経口摂取したことにより福田いつ子を胎生期に胎盤を通じて有機水銀化合物に侵させて胎児性水俣病に罹患させたものである。従つて、被告チッソは、民法七〇九条により原告らに対し後記損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告国及び同熊本県について

(1) 事実の認識状況

被告国及び同熊本県は、

昭和二九年八月頃の段階

昭和二九年八月頃には、水俣湾及びその付近海域が水俣工場の多年にわたる水銀化合物等を含む工場廃水の排出によつて汚穢汚濁し、その魚介類が工場廃水に含まれる有毒物質によつて多量に斃死して減少し、棲息する魚介類も右有毒物質によつて汚染されており、その魚介類を経口摂取した猫などの動物が狂死し、沿岸住民の中にも原因不明の中枢神経疾患に罹患する者が出現した事実を調査報告によつて認識していたのであるから、水俣工場の工場廃水、右廃水によつて汚染された魚介類が人体の生命、健康を害うことを認識しており、仮に認識していなかつたとするならば、右事態から容易に認識しえた筈である。

昭和三一年一一月頃の段階

昭和三一年一一月頃には、水俣工場廃水により水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁が益々深刻化しており、工場廃水に含まれる有毒物質によつて汚染された魚介類が数知れず斃死し、汚染された魚介類を経口摂取した猫、豚、犬等の家畜が地域ぐるみ中枢神経疾患によつて狂死し、沿岸住民にも狂死した家畜類似の症状による患者が続出して死亡者が相次ぎ、右患者の大多数の者が水俣湾及びその付近海域の汚染された魚介類を経口摂取した者であり、水俣湾及びその附近海域の魚介類が水俣病を発病させ、右魚介類を汚染する有毒物質が水俣工場廃水に含まれていることが強く疑われていたのであるから、水俣湾及びその付近海域の魚介類が水俣工場廃水に含まれる有毒物質によつて有毒化し、右魚介類が人体の生命、健康を害うこと及び右事態が深刻であることを認識しており、仮に認識していなかつたとするならば、右事態から容易に認識しえた筈である。

昭和三二年九月頃の段階

昭和三二年九月頃には、被告国、同熊本県の機関、研究陣等が、水俣湾内の魚介類の摂食中止の緊急の必要性のあることを強調し、当時の食品衛生法四条二号の適用による水俣湾内の魚介類の漁獲禁止を提言し、水俣病は、水俣湾内の魚介類を経口摂取することによつて発病するものであり、魚介類の汚染源は、化学物質ないし重金属であつて、右化学物質ないし重金属は、水俣工場廃水に含まれているものと推定され、汚染魚投与による動物実験によつても水俣病同様症状の発症することが立証されていた。従つて、その頃には、水俣工場廃水に含まれる化学物質ないし重金属等の有毒物質によつて汚染された魚介類が人体の生命、健康を害うこと及び水俣工場廃水の排出停止、水俣湾の魚介類の漁獲、販売禁止等の措置をとるべき切迫した緊急事態であることを認識していた。

昭和三四年一一月頃の段階

昭和三四年一一月頃には、水俣工場廃水の排出によつて水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁はさらに深刻化して拡大し、水俣工場の水銀化合物を触媒として製造するアセトアルデヒド及び塩化ビニールモノマーの廃水の排水路を水俣湾に通ずる百間溝から水俣川河口に通ずる排水路へ変更したことにより水俣川河口付近の沿岸住民にも水俣病患者が続発して患者発生地域が拡大し、さらに不知火海一円にわたつて猫の狂死が相次ぎ、被告国の機関からも水俣工場廃水の排出規制の提言や、熊本県知事、水俣市長及び漁業協同組合等から漁獲禁止の法的措置の切なる要求や水俣工場廃水の即時排水停止、漁業補償等の決議、陳情が相次ぎ、被告国の機関、大学等からも水俣病は、水俣湾及びその付近海域の汚染された魚介類を多量に摂取することによつて起こるある種の有機水銀化合物による主として中枢神経系疾患であり、魚介類の汚染源は、水俣工場廃水であるものと推定する見解が表明され、水俣工場付属病院医師細川一の動物実験によつても、水俣工場廃水に含まれる有毒物質が、水俣病と同一症状を発症せしめることが立証されていた。従つて、その頃には、水俣工場廃水、右廃水に含まれる有毒物質(ある種の有機水銀化合物)によつて汚染された魚介類が、人体の生命、健康を害うことは明らかであつて、事態は益々深刻化し、水俣工場廃水の排出停止、水俣湾の魚介類の漁獲禁止等の措置を直ちにすべき極めて切迫した緊急事態であることを認識していた。

(2) 被告国及び同熊本県の国家賠償法上の責任

被告国、同熊本県は、前記のとおり昭和二九年八月頃から遅くとも昭和三四年一一月頃には、水俣工場廃水が水俣湾及びその付近海域における魚介類を有毒物質で汚染し、その汚染魚介類を摂取することによつて沿岸住民の中に水俣病を発症する者が続出し、水俣工場廃水の排出及び汚染魚介類の採捕・販売の禁止等の措置を講ずべき緊急事態であつて、右事実を認識し、又は容易に認識しえた筈であるから、後記のとおり漁獲、販売等の禁止及び水俣工場廃水の排出停止等の規制権限等を行使すべき作為義務が発生し、これを行使しなかつたため本件患者らに後記のとおりの損害を与えたものである。従つて被告国及び同熊本県は国家賠償法一条、三条一項によつて原告らが被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(3) 被告国及び同熊本県の作為義務の発生(存在)

行政庁の安全確保義務

国民の生命、健康の保持については、憲法前文、一三条、二五条が基本的人権の中でも至上なものとして定めており、食品衛生法等の下級規範は、究極的には、最大限に尊重される国民の生命、健康の保持に奉仕するためにある。本件における被告国、同熊本県の責任は、一私企業である被告チッソが行つた加害行為及び被害の発生を適切な行政措置を講ずることによつて防止すべき義務が存在したにも拘らず、これを防止しなかつたことにある。国民は、企業の営利活動によつて生命、健康が危険にさらされることがあり、このような危険の防止と生命、健康等の安全確保の責務を法によつて行政庁に信託しているものである。行政庁は、このような国民の安全を確保すべき責務を負つているのである。

行政庁の不作為の違法性

国民の生命、健康が重大な具体的危険にさらされているときに行政庁の不作為が違法となる場合は、

① その一 規制権限不行使が違法となる場合(裁量収縮の理論)

行政庁が右責務を全うするためになすべき規制権限が、各種法規に規定されており、右規制権限を行使すべき事態に権限を行使しなかつたときに行為義務違反となる。行政庁は、国民の生命、健康が重大な具体的危険にさらされているときには積極的に右侵害の排除、予防に資する各種法規の規制権限を行使して国民の生命、健康を守るべき義務がある。次に各種法規が行政庁に規制権限を与えてはいるが、行使するか否かにつき行政庁の裁量に委ねられているときには、一般に権限の不行使は違法とはならないが、以下のような場合には、権限の行使、不行使につき裁量の余地がなく、規制権限の不行使は違法となる(裁量収縮の理論)。

Ⅰ 国民の生命、健康に対する重大な具体的危険が切迫しているとき。

Ⅱ 行政庁が右危険を知つているか又は容易に知りうるとき。

Ⅲ 規制権限を行使しなければ結果発生を防止しえないことが予想されるとき。

Ⅳ 国民が規制権限の行使を要請し期待しうる事情にあるとき。

Ⅴ 行政庁において、規制権限を行使すれば、容易に結果発生の防止をすることができるときの各要件を充足する事態にある場合に規制権限の不行使は裁量権の消極的乱用というべき著しい不合理な状態であるから違法となる。

② その二 注意義務違反=有責

さらに進んで国民の生命、健康を害う重大な危険が予想されるときは、行政庁は、あらゆる規制権限等を行使して国民の生命、健康を害う結果の発生を防止すべき注意義務があるものというべく、右義務に達反して結果が発生した場合には、行政庁は被害者に対して損害賠償責任を負わなければならない。

③ 規制権限の発生根拠

ところで、国民の生命、健康に対する重大な危険が切迫しており、行政庁が右事態を容易に知りうるとき等前記各要件該当の事実があるときには、行政法規の趣旨、目的が直接個々の国民の生命、健康を守ることになかつたとしても、当該法規が間接的究極的には、個々の国民の生命、健康の安全の確保にあるのであるから、直接個々の国民の生命、健康の安全確保を目的とし右緊急事態に即応する適切妥当な行政法規がないときでも、右緊急事態に対処し、個々の国民の生命、健康の安全確保を直接の趣旨、目的としない行政法規の定める規制権限を行使することによつても右重大な危害を防止若しくは排除することが可能である場合には、緊急避難的行為として当該法規を適用すべき義務があり、さらに右のような行政法規が存在しない場合においても、個々の国民の生命、健康の重大な侵害行為の危険が現実化し若しくは切迫して前記各要件を充足する事態である場合には、規制権限が発生し規制権限を行使すべき義務があり、行政庁は規制権限を行使し、或いは強力な行政指導をする等あらゆる可能な手段を盡して危害の発生を防止及び排除の措置をとるべき法的義務がある。

本件における被告国及び同熊本県の作為義務の発生(存在)

被告国、同熊本県は、住民の生命、健康の安全を確保すべき法的義務を憲法を頂点として、厚生省設置法、地方自治法等の基本法によつて負つており、広域多数の住民の生命、健康を害う工場廃水に含まれる有毒物質によつて罹患する水俣病のような重大な危害の発生を認識し、或いは予見しえたのであるから、直ちにあらゆる法的権限を行使し、できる限りの予防措置をとるべき法的義務を負つていた。ましてや、現実に多数住民の生命、健康に重大な危害が発生していることが確認され、その原因が被告チッソの水俣工場廃水に含まれる有毒物質であり、これに汚染された魚介類を摂取することによるものであることが判明した時点においては、直ちに魚介類の採捕及び販売の禁止、水俣工場廃水の排水停止ないし浄化装置の設置を命ずべき法的義務を負つていたのであつて、以下のとおり各種法規に基づく規制権限等を行使し、強力な行政指導をなすべき法的義務を負つていた。

右義務発生の根拠としての各種法規等

① 食品衛生法(昭和四七年六月法律第一〇八号による改正前のもの、以下同じ。)

食品衛生法は、憲法一三条、二五条を上位規範とし、これを受けて制定されている法規であり、食品衛生法は、直接には食品製造販売業者を規制の対象とし、公衆衛生の安全確保を目的としているが、公衆衛生の安全確保は、個々の国民の生命、健康の安全確保の集積であるから結局、間接的究極的には、個々の国民の生命、健康の安全確保に欠かすことのできない食品の衛生及び安全な供給の確保を目的としているものである。同法は、また営業の自由も保護利益としているが、個々の国民の生命、健康の保全が他の基本的人権に最優先するものであるから、営業の自由といえども、社会公共の福祉、就中、個々の国民の生命、健康の安全確保を脅かし危害を加えるおそれがあるような場合には、行政庁は、社会福祉、公共の福祉のために積極的に介入して営業の自由を規制すべき法的義務がある。基本的人権中最上位にある国民の生命、健康の保持のためには、営業の自由にも右見地からの内在的制約があり、法律による行政なる理念は、専制君主の専横を排除するために役立つたが、国民の生命、健康の保持、安全確保の面では、積極的に、福祉行政をなすべきであり、法律による行政という古い形式的消極的理念で対処することは最早許されない。食品衛生法四条二号は、有毒な魚介類を販売するために採取し、加工する等の行為を禁止し、厚生大臣にこのような目的を達成するための規制権限を付与したに留まらず、付与された権限を適正に行使すべき職務上の義務を負わした義務規定である。同法四条二号の適用にあたり魚介類が有害ないし有毒化する過程が明らかであることも、魚介類の有毒物質を特定する必要もない。厚生大臣又は熊本県知事は、同法二二条により食品営業者に食品の廃棄等を命じ営業許可の取消し等の規制権限を行使する義務が発生していた。

② 漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの)、水産資源保護法、熊本県漁業調整規則

漁業法は、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とし、水産資源保護法は、水産資源の保護培養を図り、漁業の発展に寄与することを目的とし、熊本県漁業調整規則は漁業法六五条、水産資源保護法四条に基づき制定され、同規則は水産動植物の繁殖保護を図ることを目的とする法規である。しかしながら、右各法規も間接的には、水産動植物の採取、販売等により安全な魚介類の継続的安定的供給をし、もつて食生活上国民の生命、健康の安全確保を目的としているのであるから、水俣工場廃水に含まれる有毒物質によつて水俣湾及びその付近海域の魚介類が汚染されて著しく斃死して減少し、棲息する汚染魚介類を経口摂取した多くの沿岸の多数の住民を水俣病に罹患させ、生命、健康に重大な危害が現実化し切迫している緊急事態にあつては、被告国、同熊本県は、右事態に対処するために同規則三〇条に基づく知事許可漁業の取消し等の右各法規の定める規制権限を行使して規制をなすべき義務を負つていた。主務大臣または熊本県知事は、漁業法六五条、水産資源保護法四条により水俣湾及びその付近海域の汚染魚介類の採捕に関する制限又は禁止をし、水産動植物若しくはその製品の販売又は所持に関する制限又は禁止をし、熊本県漁業調整規則三二条により水俣工場廃水に含まれる有毒物質の除害に必要な設備の設置又は除害設備の変更を命じ、熊本県知事は、漁業法三九条一項、熊本県漁業調整規則三〇条一項により水俣湾内の知事許可漁業を停止させる等の操業停止の規制をなすべき権限があり、規制権限を行使すべき義務が発生していた。

③ 公共用水域の水質の保全に関する法律(昭和三三年法律第一八一号、以下「水質保全法」という。)及び工場排水等の規制に関する法律(昭和三三年法律第一八二号、以下「工場排水規制法」という。なお、右二法は、昭和三三年一二月二二日成立、昭和三四年三月一日施行(但し、水質保全法の和解の仲介の章は同年四月一日から施行。)し、昭和四五年法律第一三八号による水質汚濁防止法の同年一二月二五日公布によつて廃止された。)

右二法は、まさに行政庁が不知火海沿岸住民の生命、健康の安全を確保するため水俣工場廃水の排水を規制するべく制定されたものというべき法律であり、直ちに適用されるべき法律であつた。

水質保全法は、公共用水域の水質の保全を図り、あわせて水質の汚濁に関する紛争の解決に資するため、これに必要な基本的事項を定め、もつて産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与することを目的とし、ひいては国民の生命、健康を守ろうとするものである。工場排水規制法は、製造業等における事業活動に伴つて発生する汚水等の処理を適切にすることにより、公共用水域の水質の保全を図ることを目的とし、水質保全法を中心とする水質汚濁防止体制の中で、工場排水規制法は、製造業等を汚染源とする分野における具体的な規制を担当する法律である。

水質保全法は、経済企画庁長官が港湾、沿岸海域等の公共の用に供せられる水域の水質の保全を図るために水汚染が問題となつている水域を指定し(指定水域の指定)、その指定水域に排出される水の汚染度の許容基準の設定(水質基準の設定)をなす義務(同法五条一、二項)を定め、工場排水規制法は、内閣が製造業等の用に供する施設のうち汚水等を排出するものを政令で「特定施設」として定め(同法二条)、特定施設ごとに主務大臣を定める義務がある(同法二一条)ことを定める。主務大臣は、特定施設を設置している者に対し、特定施設の使用方法の計画の変更命令や汚水の処理方法の改善命令等の必要な措置をとる義務がある(同法四条以下)。主務大臣は、特定施設の工場排水等の水質が当該指定水域にかかる水質基準に適合するか否かを検討し、適合しないと認めるときは、汚水の処理方法に関する計画の変更、特定施設自体に対する計画の変更又は廃止、汚水等の処理方法の改善、特定施設の使用の一時停止、その他必要な措置をとるべき旨を命じ(同法七条、一二条)、必要によつては立入検査、報告の徴収をし(同法一四、一五条)、もつて公共用水域の汚染の防止、水質の保全をはかるべき義務がある。主務大臣は、指定水域の指定がない場合でも、特定施設を設置している者に対し、その特定施設の状況、汚水等の処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告をさせ(同法一五条)、その調査結果によつては、各工場、各事業場に対し汚水処理施設を整備させるための行政指導を積極的に行う義務がある。以上のとおり右二法は行政庁に対し規制権限を付与し、規制すべき要件を充足した場合には、規制をなすべき義務を定めた法規であり、昭和三四年一一月時点では、緊急事態であつて前記五要件を充足していたことは明らかであり、右規制権限を行使すべき義務が発生していた。右義務の違反は作為義務違反である。

④ 警察法、警察官職務執行法

警察法は、警察が個人の生命、身体、財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、その他公共の安全と秩序維持に当ることを責務とする法律であり、警察官職務執行法は、右責務を忠実に遂行するために必要な手段を定めることを目的とする法律である。そこで、食品衛生法三〇条により同法四条に違反する行為は、犯罪行為であるから警察官職務執行法五条によつてこれに該当する水俣湾内の汚染魚介類の漁獲行為ないし販売行為がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のための警告を発し、又右行為により人の生命若しくは身体に危険が及び急を要する場合においては、その行為を制止する措置をとるべき義務があつた。次に熊本県漁業調整規則五八条一項により同法三二条一項に違反して水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、または漏せつするおそれがあるものを放置した者に該当する被告チッソに対し、警察官職務執行法四条一項、五条によつて有毒物質を含む水俣工場廃水の排水に対する警告または制止の措置をとるべき義務があつた。警察官の右義務違反は作為義務違反となる。

⑤ 行政指導

通産省等の行政庁は、企業に対する種々の許認可権を有し強大な権力を背景として企業に対し行政指導の名のもとに実質的規制をし、企業も事実上これを否めないのが通例である。従つて、行政庁が事態に即応してなすべき行政指導を怠り、国民の生命、健康に対する重大な危害の発生を防除しなかつたときには、作為義務達反となる。殊に多くの住民の生命、健康に重大な危害が発生し若しくは切迫した緊急事態にあつた本件のような場合には、被告国、同熊本県は、右事態に直ちに対応し危害を除去する適切な明文の法規が存在したか否かに拘らず、行政指導により万全の方策を盡して被害の発生を防止すべき義務があり、被害の発生を防止するために盡すべき行政指導を適切に盡さなかつた場合、作為義務違反となる。被告国、同熊本県は、行政指導を単なる行政サービスに過ぎず法的責任を負わないとし、緊急事態にあつても、これに対応する立法を顧慮することなくもつぱら行政指導によつて盡すべき対応措置をしたと広言し、他方、提訴を受けるや既存の実定法規が存在しなかつたから法的作為義務はなく止むをえなかつたかの如く強弁するのは、国民の生命、健康の安全確保のための行政を信託された被告国、同熊本県のとるべき態度ではない。

被告国、同熊本県は、いち早く水俣工場廃水の分析、処理、汚染海域の漁獲禁止、汚染魚の販売禁止等について行政指導を十分に盡すべき義務があつた。

(4) 被告国及び同熊本県の具体的作為義務の違反(規制権限の不行使)

魚介類の捕獲販売等の禁止の措置をとらなかつた違法

① 昭和二九年八月頃の段階

Ⅰ 水俣工場廃水に含まれる有毒物質によつて汚染された水俣湾内の魚介類は、食品衛生法四条二号の有毒な物質が含まれているものに該当し、同条によりこれを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために採取し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列することを禁止する規制権限行使の要件を充足し、水俣湾及びその付近海域の沿岸住民の生命、健康を害う重大な危険が切迫し、若しくは現実化して緊急かつ必要な措置を講ずべき事態にあり、被告国、同熊本県は、右規制権限行使の裁量の余地はなく規制権限行使の義務が発生していた。販売目的のための採取、加工、使用、調理、貯蔵、若しくは陳列の各行為の規制の対象者は、右行為者の総てであり、漁民の採取については、主として販売目的で採取されるのであるから禁止の対象となり、その他魚介類の加工業者、鮮魚商、冷凍業者等の汚染魚介類につき右行為を行う者が当然に含まれる。なお、右規制に対する違反者には、同法三〇条一項を適用して処罰を求め実効性を高めることもできた筈である。次に、販売行為の規制の対象者は、汚染魚介類の販売行為をする者の総てである。右販売行為者のうち鮮魚商等の営業者については、同法二二条により厚生大臣又は熊本県知事は、食品の廃棄その他の必要な処置をとり、又は営業許可の取消し及び営業の禁止又は停止等の規制権限を行使すべき義務があつた。右販売行為をした者には、右規制に従わない営業者に対し同法三一条三号、営業者でない者に対し同法三〇条一項を各適用して処罰を求め実効性を高めることもできた筈である。

Ⅱ 水俣湾内の当時の汚穢汚濁による魚介類の汚染状況によれば、主務大臣(農林大臣)又は熊本県知事は、漁業法六五条一項及び水産資源保護法四条一項により、水俣湾内の魚介類の採捕、販売を禁止する規制権限を行使すべき義務があり、採捕、販売禁止に関する必要な省令、規則を制定する義務があつた。次に、熊本県知事は、汚染魚介類の漁獲禁止をするために漁業法三九条一項、熊本県漁業調整規則三〇条一項に基づき水俣湾内の知事許可による漁業権を停止させる規制権限行使の義務があつた。水俣湾内では、水俣市漁業協同組合が共同漁業権を有しており、右漁業権の行使を停止させたときは、漁業権者か否かを問わず漁獲することができなくなり、右に違反する者については、漁業権者は漁業法一三八条三号、漁業権者でない者については同法一四三条による処罰を求めて実効性を高めることができた筈である。なお、右汚染魚介類の捕獲禁止に違反する者に対しては、警察官は警察官職務執行法四条一項に基づき取締りをし、警察庁長官等の取締りの枢要な責任者は部下を指揮してその実効性を高めることができた筈である。

Ⅲ 厚生大臣又は熊本県知事は、食品衛生法一七条により水俣湾及びその付近海域の沿岸の魚介類を取り扱う営業者その他の関係者から必要な報告を求め、担当係員をして臨検、検査をする等の調査権限を行使する義務があつた。

Ⅳ 厚生大臣又は熊本県知事は、水俣湾内の漁獲を行う漁民に対し魚介類が汚染されて有毒化しており、摂食すれば水俣奇病に罹患する旨の警告を立札、回覧、放送等により反復して周知徹底させ、捕獲、販売をしないよう強力な行政指導をすべき義務があつた。

② 昭和三一年一一月頃、昭和三二年九月頃、昭和三四年一一月頃の各段階

有毒物質を含む水俣工場廃水は、アセトアルデヒド、塩化ビニール等の急激な増産が進むと共に排水量も増大して昭和二九年一〇月以降の水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁は、魚介類に壊滅的な影響を与え、棲息する魚介類を有毒物質で汚染して沿岸住民の生命、健康を害い、水俣病患者が続出し、発生地域も拡大する等して破滅的な事態に陥つて行つたことから、①Ⅰ、Ⅱの食品衛生法四条二号、二二条、漁業法六五条、水産資源保護法四条等の適用による水俣湾内の魚介類の捕獲禁止等の規制権限を行使すべき義務があつたことはいうまでもない。殊に、昭和三一年五月一日、熊大研究班が水俣湾内の汚染魚介類の摂取によつて水俣病が発症する旨の報告をした時点以降は、最早、論議の余地はなく、水俣湾内の魚介類は種類を問わず危険性を有しており、右規制権限を行使すべきであつた。厚生省が昭和三二年九月一一日付公衆衛生局長名でした見解即ち水俣湾内特定地域の魚介類の総てが有毒化しているという明らかな根拠が認められないから、総ての魚介類につき食品衛生法四条二号を適用できないというのは、科学的ではなく右規定の適用を避けようとする言い逃れであつて詭弁というほかはない。

被告国、同熊本県の漁獲禁止等の措置をとる規制権限不行使による作為義務違反は明らかであつた。さらに行政指導による捕獲、販売を抑止する義務があつたことも勿論のことである。

水俣工場廃水の浄化又は排出停止の措置をとらなかつた違法

① 昭和二九年八月頃の段階

Ⅰ 水俣湾内には、水俣工場がアセトアルデヒド及び塩化ビニール等の製造によつて生ずる水銀等の有毒物質を含む水俣工場廃水が排出され続けて汚穢汚濁し、右有毒物質に汚染された魚介類を経口摂取することによつて沿岸住民に水俣奇病が発症し、人体被害が発生する緊急事態に突入していたのであるから、熊本県知事は、漁業調整規則三二条二項に基づいて水俣工場廃水、就中、アセトアルデヒド醋酸及び塩化ビニール各製造廃液の排出行為につき、被告チッソに対し有毒物質の除去に必要な設備の設置を命じ、さらに、有毒物質の特定及び設備の設置準備期間中の右製品製造工程の廃液を百間港へ排出することを禁止し、工場内に留める設備をするよう命ずる等の規制権限を行使する義務があつた。右規制に違反した場合には、同規則五八条三号による処罰を求め、熊本県警察本部長は、熊本県警察所属の警察職員を指揮して捜査を行う等して、右規制の実効性を高めることができた筈である。

Ⅱ 通商産業大臣又は熊本県知事は、被告チッソに対し有毒物質を含む水俣工場廃水の浄化装置の設置、廃水の排出停止等を強力に行政指導すべき義務があつた。

② 昭和三一年一一月頃、昭和三二年九月頃の各段階

有毒物質を含む水俣工場廃水が水俣湾の魚介類を汚染して有毒化し、右魚介類を経口摂取することによつて水俣奇病に罹患する者が続発して死亡率も高く沿岸住民の生命、健康が害われ、或いは重大な危険が切迫し、漁民・漁業協同組合等による水俣工場廃水の排出停止等の規制を求める声も高まり、水俣地方の世情は騒然として不安が渦を巻き一刻も猶予できない緊急事態が破滅的事態に移行する過程にあつたのであるから、熊本県知事は、熊本県漁業調整規則三二条二項により被告チッソに対し即時水俣工場廃水の水俣湾に排出する行為を停止するよう命じる規制権限を行使する義務があり、これに違反して排出を続行したときは、警察官は警察官職務執行法四条により百間排水口の閉鎖をする等の措置をとり、水俣病が水俣工場廃水中の有毒物質が原因であることが明白となつた昭和三一年一一月以降は、水俣工場長等の幹部を殺人、傷害、業務上過失致死罪の嫌疑で強制捜査する等して、右規制の実効性を高めることができた筈である。水俣工場廃水の浄化装置の設置、廃水の排出停止等につき、通商産業大臣又は熊本県知事が強力な行政指導をすべき義務を負つていたことはいうまでもない。

③ 昭和三四年一一月頃の段階

Ⅰ 被告チッソは、昭和三三年以降も水俣工場におけるアセトアルデヒド及び塩化ビニールの製造量を飛躍的に増大させ、これに伴い増大した水俣工場廃水を一時期水俣川河口に排出したほかは、水俣湾に排出し続けて水俣湾及びその付近海域を汚穢汚濁し、右廃水中に含まれる有毒物質で魚介類を極度に斃死減少させ、残存して棲息する魚介類も右有毒物質に汚染されて有毒化し、これを経口摂取した沿岸住民に水俣病が一段と続出しており、漁民、漁業協同組合等から原因物質を含む水俣工場廃水の即時排出停止の悲痛な声も一段と高まり、被告国、同熊本県に対し行政庁が右事態に対し規制措置を講ずる以外右事態の改善は望みえない状態となつていた。就中、有毒物質がある種の有機水銀化合物であることが突き留められた以降はなおさらであつた。被告熊本県が、熊本県漁業調整規則三二条二項に基づき水俣工場廃水の即時排出停止の規制権限を行使すべき義務があつたことはいうまでもない。

Ⅱ 工場排水規制法及び水質保全法が全面的に施行された昭和三四年四月の時点で水俣湾及びその付近海域は公衆衛生上看過し難い影響が生じていたのは明らかであるから、水質調整基本計画を決定するまでもなく経済企画庁長官は、水質保全法五条一項に基づき少なくとも水俣川河口から水俣湾にかけての水域を指定水域の指定をし、同条二項に基づき右指定水域にかかる水質基準を水銀及びその化合物が検出されていないことと設定する規制権限を行使する義務があつた。さらに、工場排水規制法二条二項に基づき、内閣は、政令で被告チッソの水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設を汚水又は排液を排出する特定施設と定め、かつ同法二一条により通商産業大臣を主務大臣と定め、同大臣は、同法七条、一二条、一五条等に定められた規制権限に基づき少なくとも水俣工場のアセトアルデヒド廃水及び塩化ビニール廃水を工場外に排出しないよう措置を講ずる義務があつた。しかるに、アセトアルデヒド製造及び塩化ビニールモノマー製造設備のうち内閣が特定施設に組み入れて政令で指定したのは、塩化ビニールモノマー洗浄施設のみであつて、それも昭和四四年三月一三日であり、さらに、経済企画庁長官が、水質保全法五条一項に基づき指定水域の指定をしたのは、昭和四四年二月三日であり、その範囲も、水俣大橋から下流の水俣川、水俣市大字月浦字前田五四番地の一から同市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれに流入する公共用水域という狭い範囲であり、水質基準も水銀電解法苛性ソーダ製造業又はアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場又は事業場から指定水域に排出される水の水質基準をメチル水銀が検出されないこととし、昭和四四年七月一日から実施するというもので、既に昭和四三年五月一八日、水銀又はその化合物の主要な流出源であり、かつ水俣病発生源であるアセトアルデヒド醋酸製造施設を被告チッソが閉鎖してアセトアルデヒドの製造を取り止めた後のことである。被告国は、被告チッソの水俣工場における水銀を触媒とするアセトアルデヒド製造部門の閉鎖を待つて右措置をしたとしかいいようがなく、悪質な故意に基づく引き延ばしの後の遅きに失した措置であつて人道上許されない所為である。その間、昭和三四年三月から昭和四四年二月頃までには、不知火海沿岸住民のうち急性劇症型の水俣病患者は二六名、慢性型の水俣病患者は、行政庁の認定によつても一〇〇〇名を超えて発症しており、実際の患者総数はこれを遙かに超えて数万名に及んでいるものと推測される。

Ⅲ 通商産業大臣又は熊本県知事は、事態が破滅的深刻な状態であることに鑑み、水俣工場、就中、アセトアルデヒド醋酸製造及び塩化ビニールモノマー製造部門の水銀を含む廃液の即時排出停止の強力な行政指導をすべき義務があるのにこれをしなかつた。

3  損害

(一) 被害の実態

本件のような人身被害においては、その症状の悲惨さに目を奪われ、症状だけが被害のように考えてしまいがちであるが、症状のみで被害を考えてはならない。本件患者らが示す一つひとつの症状の背後には、様々な被害があり、さらに他の被害を惹起し或は増大させるなど相互に影響しあつて、複雑かつ深刻な被害が生じている。従つて、これらの各被害を個別に評価するだけでは足りず、これらが関連しあつて生ずるすべての悪循環を総ての被害として理解する必要がある。水俣病の被害は、原告らが被つた肉体的・精神的・家庭的・社会的・経済的被害などの総てを包括する総体としてとらえなければならない。即ち本件患者らが日々生活している自然及び社会環境の破壊から、家族関係及び家庭生活の破壊、さらには人間破壊、人格及び精神破壊にまで及ぶ総ての被害を有機的・総合的に結合させて、包括的に捉え、そこに示されたものを完全に回復することである。その際、結果としての被害を直視するだけでなく、加害行為との関連においても捉え、被告らが一体となつてどのような形で加害行為を遂行していつたか、加害行為の違法性、犯罪性の度合と関連して捉えなければならない。右加害行為の評価についても、単に被害の軽重、深刻さに留まらず、その被害を発生させていつた経過、発生後にとつた被害者への措置、その後の被害者に対する態度などの総ての状況を総合して被害の実態を把握すべきである。

(二) 包括請求

本件患者らの損害は、被告らの犯罪的行為によつて惹起された本件患者らの環境ぐるみの長期にわたる肉体的、精神的、家庭的、社会的、経済的損害の総てを包括する総被害である。その被害の総体を本訴において我々は包括して請求する。右包括請求の本質は、本件患者らが受けた「総体としての損害」を受けなかつた状態に完全に回復することである。それは本件患者らが人間として本来送ることのできるはずであつた「失われた生活」の総体を完全に回復することである。その損害算定の作業はまさに「人間の尊厳」そのものの価値を決定することと同等の重みをもつ作業である。損害の算定にあたつては単に被害の深刻さにとどまらず、被害を発生させるに至つた経過、被害発生後における加害者の措置、現時点における被害者に対する態度等総ての状況を総合的に判断すべきである。

(三) 包括請求の内容

本訴において、我々は、包括請求をするものであるが、当然になされたであろう出費やその他の財産的損害は、右包括請求の算定に当り斟酌すべき一事由である。なお、将来のうべかりし利益および治療費については、本訴においてこれを請求するものではない(但し将来の慰謝料は本訴請求から除くものではない。)。包括請求は、熊本水俣病第一次訴訟においてまず主張され、逸失利益中心の伝統的損害論を排斥すると共に慰謝料のみに損害を矮小化せず、公害被害の特質や加害者の姿勢等も加味して総合的に損害算定することを求め、この包括請求の正当性は、スモン薬害訴訟の相次ぐ判決において認められるに至つている。ことに広島スモン判決(広島地裁・昭和五四年二月二二日)においては「特に本件スモン事件のごとき類似被害の多発している事案においては、右のごとき請求をなす必要があるのみか、むしろこのような方法での算定には公平で実態に即しているなどで、より合理性が認められるものといえる」と述べて積極的にこの方式を採用した。この包括請求の考え方は、学説上も公害、薬害訴訟においては支持されている。しかもそれに限られず一般の民事訴訟上の損害概念の今日の動向によつても支持されるものである。即ち損害賠償の基本構造について近時根本的な反省がみられ、加害行為がなければあるべき利益状態と、加害行為がなされた利益状態の差であるとする従来の差額説自体がドイツ法の構造下で歴史的制約を帯びた見解であるとしてドイツでもこれに対する批判がある。また、交通事故訴訟においても逸失利益を中心とした実費主義では、無視しがたい不平等、不合理を生ずるところから、人身事故における損害額の評価はいわゆる財産的、精神的損害を総合した一つの非財産的損害としてなすべきであるとの主張もなされている。このように現在の損害概念に対する反省があらわれてきている背景には、多くの損害賠償事件における認容額が余りに低額であり、自らの損害にみあつていないという不満がある。今日、一般の交通事故の損害賠償請求事件においても大多数の被害者は、その損害の回復について判決額では、泣きねいりさせられるという意識しかもつていないのが現実であり、現在の損害賠償事件が、その額の認定において極めて大きな不満を被害者にもたらしており、有効、適切に対処することができていないことを示している。さらに差額説では総体の損害を捉えられないとして、不法行為制度が、原状回復の理念にもとづいてされるべきであるとの主張も有力になされている。この場合の原状回復の理念とは、権利が侵害された場合には、被害者は本来的には原状回復を請求しうべきところ、原状回復不能のために金銭賠償による外ない場合には、せめて被害者を少なくとも事故以前の客観的状態と価値的に同じ状態に置くべきであるという思想であるとされている。

(四) 本件請求額

被害者の症状の一つ一つの裏にひめられた苦しさやその症状がいくつも重なつたときの重畳的・複合的な苦しみ、さらにそれが日常生活、社会生活、家庭生活など全般にわたる一層の苦しみは到底筆舌につくせるものではない。本件患者らの損害はきわめて大きく深刻であり、それはすべての本件患者らに共通している。公害被害における規範的損害論を本件にあてはめるならば、本訴請求額は後記金額であつて極めてささやかな金額であることは明らかである。昭和四八年一二月二五日、被告チッソと水俣病被害者の会との間で締結された協定における患者本人の慰謝料は、一六〇〇万円ないし一八〇〇万円である。本件患者らは右協定締結前から長年にわたり甚大な被害を受けており、右協定がなされた後さらに一三年にわたり筆舌に尽くしがたい苦難の道を歩まされてきた。その間、本件患者らの損害は、日々増大しており、右協定の一時金をはるかに超える損害を被つていることは明らかである。さらに物価の上昇を考慮すると本件請求額は余りもささやかである。本件患者らは各自の損害のごく一部を最小限度の線で統一して一律一八〇〇万円の請求をするものである。従つて、本件患者らの請求は、包括損害の一部請求である。原告松田政行は昭和六一年七月三一日、同橋口三郎は昭和五七年一月八日、同沢田友喜は昭和五九年九月一三日、同伊藤シズヲは昭和五九年一二月六日、同伊藤フジは昭和五九年一二月六日に行政庁から水俣病の認定を受けた。しかしながらこれによつて、右原告らの損害は、被告チッソから一六〇〇万円の補償金を受領したとしても総て償えるものではない。

(五) 相続による承継

本件患者らの中、別紙相続関係一覧表記載の各死亡者の相続人ら(いずれも原告)は、右各死亡者の各損害金につき法定相続分に応じ別表請求金額一覧表の右各相続人に対応する各請求金額欄記載の各損害内金を相続によつて承継した。

(六) まとめ

そこで原告松田政行、同橋口三郎、同澤田友喜、同伊藤シズヲ及び同伊藤フジは、被告国及び同熊本県に対し各自別紙請求金額一覧表記載の右各原告らに対応する内訳(1)の金額に相当する各損害金、その余の原告らは、被告らに対し各自同表記載の右各原告らに対応する内訳(1)の各金額に相当する各損害金を右包括的損害の一部として請求し、右各損害金及び後記各弁護士費用の合計額につき履行期の後である昭和四九年一月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を請求する。また、原告らは本件訴訟を原告ら訴訟代理人らに委任し同代理人らに対し弁護士費用として右内訳(1)の各請求金額の一割相当の同表記載の各原告らに対応する内訳(2)の金員の支払いを約諾した。右弁護士費用は本訴の提起及び訴訟追行に要した費用として被告らに請求しうる範囲内の費用である。

4  まとめ

よつて、原告らは、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二請求原因事実に対する認否

1  被告国及び同熊本県につき

(一) 同1(三)(1) 昭和二六年以前の事実中、の「水俣工場が、明治四二年、工場完成後にカーバイド並びに昭和七年にカーバイドから水銀を媒体としてアセトアルデヒド、昭和一六年に塩化ビニール及び昭和一九年に醋酸ビニール等の製造を開始して残滓及び廃液を水俣湾に排出し、昭和二四年頃には百間港の残滓の堆積量が著しい場所で6.5mに達し、船舶は満潮時以外に出入りが不能となつていたこと」は認め、その余の事実は争う。

(二) 同1(三)(2) 昭和二七年の事実中、被告国、同熊本県は、のうち「被告熊本県は、水俣市漁業協同組合等の要請によつて、昭和二七年、水産課技師 三好礼治に水俣湾の漁業汚濁に関する調査を命じ、三好礼治の昭和二七年八月二七日付調査報告書には、工場廃水の排水溝は、百間港側にあるが、従前は、丸島の魚市場及び水俣市漁業協同組合のある漁港にも排出しており、漁民の要望により堰止めしているが、大雨のときには溢水して流出し、生簀の魚が斃死したこともある事実、百間港側では、排出される工場廃水と水俣湾沖の恋路島付近に達する堆積した廃水中の残滓が、巾着網、ボラ囲刺網、大網、延縄等の操業を悪くさせ、水俣湾における漁獲を減少させており、水俣工場廃水を必要によつては分析し成分を明確にしておくことが望ましいこと、水俣工場廃水の影響は、水俣湾に限られず、丸島漁港の南方から水俣川河口に至る海岸一帯に広がつており、廃水の直接被害と長年月にわたる累積した被害とを考慮する必要性のあることが記載されていること」は認めるが、その余の事実を争う。

(三) 同1(三)(3) 昭和二九年の事実は争う。

(四) 同1(三)(4) 昭和三一年の事実中、被告国、同熊本県は、、の「昭和三一年四月下旬、被告チッソの水俣工場付属病院に脳症状を主訴とする田中静子(当時六才)及びその妹(当時三才)並びに他三名の患者が来院して診察を受けて入院するに至り、同病院は、同年五月一日、水俣保健所にその旨の通告をしたこと、水俣保健所長 伊藤蓮雄は、昭和三一年五月四日付けで「水俣市月浦付近に発生せる小児奇病について」と題する被告熊本県の衛生部長あての報告書を提出し、被告熊本県は、後記のとおり同年八月三日付で厚生省にその旨の報告をしたこと」、ないしの「昭和三一年五月二八日、水俣市医師会、水俣保健所、水俣市役所、水俣市立病院及び水俣工場付属病院の五者による水俣市奇病対策委員会を設置し、患者の措置及び原因究明に当たることになつたこと、右委員会は、昭和三二年二月一九日、水俣奇病研究委員会と改称したこと、昭和三一年七月一八日、水俣市奇病対策委員会は、水俣工場付属病院に入院中の患者を日本脳炎疑似症患者として水俣市伝染病隔離病舎に収容することとし、熊大医学部に原因究明の依頼をしたこと、昭和三一年八月、被告熊本県の衛生部は、水俣工場廃水と魚の奇病との関係を疑い、水俣における魚介類の販路及び水俣工場の製品、原材料の調査をし、患者の続発状況(昭和三一年七月末現在の患者一八名、死者三名)及び症状の特異性に鑑み、その頃、熊大学長に原因究明の調査依頼をし、同年八月、厚生省防疫課長あてに原因不明の脳様疾患が多発している旨の電報を送り、同年九月八日、文書で右状況報告をしたこと、昭和三一年八月二四日、被告熊本県の依頼により熊大医学部教授らをもつて構成する熊大研究班(班長 尾崎正道(医学部長)、勝本司馬之助(内科学教室)、長野祐憲(小児科教室)、武内忠男(病理学教室)、六反田藤吉(微生物学教室)、喜田村正次(公衆衛生学教室)、入鹿山且朗(衛生学教室))が設置され、調査研究が開始されたこと、昭和三一年八月二九日、水俣工場付属病院長 細川一が被告熊本県の衛生部に猫の狂死事実と患者の地域集積性の指摘をしたこと」、、の「熊大研究班が昭和三一年一一月三日の第一回の報告会において、水俣奇病の原因として重金属による中枢神経系の中毒を疑い、人体の侵入は、主として魚介類の摂取によるものと推測し、汚染源として水俣工場廃水を考えていることを報告したこと、昭和三一年一一月、厚生省は、厚生科学研究班を設置し、水俣病の原因究明を行うこととしたこと」は認めるが、その余の事実を争う。

(五) 同1(三)(5) 昭和三二年の事実中、のうち「昭和三二年一月二五、二六日、厚生省、国立予防衛生研究班、国立公衆衛生院、熊大研究班、被告熊本県、水俣市、水俣工場付属病院等が東京で第一回中央合同研究会を開催したこと」、ないしの事実のうち「昭和三二年一月二八日、熊本日日新聞は、魚介類が危険である旨の記事を報道し、昭和三二年二月一四日、熊本日日新聞は、熊大、被告熊本県、水俣市、水俣市医師会等で構成する水俣奇病対策委員会の調査結果として、当時、五四名が水俣奇病に罹患し、一七名が死亡した事実及び患者が既に昭和二七年頃から発生している旨の記事を掲載して報道したこと、昭和三二年三月四日、県水対連(副知事、衛生部、民生部、土木部及び経済部で構成)が水俣湾の漁獲禁止を検討し、参考として浜名湖のアサリ中毒事件に対する静岡県の対策を調査することを決定したこと」、の事実のうち「昭和三二年三月八日、県水対連は静岡県に照会し、同年四月三日、静岡県衛生部長が県水対連に対し「貝中毒事件に対する措置の概要について」と題する書面で「貝中毒事件は、昭和一七年から発生し、同年、三三四名の中毒患者中一一四名死亡した。右患者発生七日後には現地調査をしたが原因物質は不明であつた。しかしながらアサリに起因する疾病と断定し、直ちに発生地域における貝類の採取禁止措置をした。昭和二四年に同種事件が発生した。」旨の回答をしたこと」、の「昭和三二年三月六日、被告熊本県の技師 内藤大介は、百間港一帯の漁業被害の実態調査をし、海岸一帯にカキ、フジツボの脱落が見られ、明神崎内側には海藻類の付着が殆ど見当らず、明神崎突端から西方の七ツ瀬のわかめの生育地であるが(七ツ瀬のわかめの年産額は、約三〇〇貫であつた。)、わかめ等の海藻類は死滅して灰泥に覆われていたこと、水俣市漁業協同組合が、水俣工場に工場廃水の完全浄化装置の申入れをし、被告国、同熊本県に強力な勧告を実施してもらうこと及び患者の救済及び補償を被告国又は水俣工場に要求することを当面の目標としていることを報告したこと」、の事実のうち「昭和三二年三月二六日、水俣保健所長 伊藤蓮雄が、被告熊本県の衛生部長あてに「水俣奇病に関する速報について」と題する書面で、津奈木村平国部落で猫が集団狂死し、同部落地先海域の漁獲が皆無であり、天草、葦北郡、八代郡方面の漁業者に対する水俣湾内での操業を至急禁止する必要性を強調する旨の報告をしたこと」、の「昭和三二年四月四日、被告熊本県の芦北地方事務所長は、被告熊本県の経済部長あてに「水俣市における奇病(猫)に関する調査について」と題する書面で、津奈木村について前同様の事実及び水俣市以北の海域についても危険区域となるおそれのある旨の報告をしたこと」の事実のうち「昭和三二年七月一二日、厚生科学研究班は、厚生省、熊大、被告熊本県、被告チッソを招いて水俣病研究懇談会を開催したこと」、ないしの「昭和三二年七月、熊大研究班は、右伊藤の実験を踏まえて水俣湾の魚介類を動物に投与する実験をすることによつて、水俣病は魚介類の摂食が原因であることが確認された旨、箱根で開催された日本衛生学会で発表したこと、昭和三二年七月二四日、県水対連は、水俣湾浚渫工事の一時禁止及び食品衛生法による漁獲禁止の知事告示実施の方針を決定したこと、昭和三二年八月一四日、被告熊本県は、水俣市で水俣奇病対策懇談会を開き、水俣奇病をもたらす有毒魚種及び危険海域を討議し、告示の指定海域を明神崎、恋路島、茂道岬を結ぶ線以内の海域とする旨の具体的線引きを行い、漁民が漁獲禁止及び漁業権の買上げを要求したが、被告熊本県は、後記厚生省の意向により漁業法の適用による漁業の禁止及び漁業権の買上げの双方に否定的見解を示す結果となつたこと、昭和三二年八月一六日被告熊本県は、厚生省公衆衛生局長に水俣病にともなう行政措置について照会し、食品衛生法四条二号の適用を促したところ、同年九月一一日、厚生省公衆衛生局長は、被告熊本県に対し、水俣湾内特定地域の魚介類を摂食することは、原因不明の中枢神経疾患を発生するおそれがあるので、今後とも摂食しないよう指導すること、水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められていないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し食品衛生法四条二号を適用することはできないものと考える旨の回答をしたこと、昭和三二年七月から同年秋頃、被告熊本県の水産試験場が、水俣湾の生物、水質、底質に関する調査を行い、カキの腐死が水俣湾から北部津奈木村北端に至るまでに及んでいることを明らかにしたこと」は認めるが、その余の事実は争う。

(六) 同1(三)(6)の事実中、、の「昭和三三年六月二四日、参議院社会労働委員会において、厚生省公衆衛生局環境衛生部長 尾村偉久が、水俣病は、水俣の魚を摂取することによる化学物質のタリウム、セレニウム、マンガンのいずれか或いは複合による中毒で発生源とされるものは、水俣工場において生産されており、その物質による病気であることが推定される旨の発言をしたこと、昭和三三年七月七日、厚生省公衆衛生局長 山口正義は、厚生科学研究班の研究成果を援用して通産省その他関係省等に対し、肥料工場(水俣工場)の廃棄物が港湾泥土を汚染していること及び港湾生棲魚介類ないし同回遊魚類が、右の廃棄物に含有されている化学物質と同種のものによつて有毒化し、これを多量摂食することによつて本症が発症するものであることが推定されると発表したこと」、の「昭和三三年九月、水俣工場が、アセトアルデヒド製造の廃水の排水を水俣湾へ排出していた百間溝から排水路を変更して水俣川河口へ排出したことによつて、水俣病患者が水俣川以北に続出し、患者発生地域が拡大したこと」は認めるが、その余の事実は争う。

(七) 同1(三)(7) 昭和三四年の事実中、、、、、、の「昭和三四年一月一六日、厚生省は、食衛調水俣食中毒特別部会を発足させたこと、昭和三四年六月、水俣市長、水俣市議会議長等は、熊本県知事に対し新患者発生対策、漁業権の買上げ、漁業禁止区域の設定等を陳情し、政府、国会に対し漁獲禁止を含む特別立法等を陳情したこと、昭和三四年七月二二日、熊大研究班は、被告熊本県の担当者及び熊本県議会水俣病対策特別委員らの出席する研究報告会において、水俣病は、現地の魚介類を摂食することによつて惹起される神経系疾患であり、魚介類を汚染している原因毒物は、ある種の有機水銀である旨の報告をしたこと、昭和三四年九月、牛深市、八代市での猫の臓器から水銀を検出し、津奈木町で新患者の発生が確認され、芦北、湯浦漁業協同組合は、水俣工場廃水の排出禁止、海底のドベの除去及び汚染海域の調査をすべきである旨の決議をしたこと、昭和三四年一〇月六日、食衛調合同委員会が開催され、水俣食中毒特別部会代表が中間報告で水俣病の原因物質は、有機水銀である旨の報告をしたこと、昭和三四年一一月、鹿児島県出水市米ノ津に水俣病類似患者が存在することが判明したこと」、の事実中、「昭和三四年一一月一二日、食衛調常任委員会が開催され、水俣病は、水俣湾及びその周辺に生棲する魚介類を多量に摂取することによつて起こるある種の有機水銀化合物による主として中枢神経系統が障害される中毒性疾患であると断定して厚生大臣に答申したこと、厚生大臣は、翌一三日、食衛調水俣食中毒特別部会の解散を命じたこと」は認め、その余の事実は争う。

(八) 同1(三)(8)、(9) 昭和三五年から昭和三七年の事実は争う。

(九) 同1(三)(10) 昭和三七年から昭和三八年の事実中、のうち「昭和三七年八月、熊大入鹿山教授が水俣病の原因物質と考えられる有機水銀化合物を水俣工場から採取したスラッジから抽出したこと」は認め、その余は争う。

(一〇) 同1(三)(11) 昭和四一年から昭和四四年の事実中、の「厚生省は、昭和四三年九月二六日、水俣病は、水俣湾の魚介類を長期かつ多量に摂食したことによつて起こつた中毒性中枢神経疾患であり、その原因物質はメチル水銀化合物であり、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによつて生じたものと認めると公表したこと」、の事実のうち、「昭和四四年二月三日、経済企画庁長官は、水俣地域について、指定水域 水俣大橋(左岸 熊本県水俣市八幡町三丁目三番地の二四号地先、右岸 熊本県水俣市白浜町二一番地の二五号地先)から下流の水俣川、熊本県水俣市大字月浦字前田五四番地の一から熊本県水俣市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれに流入する公共用水域、水質基準、水銀電解法か性ソーダー製造業又はアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場又は事業場から第一号に掲げる指定水域に排出される水の水質基準 メチル水銀含有量が検出されないこと、適用の日 昭和四四年七月一日とする指定及び設定をしたが、水俣工場がそれ以前の昭和四三年五月一八日、水銀又はその化合物の流出源であり、水俣病の発生源であるアセトアルデヒド醋酸製造設備を閉鎖し、アセトアルデヒドの製造をとりやめていたこと」、の「昭和四四年三月一三日、内閣は政令第二一号「工場排水等の規制に関する法律施行令の一部を改定する政令」により塩化ビニールモノマー洗浄施設を特定施設に加えたこと」は認めるがその余の事実は争う。

(一一) 同1(三)(12) 昭和四六年の事実は認める。

(一二) 同1(三)(13) 昭和四八年の事実は争う。

2(一)  被告チッソにつき

同1(四)(1)は争う。

(二)  被告国及び同熊本県につき

同1(四)(2)は争う。

3  同1(五)(1)の事実中、水俣病は、被告チッソが水俣工場において水銀を触媒としてアセトアルデヒドを製造し、右製造工程中に生成する有機水銀化合物(メチル水銀化合物)を含む工場廃水を、人体を含む生体に与える危険性について十分調査研究することなく長期かつ大量に不知火海に排出した結果、水俣湾及びその付近海域の魚介類を有機水銀化合物によつて汚染させ、沿岸住民の中に右汚染魚介類を多量に経口摂取した者が発症する中毒性の中枢神経疾患であり、胎児性水俣病は、母体が右汚染魚介類を経口摂取して体内に有機水銀化合物をとり込み、胎児が胎生期に胎盤を通じ右有機水銀化合物に侵かされて発症する右疾患であることは認め、その余は争う。

4(一)  同1(六)(1)の事実は争う。

(二)(1)  同1(六)(2)の事実中、ハンター・ラッセル症候群が、四肢の知覚障害、構音障害、運動失調、難聴及び、求心性視野狭窄等であること、四六年事務次官通知、五三年事務次官通知が原告ら主張のとおりであることは認め、その余は争う。

(2)  同1(六)(3)の事実は争う。

(3)  被告チッソにつき

同1(六)(4)の事実中ないし、、、ないし、ないしの事実は知らない。

被告国及び同熊本県につき

同1(六)(4)の事実中

① 原告小島サツエが大正六年九月二五日に出生し、昭和五二年一二月一六日付けで認定申請をし、当時、天草郡御所浦町嵐口に居住していたこと、長女 西浦志真子が認定申請中であること及び夫 小島時次郎が未申請であることは認め、その余は不知。

② 原告野崎光雄が大正八年三月二七日に出生したこと及び妻 ヒデノが認定申請中であることは認め、その余は不知。

③ 亡竹部貞信が明治三九年二月二〇日に出生し、妻 タカノ、妹 吉永マサエ、その夫 吉永文男が認定申請中であること、弟 浦崎貞義が認定申請中であつたが昭和五五年一月二〇日死亡したことは認め、その余は不知。

<以下省略>

5(一)  被告チッソにつき

(1) 同2(一)(1)の事実は認める。

(2) 同2(一)(2)の事実中、被告チッソが水俣工場のアセトアルデヒド等製造工程において、長期かつ多量に水銀化合物を使用しながら右製造過程で排出される工場廃水中に人体に対し有害物質が含まれているか否かを十分調査検討することもなく不知火海に排出し続けた過失により不知火海の魚介類を汚染し、右魚介類を経口摂取した沿岸住民の中に水俣病に罹患した者がいることは認め、その余は争う。

(二)  被告国及び同熊本県につき

(1) 同2(二)(1)(2)は争う。

(2) 同2(二)(3)につき作為義務が存在したことは争う。

(3) 同2(二)(4)は争う。

(三)  同3の事実は争う。

三被告らの反論

1  水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況につき

被告国及び同熊本県の反論

(一) 昭和三一年

被告国及び同熊本県は、昭和三一年五月一日、水俣病患者の存在するのを知つた。水俣市月浦地区からは、相次いで水俣病患者が発生して入院したので、水俣保健所は、患者らが使用する共同の井戸水が汚染原因であると疑い、右井戸と患者の家屋内外を消毒し、井戸水を、昭和三一年五月七日、被告熊本県の衛生検査試験所に送り検査をしたが異常がなかつた。水俣保健所は、現地調査によつて類似症状の患者が昭和二八年頃から発生し自宅療養中の患者らが相当多数存在することを知つた次第である。熊大研究班に、現地調査し患者を学用患者として熊大医学部付属病院に入院させて精密に臨床検査を行い、現地の飲料水、海水、土壌、魚介類等の検査試料を採取し分析検査し、マウス、猫による動物実験をした。熊大研究班が水俣病の原因物質が重金属であり、重金属による中毒症を疑い魚介類を摂食することによつて発症するものと推定する旨の第一回中間報告があつた後は、被告熊本県の衛生部は、現地住民に対し水俣湾内の魚介類が危険であるから摂食しないよう行政指導をした。被告国及び同熊本県が被告チッソのアセトアルデヒド製造工程の工場廃水に含まれるメチル水銀が水俣病の原因物質であると判断したのは、昭和四三年九月二五日である。

(二) 昭和三二年

昭和三二年二月二六日、熊大研究班の第二回研究報告会で熊大側から水俣湾内の漁獲禁止が必要であるとの意見が出されたが、被告熊本県側は、水俣病の原因物質が確定しなければ食品衛生法四条二号の適用は困難であるとし、水俣湾の魚介類を摂食しないよう強力な行政指導するに留めた。県水対連は、昭和三二年三月四日、漁業協同組合に対し自主的に水俣湾内の操業禁止の申合わせを行わせ、漁民に対し広報宣伝して指導することを決定した。さらに、被告熊本県の芦北事務所は、管内町村、魚協長あて操業の自粛を警告し、水俣市以北の海域も危険区域と想定し、津奈木村以北で操業するよう行政指導をした。

(三) 昭和三三年

水俣保健所は、昭和三三年八月一一日、一時期発症が途切れていた水俣病患者が再発生したので、水俣湾内産の魚介類を摂食しないよう行政指導をした。被告国及び同熊本県は、水俣工場がアセトアルデヒド醋酸製造工程で生ずる工場廃水の排水路を変更したのを当時知らなかつた。

(四) 昭和三四年

水俣市漁業協同組合は、昭和三四年七月頃、漁獲禁止区域を津奈木村勝崎から恋路島北端、鹿児島、熊本県境を結ぶ線まで拡大した。昭和三四年八月、東京工業大学教授 清浦雷作は、水俣病の原因物質が有機水銀化合物であることを否定しプランクトンの一種であるアミンが原因である旨を発表し、さらに、昭和三四年九月二八日、日本化学工業協会専務理事 大島竹治は、第二次大戦後旧日本軍が海中に投棄した爆薬に起因する旨の発表をした。昭和三四年一〇月二五日、被告チッソも水俣病の原因物質が有機水銀化合物であることを否定し、水俣工場廃水には有毒物質は含まれていないと強調した。通産省は、昭和三四年一一月一〇日、被告チッソに対し排水処理施設の完備等について対策を講ずるよう尽力を要請し、被告チッソはサイクレーター等の排水処理施設を完成し、昭和三五年一月から稼働した。

被告国及び同熊本県は、水俣病の原因究明が極めて高度の科学的医学的専門知識を必要とすることから熊大研究班及び厚生科学研究班に原因究明を要請し、各研究班の研究の進展に伴い研究結果と最新の知見を認識してこれに即応した適切な行政指導を講じていた。しかしながら、熊大研究班が昭和三四年七月に発表した水俣病の原因物質を有機水銀化合物であるとの考え方は、当時定説にまでに至つていなかつた。昭和三四年二月に食衛調水俣食中毒特別部会が水俣病の原因物質をある種の有機水銀化合物である旨の答申をしたことによつて、被告国及び同熊本県の衛生部局も水俣病の主因がある種の有機水銀化合物であることを認識したが、その原因物質が有機水銀化合物中いかなる化学物質かいまだ特定できておらず、関係法令上の規制権限を行使することはできなかつた。さらに、ある種の有機水銀が水俣工場廃水に由来するか否かも判明していなかつた。水俣工場は、触媒として塩化ビニール製造に塩化第二水銀、アセトアルデヒド醋酸製造に硫化水銀を使用していたが、いずれも無機水銀であつて、無機水銀が有機水銀に転化する機序は、いまだ明らかではなかつた。さらに、当初は水俣湾海底泥土中の水銀が水俣湾内の魚介類に蓄積したものとの入鹿山教授の見解や、塩化ビニールの生産高に対応してたまたま水俣病患者の発生数がほぼ比例関係にあることを武内教授が指摘したりしたため、アセドアルデヒド醋酸製造工程には全く目を向けていなかつた。被告国及び同熊本県の衛生部局は、水俣病と水俣工場廃水の因果関係を知る由もなかつた。

(五) 昭和三五年

昭和三五年一月九日、水俣病総合調査研究連絡会が発足した。同連絡会は、水俣病の原因物質の発生原因及びその生成過程並びにその分布状況について医学的、生物学的、理化学的総合調査を継続する必要性によるものであり、構成部局は、経済企画庁、厚生省等の関係省庁であつた。

(六) 昭和三七年以降

昭和三七年八月、入鹿山教授が水俣工場の水銀滓から有機水銀を抽出した旨の報告があつたが、無機水銀が有機化する機序は解明されるまでに至つていなかつた。右機序が解明されたのは、入鹿山教授が、昭和四二年六月、アセトアルデヒド醋酸製造工程においてメチル水銀化合物が生成されうることを実験的に立証したことを報告し、昭和四二年八月、水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造設備の精溜塔排液等からメチル水銀を検出したことを報告したことから、始めて水俣病の原因物質が水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造工程において生成されたメチル水銀化合物であることが確認されるに至つたものである。そこで、被告国は、昭和四三年九月二六日、その旨の政府公式見解を公表した。

(七) 水俣病の原因物質の予見可能性について

ところで、原告らは、水銀及び水銀化合物は、人体に危険であり、毒物及び劇物取締法によつて水銀化合物及びこれを含有する製剤を毒物としており、甘汞が劇物であり、アセチレンガスからアセトアルデヒド醋酸製造をする場合に水銀を触媒として使用することは高校の化学の教科書にも記載されておる公知の事実であり、さらにアルデヒド母液の一部が流失して排出されたことがあつたとしても、昭和二九年八月段階においては、熊大研究班を始めとする我が国の代表的研究機関の多数の研究者が、水俣病の原因究明、原因物質の確定に懸命に努力を傾けてもなお原因究明のために多くの試行錯誤を積み重ね長年月を要したことを忘れた暴論である。ところで、水俣病と同種症状を惹起する可能性のある水銀化合物は、有機水銀中低級アルキル水銀化合物(メチル水銀化合物、エチル水銀化合物、ノルマループロピル水銀化合物)のみである。金属水銀、無機水銀も中毒症状を惹起するが、メチル水銀中毒の症状と異なる症状を発現する。水銀化合物を毒物として指定していることをもつて水俣病の原因を水銀化合物であることを予見できたとするのは著しい論理の飛躍である。被告チッソが使用した水銀は無機水銀であり、アセチレンからアセトアルデヒドを製造する方法は、世界的にも古くから知られて工業化されており、水俣病の発生機序が解明されるまで右製造工程の危険性即ちメチル水銀中毒を発症させる危険性を指摘したものはなかつた。なお、ニューランドの論文の「アセチレンからアセトアルデヒドへの接触的変化における水銀塩の役割とパラアルデヒドの製造に関する新工業的製法」(一九二一年)には、アセトアルデヒド製造工程中の触媒(硫化水銀)が有機化合物の形に変化する旨の論述があるが、右論文は、当時我が国に紹介されていたかどうか不明であり、論文の趣旨からすると有機化合物に変化する知見の紹介として理解するのは困難である。入鹿山教授の研究発表でも同様に右生成過程におけるメチル水銀化合物の生成を全く想定していなかつた旨を述べている。

2  水俣病につき

(一) 被告チッソの反論

本件患者らを水俣病と認定するには、経験則に照らして全証拠を総合検討し、その結果、原告の主張を是認し得る高度の蓋然性が証明されることを要する。五二年環境保健部長通知は、熊本、鹿児島及び新潟三県の公害被害者認定審査会の委員らの討議を通じて合意の得られたところがまとめられているものである。五二年環境保健部長通知は、現在までの医学的知見と認定申請者の審査を行つている具体的な経験を踏まえてまとめられたものであつて、現在におけるオーソドックスな医学的見地に立つた判断が示されているものである。水俣病に罹患しているか否かは、専ら医学的に正確な診断の基準により行うべきであり、またそれが、水俣病であるとの高度の蓋然性を確保し、疑いを差し挟まない程度の真実性の確信を得る所以である。これに対し、メチル水銀は血管を含めた全身の臓器に障害を与えるとの立場に立つとすれば、不知火海の魚介類を多食した病人は、総べてこれを水俣病と診断すべきだということになる。

生活関係諸事実特に魚介類を多食したとする原告患者本人またはその家族の発言は水俣病を発症するまでに多食した事実を確実なものとして裏付けるものではない。本件におけるメチル水銀の場合、経口摂取したか否かは、専ら本人ないし家族の申立しかないのであり、多食の程度に至つてはなおさらである。本件損害賠償請求訴訟において不知火海の魚介類を多食したという要件につき、生活関係諸事実は、決してその要件の存在を肯定し、確定しうるものではない。因に原告らは、右の生活関係諸事実を疫学条件とか疫学的条件とか称しているが、本来これらの諸事項は疫学上の条件ではないし、一つの社会的事実にすぎず、用語の誤用ないしは乱用といわねばならない。次にメチル水銀等重金属化合物などの蓄積性をもつた有害有毒科学物質の人体蓄積は、当該物質への人体曝露の度合ならびに期間、体内への吸収率、体内での分解あるいは体内からの排泄の度合すなわち体内における減衰度の三者により左右されるものである。そして有害有毒物質の体内蓄積がある閾値以上になれば人体は影響を蒙り、さらに障害をうけるに至るものである。

因に、熊本水俣病第二次訴訟における原告中島親松は、小学校在学中より漁業に従事し、特に昭和二〇年より主として水俣湾、桂島等を漁場として不知火海で獲れた魚介類を多食しつづけたし、飼猫五匹も同原告の採つた魚介類によつて狂死したと主張されたが、同原告の剖検結果によると、大脳、小脳、末梢神経のいずれにも水俣病に特徴的な病理病変が認められず、同人が有していた病変や症状は、卒中その他によるものであることが判明し棄却されている。従つて漁業に従事しメチル水銀を含有している魚介類を多食したとの申出がされていても、直ちに水俣病における病理、病変やこれに伴う臨床症状の原因となる程度に多く摂取されたものと結論しえないことは確かである。

次に水俣病によくみられる四肢末梢の知覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴等の症状は、水俣病に限つてみられる特異的症状ではなく、メチル水銀以外の原因によつてもみられる症状である。これらは心因性によつても発現するし、また原因不明の場合も珍らしくない。従つて、患者が水俣病に罹患しているかを判断するにあたり、これら水俣病とは別の疾病による症状ではないか否かを合併しているかどうかも含めて鑑別する必要があるのはいうまでもないことであつて、単純に、水俣病と水俣病以外の疾病に共通してみられる症状の一つでもあれば、水俣病であると考えるのは即断も甚しい。疾病は、一つの症状のみを呈するものではなく、いくつかの症状の発現をみるものであつて、いくつかの症状が把握できるかどうかによつて初めて適正な結論に迫り得るものである。四肢末梢性の知覚障害は水俣病によくみられる主要症状の一つであるが、四肢の遠位部優位の手袋、足袋様の知覚障害は、水俣病に特徴的な症状ではなく、多発性神経炎として総称される各種の疾患、原因によつても生じるものであり、かかる知覚障害があるからといつて、水俣病であることとの蓋然性が高度であるとはいえない。

自覚症状は、疾病の有無と内容を調査するための一つの参考資料ではあるが、客観的なテスト、吟味を経ることなく、自覚症状に対応する障害が客観的に存在すると即断すると大きな誤りを犯すことになる。水俣病の臨床症状及びその病理学的原因の究明は、現在まで多数の医学者によつて行われており、その成果によれば、水俣病の病変は、主として中枢及び末梢の神経系に出現するものであつて、その好発部位のあることも、臨床症状と一致する。従つて、水俣病であるとすれば、すくなくとも右のような神経症状が単独でなく通常は特有の組合わせとなつて必ず存在するはずであり、臨床検査において客観的に把握しうるはずである。客観的な臨床検査による結果を離れて、不定愁訴、自覚症状をもつて水俣病か否かの判断資料となしうるとするのは明らかに誤つている。水俣病発症の原因物質であるメチル水銀は、人体内に入つた場合、脳、神経のみならず、各臓器や血管、リンパ腺等々全身に分布するものであるが、そのことから、直ちに、これらの臓器に損傷を与えて、現実に健康障害まで来していると考えるのは即断に過ぎる。白木説は、問題提起の一つにすぎないのであつて、いまだ、医学上確たる証拠がない。福岡高等裁判所昭和五四年(ネ)第一八九号、同四四七号事件(いわゆる熊本水俣病第二次訴訟の控訴審)につき同裁判所の昭和六〇年八月一六日の判決において、「メチル水銀中毒は障害個所の選択的好発局在性があり、神経系がその好発局所であることは否定の余地がないものであるから、臨床的にも病理的にも神経系に障害、病変が認められないで単に動脈硬化や腹部臓器に病変が認められるだけでは、疫学条件が高度であつてもメチル水銀中毒によるものとはいえない」と判断している。従つて、本来この点については多くを付け加える必要はない。

(二) 被告国及び同熊本県の反論

視野は、眼球を動かさないで光を確認できる広さの範囲であり、鼻側よりも耳側の方が広い。視野の異常には、部分的な視野の欠損と視野の全周辺から中心にむかつて生じる求心性の視野狭窄があるが、水俣病では、両側(両眼)の求心性視野狭窄がみられる点が特徴的であり、この障害は、大脳後頭葉鳥距野の神経細胞脱落によつて生じることが実証されている。聴覚には、音を振動として伝える系と、伝えられた振動を電気的な信号に変えて神経に伝達し言葉として理解する系がある。前者の障害を伝音性難聴、後者の障害を感音性難聴とよび、オージオグラムで区別しているが、水俣病では伝音性難聴は出現しない。感音性難聴は、さらに迷路(内耳)性難聴と後迷路性難聴に分けられる。水俣病の難聴は、大脳側頭葉横回の神経細胞脱落によるものであり、後迷路性難聴である。後迷路性難聴であることは聴覚疲労現象、語音聴力検査で確認する。運動失調は、運動の命令を出す大脳の中枢、その命令を伝える神経及び運動の原動力である筋肉のすべてに異常がなく、振戦などの不随意運動もないにもかかわらず、意図した運動(随意運動)が円滑にできない状態である。運動失調の大部分は、小脳もしくは脊髄の障害によつて生じるが、水俣病にみられる運動失調は小脳の障害に起因するものである。運動失調は、多くの筋肉が共同して機能することが必要とされる歩行、言語の状態をよく観察することで判断できることが多く、ディアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験などにより確認することができる。

水俣病判断の基本的な考え方は、汚染された魚介類の経口摂取により、有機水銀が体内に発症レベルまで蓄積され、そのためと思われる症候を有し、またその症候が他の原因によるものでないと考えられることである。水俣病の主要症候は、感覚障害、視野狭窄、難聴、運動失調等であり、これらの症候は、それぞれ単独では非特異的であり、他の疾患によつても同一症候を来たす場合があることから、水俣病であるかどうかの判断は当然いくつかの重要な症候の組合せによらねばならない。それには高度の神経学的知識が要請される。以上のように、症候の組合せによつて水俣病の判断をすることは、医学研究者の合意が得られている。水俣病の場合はメチル水銀が大脳、小脳、末梢神経を障害し、それぞれに対応した症候が現れるために症候群として捉えられるのである。症候群としての症候が揃つていればいるほどより確定的な診断ができるのである。水俣病には決定的な特異的所見がないので、その判断に際して症候群的診断を行うことは医学的に当然のことである。五二年の判断条件についての環境保健部長通知は、水俣病の判断が困難である事例が増加してきたこともあつて、環境庁において医学的知見の進展を踏まえ、水俣病の専門家からなる認定検討会の検討成果に基づき、四六年事務次官通知にいう「有機水銀の影響が否定し得ない場合」を臨床・疫学両面から具体的に整理したものである。さらに、五三年事務次官通知は、水俣病の判断の適切を期し水俣病認定業務の促進に資するため、四六年事務次官通知以降に明らかにされてきた水俣病の範囲に関する基本的な考え方を、医学的知見の進展を踏まえ、再度確認する目的で統合整理したものである。五二年環境保健部長通知、同五三年事務次官通知は、いずれも公害健康被害者の迅速かつ公正な救済を図るという趣旨に沿うものであり、原告らが主張するように同四六年事務次官通知を変更したものではない。

3  本件における水俣病罹患の事実につき

(一) 被告チッソの反論

本件訴訟は、本件患者らが水俣病に罹患しているか否かが争われ、大部分はその供述録取書と原告側作成の診断書があるのみである。供述録取書は、本件訴訟を申立てた原告らの供述であるから本来、原告らによる主張、請求と同視すべきものであるし、また原告ら本人尋問が行われた分についても、他覚的所見の存在を示すことにはならないし、結局、本件患者らの症状の把握は、審査会資料のある例外的場合を除いて専ら原告側の医師による診断結果しかない。本件患者らの診断書は、いずれも「水俣病訴訟支援公害をなくする県民会議医師団」に参加している医師によつて行われたものであり、主なメンバーは、原田正純熊本大学助教授、団長 上妻四郎医師及び事務局長 藤野糺医師等である。県民会議医師団の医師は公害健康被害補償法に基づく県の認定審査会による審査を批判する立場を宣明しており、審査会に比して、症状のとり方も、水俣病であるとの判断も、より緩く、広くしようとしている。従つて、一種政治的な色合をもつて審査会の審査や、国、県による水俣病の判断について抗議している統一した医師団による診断書ないし診断が唯一の医学的資料として存在しているに過ぎない。さらに前記県民医師団に属する医師は、いずれもその経歴上精神科、一般内科、産婦人科等が専攻であつて、神経内科を専門とした人がない。一部ではあるが、審査会記録が証拠として提出されているが、両者の所見で矛盾することがしばしばみられ、症状が所見として得られたり、得られなかつたりするときは、この症状は器質的なものとの判断はなし難い。

(二) 被告国及び同熊本県の反論

水俣病の主要症候の所見をとるためには、神経内科学に関し、経験豊富で熟練した医師によつて実施される必要がある。

高度に細分化した現代医学においては、大学医学部で医学を学び医師国家試験に合格した医師であつても、専門的な訓練を受けて経験を積むことなしには、患者から正確な所見をとることは難しい。また水俣病の主要症候は、その一つ一つをとつてみれば、いずれも神経学上極めてありふれた症候(非特異的症候)であり、他の疾患によつてもそれらの症候を来たす場合もある。しかも、実際の診断においては「特発性」と呼ばれる原因の特定できないものがかなり多く、四肢末梢の知覚障害がみられても必ずしも多発神経炎とは限らない。従つて、ある患者に神経症候が見られる場合、それが水俣病かどうかを判断するにあたつては、患者の既往歴、所見等を総合して他疾患と鑑別診断をしながら適切に評価しなければならない。すなわち、神経症候の診断にあたつては前記のとおり多くの原因が考えられるのであるから、神経内科学の専門知識と経験を備えた医師によつてはじめて適切な評価ができるのである。以上のとおり、水俣病診断にあたる医師には、症候の把握及び解釈の両面において専門知識と経験が要請されている。

(1) 診断書を作成した医師の専門知識、経験の有無

原告ら提出の診断書を作成した県民医師団所属の医師らには、前記のように必要不可欠な専門知識と経験が不十分と思われる。上妻四郎医師は、神経内科学的に特別な訓練を受けていない。同医師は、水俣病の診断は学者が言うほどそんなに難しいといえない旨証言しているが、自己の専門分野である精神分裂病の診断については、精神科以外の医師が診断することは簡単でない旨証言し、診断にあたつて各専門科目に応じた専門的知識経験が要請されていることを認めている。平田宗男医師は、県民会議医師団と関係が深い医療法人芳和会の理事長であるが、精神科を主として診断しており、専門も精神科である。同医師は失調等の神経症候の判断が可能だと述べているが、同医師の神経学的専門的知識は十分とはいい難い。同医師が最も基本的検査である筋力の評価を記載していないのは、単に診断書に欠陥があることを示すばかりでなく、さらに、ディスメトリーやアジアドコキネーゼについて十分理解しておらず、同医師が神経学的基礎知識の理解が十分でないことを示している。また同医師は手袋・足袋状の知覚障害が認められることをあたかも決定的な鑑別点を発見したかのように解釈しているが、手袋・足袋状の感覚障害の鑑別にあたつては、他の多くの原因による多発神経炎等による器質性神経症候を考慮すべきであり、また心因性神経症候についても考慮すべきである。原田三郎医師は、専門が精神科及び老人医療である。同医師は神経症候の判断を本とか精神科医から学んだというが、同医師は、「感音性難聴のうち後迷路性以外のものは少ない。非常にめずらしい。」などと証言しており、感音性難聴のうち相当数は内耳性難聴(後迷路性以外の感音性難聴)であり、証言は誤りである。次に同医師は、水俣病患者の大脳後頭葉等の特徴的CT所見を、十分理解していないで、CT所見と水俣病との関係について言及している。しかも、末梢神経伝導速度低下は軸索と髄鞘のうちどちらがやられたときにより起こりやすいかという基礎的質問にも、答えることができない。同医師作成の診断書には、医学あるいは神経内科学的記述、用語法が基本的に正しくなされていない。すなわち、同医師は麻痺という用語を感覚障害の意に用いている。しかし、麻痺という医学用語は、運動機能の障害の一つのタイプに用いられる用語である。また、同医師作成の前記診断書には、失調など他覚的所見としてとらえるべき概念が、自覚症状の欄に記載されている。失調についての理解の程度も疑問である。佐野恒雄医師は、専門が病理解剖学であり、その後内科の病院に移つている。同医師は神経内科学的素養を持つている旨証言しているが、同医師作成の診断書に記載された共同運動失調なる言葉は成書には存在しない。次に同医師の神経症候についての認識に問題があると考えられる。さらに顔面の感覚障害は病変が三叉神経自体にあるか否かを問わず三叉神経領域の異常として記載されるのに、同医師は、水俣病の場合は三叉神経障害がなくても感覚障害が出てくるなどと応答をしており、同医師には、基本的に神経学的知見が十分でないことを推測させる。藤野糺医師は精神科が専門である。同医師は、閉眼でまつげが十分に隠れないのはベル麻痺のことだと証言しているが、ベル麻痺は、特発性(原因不明)の末梢性顔面神経麻痺についての名称であり、特定の徴候を意味するのではないことは、神経内科学の教科書に記載されている基礎的知識である。また同医師は、ベル麻痺とベル現象を混同している。さらに、末梢性顔面神経麻痺では、味覚障害、唾液分泌障害、涙分泌障害、聴覚過敏等の症状が起こることがあるが、同医師は、末梢性顔面神経麻痺で味覚障害が起こることすら知らない。次に赤城健利医師は、卒業後生理学教室で神経生理学を専攻し末梢味覚を研究したが生理学教室では患者をみたことはなく、熊本保養院で週二日アルバイトで患者に接しただけである。また、昭和五三年大学を辞め熊本保養院に就職し、主にアルコール依存症を扱つている。従つて、同医師は神経内科学的な専門的訓練を受けていない。宮本利雄医師は、専門が消化器内科及び産婦人科である。同医師は、これまで三〇〇人程度の水俣病患者をみたと証言しているが、神経症候についての水俣病以外の一般的知見によつて裏付けられない判断は危険である。同医師は、臨床所見の検査において口周囲の感覚障害を認めたと述べながら、脳神経領域の検査において三叉神経領域に障害がなかつたと述べており、基本的に神経学的知見に欠けていることを推測させる。さらにCTも含めて自ら習熟していないことを診断書に記載したり証言していることを疑わしめるものがある。松尾和弘医師は、専門が消化器内科であり、卒業後、精神病院(熊本保養院)や老人病院(敬厚病院、小川敬厚病院)等にいた。同医師は、神経根症を脊椎の中に脊髄という神経の束が入つているが、その脊髄の症状は認められないということであると述べ、さらにその部分を神経根といい神経根症は認められないと述べたりして神経根症と脊髄症を混同しており、脊髄症と神経根症という基本的な知識を理解していない。さらに同医師は、神経学的診察の中でも最も基本的な検査である筋力検査の結果を診断書に記載していない。板井八重子医師は、脳血管障害では左右が同程度に障害されず、ほとんど責任病巣が出るから前頭葉大脳皮質の萎縮と小脳周囲脳槽の軽度拡大は起こらない旨証言しているが多発性脳梗塞、脳動脈硬化症等では必ずしもCT責任病巣が描出されるわけではなく、左右差が明確でないことも少なくない。神経伝導速度は右腓腹神経SCV五〇〇メートル/秒で正常であると診断書に明らかな記載の誤りをしているにもかかわらず、誤りである旨示唆して尋ねられても分からないと答える等専門性が不足している。松本脩医師は、専門が産婦人科であり、神経内科学的な専門性が十分でないと考える。同医師は、麻痺を感覚障害と運動障害と両方を意味する旨証言しており、医学においては単に「麻痺」といえば運動障害の一つを意味するのであつて感覚障害を意味するものではない。

(2) 診断書の信頼性

県民医師団は、民主医療機関連合会の方針に従つて行動している医療法人芳和会に勤務していた医師らが、水俣病患者救済のために組織した団体であつて、昭和四六年一月に結成され、水俣市及びその周辺でいわゆる掘り起こし検診をするなど積極的に関与している。そして、多数の水俣病認定申請者に関して、水俣病認定申請に必要な診断書を作成し、本件訴訟にあたつては、「水俣病訴訟支援・公害をなくする熊本県民会議医師団」の名称で統一した様式の診断書を作成し、これが診断書として原告らから提出されている。

右のような県民医師団所属の立場からして、同医師らによつて医学的に客観的な所見がとられ、判断がなされたかは検討の余地があるというべきあろう。

(3) 供述録取書の証拠価値

原告らは、水俣病診断における「疫学条件」の重要性を主張し、県民医師団所属の医師作成の診断書においても「疫学条件を重視し、診断の際に最も重要な一つの根拠」とされている。即ち本件患者の居住地、職業歴、食生活、家族らの汚染の事実、環境の異変等を述べて、有機水銀汚染の事実を示そうとしているかのように思われる。しかしながら有機水銀の暴露及びその最低発症蓄積量を超える体内蓄積は、水俣病の判断における必要条件ではあるが十分条件ではないのであつて、有機水銀暴露の事実にそれ以上の意味を付与することはできない。しかも本件患者らが有機水銀暴露の事実を裏付けるものとして挙げている居住地、職業歴、食生活、家族歴、環境の異変等は、食生活を除きすべて魚介類摂食の可能性を示すにすぎず、有機水銀暴露の事実を高度の蓋然性をもつて示すものとは到底いえない。さらに本件患者らの食生活はもちろん、居住地、職業歴等の事実も、原告らや原告ら家族の述べるところ以外には特段の証拠はない。しかも肝心の食生活については事柄の性質上、有効反証の手段はなく、その余の事実についても極めて困難である。個々の原告らの供述録取書や供述の信憑性は、全般的にみて作成過程や供述内容の変遷に照らし乏しいといわざるをえない。

4  本件患者らの水俣病罹患の事実につき

(一) 被告チッソの反論

(1)  運動失調については、片足立試験において開眼時と閉眼時の検査結果に差異がみられたり、ロンベルグ陽性であつたり、粗大力低下、反射亢進などが認められる者があり、高令であるなど運動障害を生じさせると思われる他の要因がある。しかるに、原告ら提出の診断書における運動失調の検査では、これらの点について不十分であり、運動失調が小脳性であると断定することは困難である。

求心性視野狭窄については、視力検査、細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査を実施したうえでなければ、その検査の正確性は期し得ない。網膜周辺部の変性、視神経萎縮などがあれば、視野の資料は、水銀中毒の判断には使えない。また水俣病症状としては、視野狭窄が認められないのに視野沈下のみが認められる例は極めて少ない。

聴力障害は水俣病では感音性難聴でオージオグラムによると高調音急墜型や水平型が多いとされている。感音性難聴であるか否かの鑑別のためには、感音系の聴力を示す骨導聴力を検査すべきところ、右診断書を精査しても本原告の難聴が感音性のものであるか否か、仮に感音性のものであるとしても高調音急墜型もしくは水平型であるか否かの鑑別がなされておらず、単に、気導聴力の平均損失値のみが記載されているのであつて、かかるものを水俣病認定の根拠に用いることはできない。さらに水俣病にみられる難聴は、中枢性(後迷路性)のものであるから、その障害の程度は、常に左右対称となるはずである。

感覚障害につき、頸部の運動制限、頸部・腰部の変形、椎間腔狭小化、骨棘形成等の所見が認められるときには、四肢末梢性感覚障害が発現することが知られており、感覚障害がいずれの原因によるものであるかにつき、十分な診察と検討を行う必要がある。しかるに原告ら提出の診断書における診断方法のみではその識別は不可能である。また、感覚障害に左右差がある場合、メチル水銀中毒に限らず、薬物によつて神経が侵された場合、人の神経系統が左右対称に分布している関係上、その症状は左右対称に出現するのが通常であつて、左半身あるいは右半身にのみの感覚障害はメチル水銀中毒以外の原因による可能性が認められ、この点につき更に十分な診察と検討を行う必要があり、原告ら提出の診断書の記載の診断方法のみでは、その識別は不可能である。

(2)  亡竹部貞信は、昭和五〇年五月、脳血管障害の発作があり、その後の錐体路症状は、右の後遺症として捉えるべきものである。

原告吉永文男の左足のやけるような感じは、四肢末梢の感覚障害とは矛盾しており、水俣病の症状とは認められない。

亡濵﨑初彦には頸椎症性神経根症の合併があり、さらに脳血管障害もあつたのではないかと考えられ、感覚障害は右疾病に起因するものと考える。

原告宮脇東助は低血圧であり、手足のしびれは、低血圧に起因するものと考える。

原告井坂ヤヲノは、腰椎変形、慢性肝炎、右眼失明状態をきたすほどの疾病などの合併症を有しており、高齢でもあることを考えれば、同原告の症状の総てが水俣病によるものではない。

原告脇畑サダメには、頸椎5/6椎間板軽度狭小が認められ、左手首から先のしびれは、右原因による可能性がある。

原告畑崎和一郎は、肝臓病の既往歴のほか心臓病(心房細動)、脳血栓(昭和六〇年二月発病)の合併症を有しており、高齢であることを考慮すれば、粗大力の低下、言葉がはつきりしない、物がはつきり見えない、少し耳が遠いなどの諸症状は、右原因によるものと考えられる。

原告平本豊史には、昭和三八年頃以降のてんかん発作と、昭和五六年頃に発見された慢性肝炎があり、同原告の自覚症状の多くは、右てんかん発作か慢性肝炎の症状であつて、水俣病による症状は殆どないに等しい。

原告盛里シゲノは、脳血管障害に罹患して運動失調を惹き起こしている事実を十分に疑わしめるものがあり、頸椎・腰椎の骨棘形成も認められ、これらが知覚障害の原因となつていることも十分に推測しうるところである。

原告浦崎直は糖尿病に罹患しているほか、頸椎、腰椎に変形がみられるのであるから、同人の感覚障害は右のいずれかに起因するものである可能性が高い。また同原告は、高血圧症であり、昭和五七年三月の検査では、血圧二三〇/九〇ミリメートル水銀柱という数値を示しており、昭和三五年頃失神発作が、同五七年七月には入院を要するほどのめまい、吐気が発現した点から考え、同原告には脳血管障害の疑いが強く、健康障害の多くは、右脳血管障害に起因するものである可能性がある。

原告松田近松には頸椎変形、腰椎変形、腰椎の骨棘形成及び中耳炎後遺症が認められ、高齢であることから、同原告の症状の殆どは、右の原因に基づくものと考えられる。

原告川崎スエマツには、頸椎、腰椎に異常が認められるほか、中耳炎の既往歴があり、高齢であるから、その症状の大部分は、右の原因によるものと考えられる。

原告棈松時子には、頸椎・腰椎の変形があり、手足のしびれ等の症状はこれによるものと考えられる。

原告森朝枝には、腰椎の変形があり、腰から足先までのしびれ感はこれによるものである。

原告長野喜六の症状は、仮性球麻痺症状である可能性が高い。

原告森マサ子には、脊椎の変形および糖尿病があり、同原告の感覚障害はこれによるものである可能性がある。

原告今村フサエは、左右両肘に変形性関節症の疾病を有しており、両肘ともに伸展障害があるのであつて、同原告が訴える日常生活での支障の大部分は、これに起因するものである。

原告佐々木正信には頸部運動制限、頸椎に変形、高血圧、心房細動などの異常が認められ、高齢であることをも考慮すれば、同原告の症状の大部分は右の原因に基づくものと考える。

原告柳迫好成には、頸椎、腰椎の異常、筋萎縮などがみられ、同原告の症状の大部分は、右の原因によるものと考える。

原告柳迫ツルエには、根性坐骨神経痛、椎間板ヘルニア、慢性肝炎の既往歴があり、腰痛症(分離症)が認められるのであるから、同原告の症状の大部分は、右の原因に基づくものと考える。

原告佐々木兼光には、頸椎の変形と運動痛から脊髄症の疑いも存し、高齢であることを考慮すれば、同原告の症状の大部分は右の原因に基づくものと考えられる。

原告田中重年は、昭和五二年八月、昭和五六年三月に脳血管障害の発作を経験しており、それ以降の錐体路症状は、右後遺症として捉えるべきものである。

亡釜貞喜には、頸部、腰部に高度変形が存在し、頸椎症性脊髄症の合併が考えられる。

原告福田稔には、頸椎、腰椎の変形の程度からいつて当然頸椎症が疑われるのであつて、感覚障害の原因に水俣病があるとしても頸椎症との合併症であることを否定すべき根拠はない。

亡福田いつ子は足をこすつたりすると笑うとかバビンスキーを検すると、足をひつこめる逃避反応があることから、下肢の末端に知覚障害はなかつたと認められる。さらに同人は仮死状態で生まれ、出産後二日目から呼吸困難を起こしたことが認められ、典型重症の胎児性水俣病ではなく、周産期障害に原因する重度の脳性小児麻痺であつたと解すべきである。

亡向政吉は、昭和四九年頃、重篤な脳血管障害病疾で倒れ、右以後手足のしびれ感、歩行不能などを生じているのであるから、水俣病の症状ではなく、脳血管障害によるものであることは明らかである。

原告横山義男は、昭和三七年、難聴、手足のしびれが出現し、引続いて左半身の自由が失われたのであるが、片麻痺の症状は、水俣病の症状とは明らかに異なる。また、同原告には、頸椎、腰椎に異常が認められ、上下肢の感覚障害の原因となり得るものであるから、感覚障害のすべてが水俣病の症状であるとは認めることができない。

原告大丸清一は、四〇才頃、頸部症候群の発現がみられ、手足のしびれの自覚症状の発生時期と一致している。従つて、同原告の手足のしびれ等の感覚障害は、水俣病の症状でない可能性が大きい。

原告大石雪子は、頸椎の変形、C3、C4の辷り、骨粗鬆症、腰椎側弯などの所見があり、腎臓結石、腰椎辷り症の合併症を有しており、さらに、高齢であることを考えれば、同原告の症状の大部分は、右の原因に基づくものと考える。

原告野村盛清は、高血圧症、腰椎症の合併症を有し、しかも同人は、高齢であることを考慮すれば、同原告の症状の大部分は、右の原因に基づくものと考える。

原告渕上ヨシエは、腰椎椎間板ヘルニアの既往歴があり、変形性脊椎症、腰椎性脊髄神経症の合併症を有し、高齢であることを考慮すれば、同原告の症状の大部分は、右の原因に基づくものと考える。

原告本田精一は、重症の脚気、肝臓疾患の既往歴があり、高血圧、心室性期外収縮の合併症を有しており、同原告の症状の大部分は、右の原因に基づくものと考える。

原告牧三郎は、右手関節内骨折による右手関節機能全廃及び腰椎機能障害による体幹機能障害で身体障害者手帳二種三級の交付を受け、その他関節リューマチ、変形性脊椎症、脊椎分離症、脊椎辷り症の合併症を有していることが認められ、同原告の症状の殆どは、右の原因に基づくものと考える。

原告田中秋吉は、腎疾患、中耳炎、白内障の既往歴があり、高血圧症、動脈硬化症、変形性脊椎症、パーキンソン症候群の合併症を有し、高齢であることなどを考慮すれば、同原告の諸症状の殆どは、右の原因に基づくものと考える。

(二) 被告国及び同熊本県の反論

(1) 原告吉永文男につき同原告は、昭和二〇年南方でマラリアに罹患し、発熱発作に先立つて戦慄が二、三時間続き、また発作が二、三日を周期にくり返したことから再発型のマラリアであり、肝臓に入つた赤外形マラリア原虫のため、再発は数十年にも及ぶことがある。マラリアの治療には、四アミノキノリン(クロロキン)、プリマキンが用いられ、薬剤の副作用により多発ニューロパチーによる四肢の感覚障害が起こりうることが一般に知られている。またキニーネ等により聴力障害が起こりうる。さらに原告の年齢ではこの程度の聴力は特に疾患がなくとも認められる。なお脳血管障害及び多発性脳梗塞の可能性がある。

(2) 原告村上正盛は、冬場の寒いときにしびれがひどく、指の色が少し紫色に変わる旨供述していることから、寒冷時などに四肢末梢に乏血を起こし皮膚が蒼白またはチアノーゼ(紫色)となつて知覚異常(しびれ)を伴う「レイノー現象」があり、しびれ感はこれによる疑いがある。

(3) 原告竹部長吉は、高血圧で三度倒れた旨供述しており、高血圧症に続発した「脳血管障害」を鑑別する必要がある。さらに手の先がしびれて最終的には全部真白になつて手がかなわなくなり、冬がひどく機械の循環水で温めてしびれを治した旨、夏はそうしびれは感じない旨供述していることから、血管痙攣性疾患の現象であるレイノー現象が存在している。

(4) 原告平本豊史は一九歳の頃副鼻腔炎で手術を行つた旨述べていることからこのような場合嗅覚障害が起こることがあり、同原告もそのころから嗅覚障害があることを認めている。次に同原告は、昭和五六年協立病院で「慢性肝炎」を指摘されており、慢性肝炎、肝硬変の存在を否定することはできない。また同原告は、昭和三八年から現在に至るまで坑てんかん剤を服用している旨供述しており、フェニトイン、バルビタール系薬剤が長期間使用されていたことは十分考えられる。右薬剤では、多発ニューロパチーによる四肢の感覚障害が起こりうる。因みに同原告は抗てんかん剤の服用と符節を合わせるかのように昭和三八年頃から手がしびれるということがあつた旨供述している。

(5) 亡西山貞吉は、慢性腎不全が悪化し、上天草病院に入院し臥床状態のまま昭和五五年二月一八日に死亡しており、慢性腎不全は、臨床所見として多彩な精神神経症状を呈することが一般に知られている。四肢末梢性の感覚障害は、慢性腎不全に伴う多発神経炎による四肢の感覚障害と考えるのが相当である。

(6) 原告森マサ子は、昭和四九年水俣診療所で糖尿病を指摘されている。最近でも糖負荷試験で耐糖異常が認められ、糖尿病性ニューロパチーの感覚障害は、糖尿病自体のコントロールとの関係は明らかでなく、これと無関係に発生する場合も少なくない。

(7) 原告柳迫ツルエは、小学校の時から腰痛があつた旨供述し、さらに昭和三五年ごろ腰痛が増悪し、六車医院(津奈木)で根性坐骨神経痛との診断をうけ、昭和三八年八月水俣市立病院整形外科に「椎間板ヘルニア」の診断のもとに四か月入院し、両足にしびれがあつた旨供述しており、牽引治療によつて足のしびれは改善する旨供述していることから足のしびれ感は、椎間板ヘルニアに起因するとみるのが自然である。

(8) 原告柳迫盛義は、昭和五八年に協立病院で糖尿病と指摘されて入院した旨供述しており、糖尿病患者は、四肢末梢の感覚障害と深部知覚障害が認められることがある。なお、「糖尿病」患者の神経伝導速度は、平均値では正常人よりやや低いが、個々の患者においては低下する者もそうでない者もあり、表在感覚鈍麻と伝導速度の減少度には相関がない。

(9) 原告真野敏郎の、昭和四八年頃からの足の裏のじりじりとした痛みは、足の整形外科的な疾患が疑われる。

(10) 亡釜貞喜の病理解剖の結果によれば慢性甲状腺炎が認められ、これから甲状腺機能低下症に移行する場合が少なくない。甲状腺機能低下症は、かなりの頻度で末梢神経障害(ニューロパチー)が認められる。次に同人は、昭和四九年実施の検診時に頸椎・腰椎X線で脊椎症性変化が高度に認められ、昭和五四年実施の検診時のX線でも、頸椎C6、7後縁骨棘形成、L4圧迫骨析、骨棘形成が認められ、昭和五二年までの神経内科の検診では、同人に四肢の筋力低下と下肢の感覚障害が認められたから、同人には変形性脊椎症による脊髄症が存在していたことが推測される。また剖検では、成人型糖尿病に伴う膵ランゲルハンス島の萎縮が認められ、糖尿病性腎症とし糸球体腎硬化症(びまん性病変)及び腎細小動脈硬化症がみられる。臨床的には糖尿病性腎症による症状として高血圧がみられ、また昭和五四年の検診時に既に尿蛋白()が陽性であるから、死亡前には慢性腎不全を発症していた可能性がある。従つて糖尿病性ニューロパチーの出現が当然予想される。なお、有機水銀中毒による大脳後頭葉神経細胞や小脳顆粒細胞の選択的脱落等は認められない。

(11) 亡福田いつ子は第一度仮死で出生した。助産婦記録には仮死(一)と記載されている。しかし、これは原告福田アサエの尋問以後の昭和六〇年九月一九日に作成されたものであり、その証明力は疑問である。福田いつ子は出生二日目に呼吸困難で井上病院で受診し、一〇日間入院しているが、出産時の仮死及び新生児期の呼吸困難は脳性小児麻痺の最も多い原因である。特に、新生児仮死に引き続いてけいれんが現れた場合は、約半数は予後不良である。

(12) 亡向政吉は、松本医師が昭和四九年四月発行した政吉の認定申請書添付の診断書には、傷病名 脳動脈血栓症とあり、発症時には、右手足と口がかなわなくなり、体の右側が特にしびれるようで、手を使うことができなくなつたこと、松本医院入院時にも、特に右の下肢、右手の手腕部の麻痺が著しかつたこと、昭和五一年九月の検診時に右側の筋力低下、右前腕、下腿の筋萎縮、右側の筋トーヌス亢進、右側の反射亢進が認められること等から政吉には右片麻痺が認められる。松本医師は、政吉は脳動脈血栓症と水俣病とが合併していると思う旨証言しているが、同人に脳血管障害が考えられる場合に右疾病に起因するものと考えられる。

(13) 原告横山義男の昭和三七年五月四日における症状からすれば、脳血管障害が最も考えられる。即ち、脳動脈硬化を基盤として、昭和三七年以前からTIA或は小さな脳梗塞発作があり、昭和三七年に脳梗塞の片麻痺発作が起きたと考えられる。同原告は、昭和五三年変形性頸椎症等で協立病院に入院しており、このような場合、上肢及び下肢に感覚障害が認められることがある。

5  責任につき

被告国、同熊本県の反論

被告国、同熊本県は、国民又は住民の生命、健康を保持し、快適な生活を営めるようにするため各種の法律、条例を定めて政策の実行をしているが、右責務は政治的責務であつて直接国民又は住民に対し個別具体的に法的義務を負うものではない。行政庁は、法律による行政を原則とし、私人の権利自由の制限は法律上の根拠に基づいてのみなしうる。緊急避難的行政行為なる概念を認めるとしても極めて厳格な要件のもとに適用されるべきである。公務員の不作為が違法となるためには、個別の国民に対して負担する職務上の法的義務となりうる作為義務が存在することが必要である。右の作為義務は内部的に負担する義務や抽象的一般的義務では足りない。国家賠償法上の違法概念には、法令違反に留まらず、裁量行為の当不当などの社会的相当性を欠くような場合も含まれるが、食品、薬品行政が衛生警察的行政であり消極行政の範畴に属し、実定法上個別の国民の生命、健康の安全確保を目的としているものではない。作為義務ないし不作為の違法は、具体的事実関係に則し、被侵害法益の種類、性質、侵害行為の態様、根拠法令、権限根拠規定の趣旨、目的、要件等の解釈を総合した法的価値判断により決せざるをえない。評価の対象が行政作用であり、法律による行政の原理が尊重されるべきであつて、被害の重大性に眼を奪われるあまりに安易に国家賠償責任が認められるときは、被害者救済の名のもとに国民全体の負担において恣意的に特定の少数者を不当に優遇する結果となり、責任を免れようとする行政による国民の自由への過当な干渉を誘発するおそれなしとしない。

裁量収縮によつて規制権限不行使が違法であるというには、権限発生の要件を充足しており、公務員の専門技術的裁量の巾がなく水俣病の原因物資が明確に究明されていることを要し、規制権限行使をすべきことが一義的明白であることを公務員が認識しており、規制権限不行使の前後における一切の事情をも考慮し、法の趣旨、目的、裁量の巾の大小、規制の相手方、規制の方法の定め方を前提として規制権限行使が義務となる事情、先例、加害者及び被害者の個別具体的事情等諸般の事情を総合考慮すべきである。なお、規制権限の行使は、必然的に相手方の権利を侵害することとなり、また時代背景のもとで可能であつたか否かを考察すると、昭和二七年から昭和三四年頃、国民の側から規制権限の行使を求める発想はなかつた。

食品衛生行政が福祉行政であるとの立場から規制権限行使の裁量性を否定し、直ちに被告国、同熊本県の賠償責任を問うのは根本的に誤りである。食品衛生行政は、食品製造販売業者を対象としており、個々の国民に対する法律上の義務を定めているものではない。食品衛生法は、戦前の警察機構による警察取締りとして行われ、終戦後右法律が制定されて、衛生行政も衛生機構へと移管されたが、実質的には警察取締りである。同法四条は、厚生大臣又は熊本県知事に対して作為義務や禁止権限を付与する定めではない。仮に規制権限を定めたものとした場合、規制権限行使の要件及び内容が抽象的であつて憲法上保障された営業の自由に対する重大な規制を加えるものとしては、杜撰であり違憲の疑いが生ずる。ところで、同法四条二号の定める有毒有害食品に該当すると認めるには、当該食品に原因物質が含有ないし付着していることを確定的に判断しうる事実が存在することを要する。有毒有害食品の疑いがある旨の程度では同条号に該当しない。水俣湾内の魚介類は、昭和三四年一一月頃の段階でも有毒化の機序が未確定であつたうえ、湾内外を自由に遊泳移動する多種多様な魚介類中の有毒魚介類の特定はできないから、結局原因物資は不明であり水俣湾内のいずれの魚介類にも同号の適用はできない。なお、現行の同号は、昭和四七年六月法律第一〇八号による改正後のものであり、同号には有毒有害物質の疑いのあるものも該当する旨改められた。次に、同号の禁止行為中採取については、販売の用に供するための漁獲以外の漁獲は禁止されておらず、自家消費は右禁止の対象外であるから実効性に乏しい。同法二二条の規制の対象者は、漁民ではなく魚介類の販売業者(鮮魚商等)である。販売業者が取り扱う魚介類も有毒化していることを確定することは困難である。水揚げの段階でも何処で捕れたか特定することは困難である。従つて、厚生大臣又は熊本県知事が水俣湾産の魚介類を販売する業者を特定できないから魚介類の廃棄、営業許可の取消し、営業の禁止又は停止等の規制権限を行使する要件に該当する事実があるとすることはできなかつた。漁業権の種類は、定置漁業権、区画漁業権及び共同漁業権であり、定置及び区画各漁業権又は入漁権に基づかないと営めないが、共同漁業に属する漁業は右権利に基づく必要はない。昭和二〇年から昭和三〇年代における水俣湾及びその付近海域では、水俣市漁業協同組合が共同漁業権を有していた。同法三九条一項のその他公益上の必要があるときとは、例示されている漁業調整等の事由に相当する具体的必要性をいうものと解すべく、漁業権が物権的権利であり、その排他性を排除するような公共の利益のための水面の利用が必要な場合を指し、魚介類汚染を事由とすることはできない。仮に同条によつて漁業権を取り消しえたとしても、個々の漁民がその海域において漁業を営むことまでも禁止されるものではない。さらに水俣湾における漁法は、多くが許可を要しない一本釣漁業、釣延縄漁業であり、熊本県漁業調整規則三〇条の知事許可漁業の取消しを云つてみても実効性はない。また、取消しは漁業調整、水産資源保護培養の見地からすべきものである。同規則三二条一、二項の除害設備の設置等の規制措置は、水産動植物の繁殖保護に反する有害物質の特定、右有害物質の遺棄者等を特定する必要がある。本件では、昭和三四年二月頃の段階においても明らかではなかつた。単にある種の有機水銀化合物というだけでは、有害物質が特定されたことにはならない。水質保全法及び工場排水規制法を適用する場合、汚悪水の原因物質の特定、定量方法が開発されていることを要する。被告国及び同熊本県の担当部局は、昭和三四年一一月頃の段階では、有機水銀化合物の種類まで認識するに至つておらず、水質基準並びに指定水域の指定をする要件を充足していなかつた。指定水域の指定及び水質基準の設定行為は省令ですべきものであるから、具体的基準を定める具体的法規定立行為であつて政策的行為である。従つて規制権限の行使の範畴に属してない。前記のとおり、昭和三四年一一月頃の段階においても、水俣病の原因物質の特定が不十分な段階にあり、当時の状況のもとでは、警察官職務執行法四条一項、五条の適用を期待することはできなかつた。なお捜査権は刑事訴訟法に根拠を持つが、捜査するかどうかは捜査官が犯罪が行われたものと思料するとき自己の判断によつてなすべきものであり、捜査官が捜査義務を個別の国民に対して負うものではない。行政指導は、法規に依拠する以外は、行政庁の裁量行為であつて法的義務を負う筋合にはない。

6  損害につき

(一) 被告チッソの反論

原告らは、民法七〇九条等に基づき水俣病に罹患したことによる損害の賠償を求めているのであるから、原告らが賠償を求めうるのは、現実に発生した財産的損害および精神的損害を金額をもつて算定したものが原告らの損害であるといわねばならない。個別的算定方法では、水俣病被害の実態と特質を正しくとらえることができないという原告らの損害論は法律上、とうてい是認しうるものではない。精神的損害は、個々の患者の病状の程度、発病の時期、病状の推移、合併症の有無、発病時の年齢、性別、健康状態、職業、収入、生活状態など具体的事情を斟酌して個別的に算定すべきものであり、逸失利益などの財産的損害は、個々の患者ごとに発病時の職業、収入額、労働能力喪失の有無とその程度、稼働可能年数、病状の推移、治療状況、就労の可否、就労不能日数などをもとに具体的に計算すべきである。仮に包括請求の名のもとに右のごとき財産的損害を慰謝料に含ませて請求することが許されるとしても、かかる請求は、財産上の損害の請求をも伴うものであるから、右事情を基準として実態に相応する金額を個別的かつ具体的に算定すべきである。原告らの中には、老齢で稼働可能年数が殆ど残存していない者、労働能力障害をきたす現症状が脳血管障害、心臓、腎臓など内臓諸器官の疾病、脊椎症その他水俣病以外の病気がその原因をなしている者などが多く含まれ、就業可能の者、現に就業している者、主婦で家事労働に従事している者も少なくない。これらの者について水俣病に起因する症状に基づく損害としての逸失利益を計算しても幾ばくの金額にもならないことは明らかである。なかには知覚障害しか認められない者もあり、逸失利益など財産的損害を加算しても、原告らの請求額に達するとは到底考えられない。熊本における第一次、第二次訴訟判決は、いずれも、各患者ごとに精神的損害および財産的損害を算出するに必要な諸事情を明らかにしたうえで、可能なかぎり個別的、具体的に損害を算定すべきであつて、一律に損害額を算定すべきものではないことを明らかにしている。第二次訴訟控訴審判決は、同訴訟における証拠に基づき、個別的、具体的に算定した損害額として、一〇〇〇万円、七〇〇万円、六〇〇万円の金額を認定している。本件においては、本件患者らは水俣病により現実に生じた損害を具体的に算定すべき証拠が極めて不十分である。すなわち、第一に、鑑定申請が却下されたため、水俣病の症状に関する医学的証拠としては、認定申請を却下されたものについて審査会資料があるほかは、原告ら提出の診断書があるだけである。しかしながら診断書の内容は、疑問点が多く不十分なものであるうえ、現症状中年齢あるいは他疾患によるものと水俣病によるものとの区別、水俣病による症状の程度などが明確でない。また本件患者らの所得その他財産上の損害を算定するに必要な証拠も提出されていない。原告らの主張する損害についての証拠は不十分であるといわざるをえない。

(二) 被告国及び同熊本県の反論

原告らは法的権利として保障された個々人の精神、身体以外に、水俣湾、不知火海の汚染等、諸々の要素をも被侵害利益に含ませるべきであるとするが、不当である。原告らがそのようなものに対して法的にどのような権利を持つているのか明確な主張もないばかりか、原告らは不知火海一円の人口から見れば、極く限られた一部の者にすぎず、本件訴訟を不知火海一円の地域住民を代表して提起しているものではない。本件訴訟は、原告らが自己の損害を回復することを目的とする私的訴訟の集まりであり、損害の把握という面から見ると一層このことが認識されなければならない。それゆえ、自己に属しない公的な利益を主張して個人の損害額を理由なく増加することは許されないというべきである。原告らの損害は、原告らが受けた精神的、身体的損害に限られるべきである。原告ら主張の損害額のうち、大部分のものは、逸失利益と慰謝料と考えられるが、逸失利益については、具体的な損害算定の内訳がないのであるから金額を確定することはできず、原告ら各人の年齢も一定でなく稼働可能年数が異なる上、職業によつても年収に大きな差があるものであるから、一律請求になじまないことは明らかである。そうすると、原告らの一律請求は、慰謝料の支払いを求めるものと解さざるを得ないものであるが、慰謝料についても原告ら各人の年齢、症状の程度、合併症の有無、日常生活における障害の程度、職業の有無、職業生活の支障の程度について原告らは一様でなく、各人各様であり、一律に取り扱うことは到底許されないものであり、原告ら主張の金額は過大であるといわなければならない。ところで原告らが、損害を立証する資料は、原告ら各本人が作成した上申書、原告ら代理人が作成した供述録取書、県民医師団所属の医師らが作成した診断書及び原告らの各本人尋問の結果(但し、原告らの一部だけである。)であつて、一方、被告らは水俣病認定審査会資料を提出した。これら両資料の間には慰謝料算定にあたつて大きな比重を占める各原告らの症状の程度、合併症の有無、合併症状がある場合、水俣病を原因とする症状の割合、程度、日常生活における障害の程度についてかなりの相違があり、これを確定するには裁判所が選任した専門家による個別の鑑定は欠くことができないと思料されるところ、裁判所は被告らの鑑定申請を却下した。被告らの鑑定申請を却下し、原告らの訴えをそのまま信用し、症状の程度、合併症の有無、日常生活における障害の程度等、損害額を算定するために必要な事実を一方的に認定することは許されないものと思料する。なお、原告松田政行ら五名は水俣病の認定を受けており、損害は填補されている。

第三証拠<省略>

理由

第一

1(一)  原告らと被告チッソとの間において、請求原因1(一)(二)の各事実については、被告チッソにおいて明らかに争わないから民事訴訟法一四〇条によって自白したものとみなす。

(二)  原告らと被告国及び同熊本県の関係において、被告チッソの沿革と水俣湾及びその付近海域汚染の経緯並びに水俣工場の工場排水の汚染状況について被告国、同熊本県は、弁論の全趣旨により争うものとみるのが相当であるから、以下判断する。なお、書証の原本の存在、成立につき争いのないものは、以下総て書証番号のみで表示することとする。

<証拠>を綜合すれば次の事実が認められる。

(1) 被告チッソは、野口遵によつて明治三九年に電力供給を目的として設立された曾木電気株式会社に始まり、明治四〇年に右電力を活用するため現在の水俣市に株式会社日本カーバイド商会が設立されてカーバイド製造を始め、日本における化学工業の幕開きをした。曾木電気株式会社は、明治四一年八月、日本窒素肥料株式会社と商号変更をし、株式会社日本カーバイド商会を吸収合併し、明治四二年五月には、水俣に石灰窒素製造工場を建設し、肥料製造を開始した。さらにその後石灰窒素から硫安製造を試み、大正六年九月には、水俣に石灰窒素による変成硫安工場を完成して変成硫安製造を開始し、大正一四年には、合成アンモニア及び硫安工場を建設してアンモニア及び硫安製造をし、有機化学工業界の旗手として伸展し、三井、三菱、住友の旧財閥に属さない新興勢力を形成して資本を蓄積し拡大した。その後朝鮮に進出し、朝鮮総督府、陸軍及び海軍と癒着して強大な権益を受け、軍需物資の供給の一翼を担う大化学工場、水力発電所を建設し、一大コンツェルンを形成するに至つた。他方水俣では、アセチレン系有機合成化学工業に進出して、昭和七年、カーバイドからアセチレン、アセチレンからアセトアルデヒド、アセトアルデヒドから醋酸即ち合成醋酸の製造に成功して工業化を進め、無水醋酸、アセトン、醋酸エチル、醋酸ビニール、醋酸繊維素、醋酸人絹、塩化ビニール等のアセチレン誘導品を次々に開発して工業化して行つた。第二次大戦後、日本窒素肥料株式会社は、在外資産の総てを失い、国内に残つた水俣工場を稼動させて再出発せざるをえなかつたが、戦後の政府の手厚い資金融資による立直りも早く、昭和二〇年一〇月には硫安、昭和二四年にはアセトアルデヒド、塩化ビニール等を生産し、政府からの設備融資額は、昭和二〇年から昭和二八年までの間に総額九億三五〇〇万円に及んだ。その間、日本窒素肥料株式会社は、企業再建整備法に基づいて解散し、同会社の稼動資産の一切を承継する新日本窒素肥料株式会社を設立し、旧会社が製造していた製品の生産を続行した。新日本窒素肥料株式会社は、昭和二七年一〇月、塩化ビニールの可塑剤であるDOP・DOA等の原料となるオクタノールをアセトアルデヒドから誘導合成することに成功し、昭和二八年から昭和三四年にかけて年々塩化ビニール、オクタノール、DOPの製造設備を増強して生産量を累増させ、これと共に必然的に中間原料であるアセトアルデヒドの需要増加を来たしてその製造設備の拡充に繋がつた。

(2) アセトアルデヒドの生産量は、旧会社時代の昭和七年 二一〇卜ン、昭和八年 一二九七トン、昭和一四年 九〇六三トン、昭和一五年 約九一五〇トン、昭和二一年 約二二〇〇トンと終戦前は飛躍的に延び、戦後新会社の新日本窒素株式会社の時代に入り、昭和二九年 九〇五九トン、昭和三〇年 一万〇六三二トン、昭和三一年 一万五九一九トン、昭和三二年 一万八〇八五トン、昭和三三年 一万九四三六トンと急激に増え、これと共に触媒として使用される水銀化合物の使用量も増えて、損失量と共に流失量も増大し、水銀流失量は、昭和二九年 五二四三kg、昭和三〇年 六三〇七kg、昭和三一年 四六七八kg、昭和三二年 六四六一kgであつた(別表一参照)。被告チッソは、昭和二〇年代の後半には、日本における有数のアセチレン有機合成化学工業となり、アセトアルデヒド醋酸製造の最大大手として増産に次ぐ増産をし、メチル水銀を含む水銀化合物を無処理のまま大量の工場排水と共に百間溝を通じて水俣湾へ、一時期には水俣川河口へ排出し続けた。水銀化合物を触媒として生産する塩化ビニールについては、旧会社時代の昭和一六年から生産をしており、その製造による廃水にも水銀化合物が含まれており、右廃水も不知火海にたれ流しをし続けた。なお塩化ビニールの生産量の推移は、別表二のとおりである。

(3) 新日本窒素肥料株式会社は、昭和三九年一〇月に資本金七八億一三九六万八七五〇円となり、昭和四〇年一月一日、チッソ株式会社(被告)と商号変更をして現在に至つている。ところで、アセチレン有機合成化学工業は、昭和二〇年代末期から擡頭した石油化学工業系のエチレンからアセトアルデヒド製造をする場合に比し単価的に不利であり、やがてはアセチレン有機合成化学工業は脱皮して石油化学工業に移行しなければ生き残れない運命にあり、被告国の通産省は、アセチレン系有機合成化学工業に対し保護育成政策をもつて対処していたが、アセチレン系有機合成化学工業の石油化学工業への脱皮が容易にできるよう手厚い保護育成政策をもとり、被告チッソもやがて経なければならない脱皮のためにその頃髣髴として起こつた工場廃水に対する現地水俣の排水規制の要望、水俣病の発生源としての疑い等の声を全く無視してなり振り構わず、増産に次ぐ増産をして利益を計上し、石油化学工業へ転換する将来に備えて資本を蓄積し、昭和三五年頃には石油化学工場を完成して稼動させ、昭和四三年までに転換を遂げてアセチレンからアセトアルデヒドへの製造を終えるに至つた。

(4) 水俣工場の位置は、別紙図面一ないし四のとおりであつて、水俣市のほぼ中央に位置し、その幹線排水溝である百間排水溝は、水俣湾内の百間港に通じ、水俣湾の北側の水俣川河口付近の陸側には、カーバイド残滓沈澱用プールの八幡プール群が存在する(別紙図面五参照)。

(5) 水俣工場は、新旧会社時代を通じ大正七年から大正一五年頃までは、変性硫安残滓排水を百間排水溝から水俣湾へ排出し続けていたため、当時は水俣湾の海面が黒色を帯びた状態となつていた。またアセチレン発生残滓排水は、工場内の沈澱池を経て上澄液を昭和七年から昭和二一年頃まで百間排水溝を経て水俣湾に排出し続けたため、水俣湾は、水酸化マグネシウムの沈澱によつて白濁していた。その後昭和二二年から昭和三四年までは、八幡プールを経て上澄液が水俣川河口へ放流されていた。水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造廃水は、昭和七年から昭和三三年九月まで百間溝を通じて水俣湾、昭和三三年九月から昭和三四年九月までは水俣川河口、昭和三四年一〇月から昭和三五年五月までは八幡プール、昭和三五年六月から昭和四一年五月までは百間溝に排出し、昭和四一年六月から昭和四三年五月までは地下タンクとアルデヒド生成器との間を循環する方式を取り入れ、塩化ビニール廃水は、昭和二四年一〇月から昭和三四年九月まで百間溝、昭和三四年一〇月から昭和四一年五月まではアセトアルデヒド醋酸製造廃水と同一経路をとり、昭和四一年六月から昭和四三年二月までは百間溝に排出された。昭和二七年から昭和三四年までの排水量については、別表三のとおりであり、昭和三五年三月から昭和四一年五月までの廃水処理系統は、別紙図面六のとおりである。

(6) 水俣工場は、水銀化合物を触媒として昭和七年にアセトアルデヒド、昭和一六年に塩化ビニール及び昭和一〇年頃に無水醋酸製造を開始し、昭和四三年五月、カーバイドを原料とするアセトアルデヒドの製造を終えるまでに総合計二〇〇トンを超える水銀を損失し多くを流失した。被告チッソの報告による各年における水銀の使用量、損失量及び流失量は別表二のとおりである。アセトアルデヒド一トンの製造には、昭和一三年 四kg、昭和二五年 一ないし三kg、昭和二九年 一kg、昭和三一年 0.6ないし1kgが消費されたものと推定されている。なお、水俣工場廃水には、水銀化合物のほか、セレン、タリウム、マンガンを始めとする多くの重金属類が含まれていた(別表四参照)。

以上の事実に反する証拠はない。

(三)  原告らと被告国及び同熊本県との間において、水俣工場廃水の水俣湾及びその付近海域汚染による人体及び動植物に対する影響と被告らの対応状況について以下検討する。

(1)  昭和二六年以前

水俣工場が、明治四二年、工場完成後にカーバイド並びに昭和七年にカーバイドから水銀を触媒としてアセトアルデヒド、昭和一六年に塩化ビニール及び昭和一九年醋酸ビニール等の製造を開始して残滓及び廃液を水俣湾に排出し、昭和二四年頃には、百間港の残滓の堆積量が著しい場所で6.5mに達し、船舶は満潮時以外に出入りが不能となつていたこと、

昭和二七年

被告熊本県は、水俣市漁業協同組合等の要請によつて、昭和二七年、水産課技師 三好礼治に水俣湾の漁場汚濁に関する調査を命じ、三好礼治の昭和二七年八月二日付調査報告書には、水俣工場における醋酸製造工程での水銀の使用及びアルデヒド母液の流出の事実、工場廃水の排水溝は、百間港側にあるが、従前は、丸島の魚市場及び水俣市漁業協同組合のある漁港にも排出しており、漁民の要望により堰止めしているが、大雨のときには溢水して流出し、生簀の魚が斃死したこともある事実、百間港側では、排水される工場排水と水俣湾沖の恋路島付近に達する堆積した廃水中の残滓が、巾着網、ボラ囲刺網、大網、延縄等の操業を悪くさせ、水俣湾における漁獲を減少させており、水俣工場廃水を必要によつては分析し、成分を明確にしておくことが望ましいこと、水俣工場廃水の影響は、水俣湾に限られず、丸島漁港の南方から水俣川河口に至る海岸一帯に広がつており、廃水の直接被害と長年月にわたる累積した被害とを考慮する必要性のあることが記載されていること、

昭和三一年

① 昭和三一年四月下旬、被告チッソの水俣工場付属病院に脳症状を主訴とする田中静子(当時六才)及びその妹(当時三才)並びに他三名の患者が来院し診察を受けて入院するに至り、同病院は、同年五月一日、水俣保健所にその旨の通告をしたこと、② 水俣保健所長 伊藤蓮雄は、昭和三一年五月四日付で「水俣市月浦附近に発生せる小児奇病について」と題する被告熊本県の衛生部長あての報告書を提出し、被告熊本県は、後記のとおり同年八月三日付で厚生省にその旨の報告をしたこと、③ 昭和三一年五月二八日、水俣市医師会、水俣保健所、水俣市役所、水俣市立病院及び水俣工場付属病院の五者による水俣市奇病対策委員会を設置し、患者の措置及び原因究明に当たることになつたこと、④ 右委員会は、昭和三二年二月一九日、水俣奇病研究委員会と改称したこと、⑤ 昭和三一年七月一八日、水俣市奇病対策委員会は、水俣工場付属病院に入院中の患者を日本脳炎疑似症患者として水俣市伝染病隔離病舎に収容することとし、熊大医学部に原因究明の依頼をしたこと、⑥ 昭和三一年八月、被告熊本県の衛生部は、水俣工場廃水と魚と奇病との関係を疑い、水俣における魚介類の販路及び水俣工場の製品、原材料の調査をし、患者の続発状況(昭和三一年七月末現在の患者一八名、死者三名)及び症状の特異性に鑑み、その頃、熊大学長に原因究明の調査依頼をし、同年八月、厚生省防疫課長あてに原因不明の脳様疾患が多発している旨の電報を送り、同年九月八日、文書で右状況報告をしたこと、⑦ 昭和三一年八月二四日、被告熊本県の依頼により熊大医学部教授らをもつて構成する熊大研究班(班長 尾崎正道(医学部長)、勝本司馬之助(内科学教室)、長野祐憲(小児科教室)、武内忠男(病理学教室)、六反田藤吉(微生物学教室)、喜田村正次(公衆衛生学教室)、入鹿山且朗(衛生学教室))が設置され、調査研究が開始されたこと、⑧ 昭和三一年八月二九日、水俣工場付属病院長 細川一が、被告熊本県の衛生部に猫の狂死事実と患者の地域集積性の指摘をしたこと、⑨ 熊大研究班が昭和三一年一一月三日の第一回報告会において、水俣奇病の原因として重金属による中枢神経系の中毒を疑い、人体の侵入は、主として魚介類の摂取によるものと推測し、汚染源として水俣工場廃水を考えていることを報告したこと、⑩ 昭和三一年一一月、厚生省は、厚生科学研究班を設置し、水俣病の原因究明を行うこととしたこと、

昭和三二年

① 昭和三二年一月二五、二六日、厚生省、国立予防衛生研究所、国立公衆衛生院、熊大研究班、被告熊本県、水俣市、水俣工場付属病院等が東京で第一回中央合同研究会を開催したこと、② 昭和三二年一月二八日、熊本日日新聞は、魚介類が危険である旨の記事を報道し、昭和三二年二月一四日、熊本日日新聞は、熊大、被告熊本県、水俣市、水俣市医師会等で構成する水俣奇病対策委員会の調査結果として、当時、五四名が水俣奇病に罹患し、一七名が死亡した事実及び患者が既に昭和二七年頃から発生している旨の記事を掲載して報道したこと、③ 昭和三二年三月四日、県水対連(副知事、衛生部、民生部、土木部及び経済部で構成)が水俣湾の漁獲禁止を検討し、参考として浜名湖のアサリ中毒事件に対する静岡県の対策を調査することを決定したこと、④ 昭和三二年三月八日、県水対連は静岡県に照会し、同年四月三日、静岡県衛生部長が県水対連に対し「貝中毒事件に対する措置の概要について」と題する書面で「貝中毒事件は、昭和一七年から発生し、同年、三三四名の中毒患者中一一四名死亡した。右患者発生七日後には現地調査をしたが原因物質は不明であつた。しかしながらアサリに起因する疾病と断定し、直ちに発生地域における貝類の採取禁止措置をした。昭和二四年に同種事件が発生した。」旨の回答をしたこと、⑤ 昭和三二年三月六日、被告熊本県の技師 内藤大介は、百間港一帯の漁業被害の実態調査をし、海岸一帯にカキ、フジツボの脱落が見られ、明神崎内側には、海藻類の付着が殆ど見当らず、明神崎突端から西方の七ツ瀬は、わかめの生育地であるが(七ツ瀬は、わかめの年産額は、約三〇〇貫であつた。)、わかめ等の海藻類は死滅して灰泥に覆われていたこと、⑥ 水俣市漁業協同組合が、水俣工場に工場廃水の完全浄化装置の申入れをし、被告国、同熊本県に強力な勧告を実施してもらうこと及び患者の救済及び補償を被告国又は工場に要求することを当面の目標としていることを報告したこと、⑦ 昭和三二年三月二六日、水俣保健所長 伊藤蓮雄が、被告熊本県の衛生部長あてに「水俣奇病に関する速報について」と題する書面で、津奈木村平国部落で猫が集団狂死し、同部落地先海域の漁獲が皆無であり、天草、葦北郡、八代郡方面の漁業者に対する水俣湾内での操業を至急禁止する必要性を強調する旨の報告をしたこと、⑧ 昭和三二年四月四日、被告熊本県の葦北地方事務所長は、被告熊本県の経済部長あてに「水俣市における奇病(猫)に関する調査について」と題する書面で、津奈木村について前同様の事実及び水俣市以北の海域についても危険区域となるおそれのある旨の報告をしたこと、⑨ 昭和三二年七月一二日、厚生科学研究班は、厚生省、熊大、被告熊本県、被告チッソを招いて水俣病研究懇談会を開催したこと、⑩ 昭和三二年七月、熊大研究班は、右伊藤の実験を踏まえて水俣湾の魚介類を動物に投与する実験をすることによつて、水俣病は魚介類の摂食が原因であることが確認された旨、箱根で開催された日本衛生学会で発表したこと、⑪ 昭和三二年七月二四日、県水対連は、水俣湾浚渫工事の一時禁止及び食品衛生法による漁獲禁止の知事告示実施の方針を決定したこと、⑫ 昭和三二年八月一四日、被告熊本県は、水俣市で水俣奇病対策懇談会を開き、水俣奇病をもたらす有毒魚種及び危険海域を討議し、告示の指定海域を明神崎、恋路島、茂道岬を結ぶ線以内の海域とする旨の具体的線引を行い、漁民が漁獲禁止及び漁業権の買上げを要求したが、被告熊本県は、後記厚生省の意向により漁業法の適用による漁業の禁止及び漁業権の買上げの双方に否定的見解を示す結果となつたこと、⑬ 昭和三二年八月一六日、被告熊本県は、厚生省公衆衛生局長に、水俣病にともなう行政措置について照会し、食品衛生法四条二号の適用を促したところ、同年九月一一日、厚生省の公衆衛生局長は、被告熊本県に対し、水俣湾内特定地域の魚介類を摂食することは、原因不明の中枢神経系疾患を発生するおそれがあるので、今後とも摂食しないよう指導すること、水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められていないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し食品衛生法四条二号を適用することはできないものと考える旨の回答をしたこと、⑭ 昭和三二年七月から同年秋頃、被告熊本県の水産試験場が、水俣湾の生物、水質、底質に関する調査を行い、カキの腐死が水俣湾から北部津奈木村北端に至るまでに及んでいることを明らかにしたこと、

昭和三三年

① 昭和三三年六月二四日、参議院社会労働委員会において、厚生省公衆衛生局環境衛生部長 尾村偉久が、水俣病は、水俣の魚を摂取することによる化学物質のタリウム、セレニウム、マンガンのいずれか或いは複合による中毒で発生源とされるものは、水俣工場において生産されており、その物質による病気であることが推定される旨の発言をしたこと、② 昭和三三年七月七日、厚生省公衆衛生局長 山口正義は、厚生科学研究班の研究成果を援用して通産省その他関係省等に対し、肥料工場(水俣工場)の廃棄物が港湾泥土を汚染していること及び港湾生棲魚介類ないし同回遊魚類が、右の廃棄物に含有されている化学物質と同種のものによつて有毒化し、これを多量摂食することによつて本症が発症するものであることが推定されると発表したこと、③ 昭和三三年九月、水俣工場が、アセトアルデヒド製造の廃水の排水を水俣湾へ排出していた百間溝から排水路を変更して水俣川河口へ排出したことによつて、水俣病患者が水俣川以北に続出し、患者発生地域が拡大したこと、

昭和三四年

① 昭和三四年一月一六日、厚生省は、食衛調水俣食中毒特別部会を発足させたこと、② 昭和三四年六月、水俣市長、水俣市議会議長等は、熊本県知事に対し新患者発生対策、漁業権の買上げ、漁業禁止区域の設定等を陳情し、政府、国会に対し漁獲禁止を含む特別立法等を陳情したこと、③ 昭和三四年七月二二日、熊大研究班は、被告熊本県の担当者及び熊本県議会水俣病対策特別委員会委員らの出席する研究報告会において、水俣病は、現地の魚介類を摂食することによつて惹起される神経系疾患であり、魚介類を汚染している原因毒物は、ある種の有機水銀である旨の報告をしたこと、④ 昭和三四年九月、牛深市、八代市で猫の臓器から水銀を検出し、津奈木町で新患者の発生が確認され、芦北、湯浦漁業協同組合は、水俣工場廃水の排出禁止、海底のドベの除去及び汚染海域の調査をすべきである旨の決議をしたこと、⑤ 昭和三四年一〇月六日、食衛調合同委員会が開催され、水俣食中毒特別部会代表が中間報告で水俣病の原因物質は、有機水銀である旨の報告をしたこと、⑥ 昭和三四年一一月、鹿児島県出水市米ノ津に水俣病類似患者が存在することが判明したこと、⑦ 昭和三四年一一月一二日、食衛調常任委員会が開催され、水俣病は、水俣湾及びその周辺に生棲する魚介類を多量に摂取することによつて起こるある種の有機水銀化合物による主として中枢神経系統が障害される中毒性疾患であると断定して厚生大臣に答申したこと、⑧ 厚生大臣は、翌一三日、食衛調水俣食中毒特別部会の解散を命じたこと、

昭和三七年〜昭和三八年

昭和三七年八月、熊大入鹿山教授が水俣病の原因物質と考えられる有機水銀化合物を水俣工場から採取したスラッジから抽出したこと、

昭和四一年〜昭和四四年

① 厚生省は、「水俣病は水俣湾の魚介類を長期かつ多量に摂食したことによつて起こつた中毒性中枢神経疾患であり、その原因物質はメチル水銀化合物であり、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによって生じたものと認める。」と公表したこと、② 昭和四四年二月三日、経済企画庁長官は、水俣水域について、指定水域 水俣大橋(左岸 熊大県水俣市八幡町三丁目三番地の二四号地先、右岸 熊本県水俣市白浜町二一番地の二五号地先)から下流の水俣川、熊本県水俣市大字月浦字前田五四番地の一から熊本県水俣市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれに流入する公共用水域、水質基準 水銀電解法か性ソーダ製造業又はアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場又は事業場から右指定水域に排出される水の水質基準 メチル水銀含有量 検出されないこと、適用の日 昭和四四年七月一日とする指定及び設定をしたが、水俣工場がそれ以前の昭和四三年五月一八日、水銀又はその化合物の流出源であり、水俣病の発生源であるアセトアルデヒド醋酸製造設備を閉鎖し、アセトアルデヒドの製造をとりやめていたこと、③ 昭和四四年三月一三日、内閣は政令第二一号「工場排水等の規制に関する法律施行令の一部を改定する政令」により塩化ビニールモノマー洗浄施設を特定施設に加えたこと、

昭和四六年

水俣工場が、昭和四六年三月、水銀を触媒とする塩化ビニールの製造を中止し、水銀を含む廃水の流出を停止したこと、

以上の事実は争いがない。

(2) <証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。

昭和二六年以前

① 水俣工場廃水による漁業被害及び漁業補償については、当時の水俣町漁業組合が被告チツソの前身である日本窒素肥料株式会社に対し、大正一五年、苦情を申し出でて被害の補償をさせ、さらに昭和一八年にも実質同様補償をさせるほど水俣湾の汚穢汚濁が生じており、昭和一九年頃からは、水俣湾に面する月浦でカキの腐死が目立ち始め、その後拡大して行つた。② 昭和二四、五年頃からは、水俣湾内のチヌ、クロ、石鯛、太刀魚、ボラ等の魚が弱つて浮いて流れているのが頻繁に見られるようになり、昭和二六年頃には、水俣湾の藻類の死滅が目立ち始め、水産庁の調査によつても水俣工場廃水の影響による水俣湾内におけるイワシ、ボラ等魚介類の漁業被害が報告されている。

昭和二七年

① 昭和二七年三月二四日、被告チッソは、被告熊本県の経済部長に対して水俣工場廃水の処理状況報告書を提出し、水俣工場における製造の種類、原材料名(醋酸の項では水銀を使用している旨の記載をしている。)、排水の性質、殊に醋酸冷却水の項にアルデヒド母液の老化による一部流出、循環ポンプの故障、パッキングの取替えの際における硫酸及び酸化鉄の母液が流出することがある旨の報告をした。アセチレンからアセトアルデヒドを製造する際には、触媒として水銀塩が使用されており、右の事実は、高校の化学の教科書にも記載されている常識的事柄であつた。② 昭和二七年頃になると、水俣工場廃水による水俣湾の汚穢汚濁は深刻化して魚が斃死して浮き上り、貝類も腐死して海藻も育たず、空中からカラスが突然落下して来たり、水俣湾に近い茂道、出月等の部落の猫が突如狂つて廻り出したり海中に飛び込む等して次々に狂死し、やがて月浦、湯堂、明神及び梅戸等に広がつていつた。③ そこで被告熊本県は、水俣市漁業協同組合等の要請もあり、昭和二七年、水産課技師 三好礼治に水俣湾の漁場汚濁に関する調査を命じ、三好礼治は右調査をして昭和二七年八月二七日付調査報告書を提出した。右報告書によると、水俣工場廃水の排水溝は、百間港側にあるが、従前、水俣湾に北隣する丸島の魚市場及び水俣市漁業協同組合のある丸島漁港にも排出したことがあつて、漁民の要望によって堰止めをしているが、大雨のとき等には溢水して漁港に流出し生簀の魚類が斃死する弊害が生じたりしたことがある、百間港側では、排出される工場廃水と水俣湾沖の恋路島付近に達する永年に亘る堆積した廃水中の残滓とで、水俣湾内における巾着網、ボラ囲刺網、大網、延縄等による漁民の操業ができ難くなり、同時に漁獲量も減少していること等から水俣工場廃水の悪影響が認められ、同工場廃水の成分の分析をすることも考慮すべきである、水俣工場廃水の悪影響は、丸島漁港の南方から水俣川河口に至る海岸一帯にも拡大しており、同工場廃水の直接的な漁業被害のほかに永年に亘る残滓等による漁業被害が生じており、これらにつき対策を考慮すべき必要性がある旨の報告がされており(前記のとおり右事実は当事者間に争いがない。)当時の水俣湾及びその付近海域における水俣工場廃水に起因する深刻かつ広範な海面の汚穢汚濁、有毒性による魚介類の斃死減少ひいては同海面を漁場として操業し生計を維持する漁民の収益の減少等が淡々とした報告の中に浮き彫りにされている。なお、三好礼治の右報告書に先立つ前記①の昭和二七年三月二四日付被告チッソの被告熊本県の経済部長に対する水俣工場廃水処理状況報告書にもあるとおり、水俣工場における醋酸製造工程での水銀の使用及びアセトアルデヒド母液の流出が把握されていたのであるから、三好礼治の報告書による水俣工場廃水の悪影響には、右廃水中に含まれる水銀による被害も容易に考えられた筈である。

昭和二九年

① 昭和二八年末頃からは、水俣地区に原因不明の中枢神経系疾患の患者が次々と出現して問題となり、遠くは昭和一六年から発生していることが後日の調査で判明しており、昭和二九年には一八名に達していた(別表二五参照)。② 昭和二九年六月頃には、茂道部落の一〇〇匹を超す家猫が水俣湾産の魚介類を摂取して全滅し、同部落では、ねずみ駆除を水俣市衛生課に申し入れるほどであつた。

昭和三一年

① 昭和三一年になると水俣湾沖の恋路島のカキは全滅して岩礁が灰泥で覆われ、水俣湾内百間港入口の海面には夥しく斃死した魚が漂い、海面は死魚によつて真白に見えたりしたこともあつた(別表一一参照)。② その頃になると、原因不明の中枢神経系疾患に罹患した者が水俣市郊外にも出現し、患者発生地域が拡大した。③ 熊大研究班の喜田村教授は、昭和三一年九月から水俣で中枢神経系疾患々者等を個別に調査して、患者が昭和二九年から激増していることを突き留め、当時確認された患者五二名中一七名が死亡(致命率 32.8%)し、同一世帯内の発生率(家族集積率)が極めて高く、患者発生世帯が漁業に関与している者に非常に多いこと、患者及び猫、豚、犬等の家畜は類似の症状を呈して死亡することが多い、患者は水俣湾内のコノシロ、ボラ、カニ、カキ、ビナ等の魚介類を摂食した者が圧倒的に多く、水俣湾内の魚介類がなんらかの原因で汚染されており、右魚介類を比較的長期間摂食することによつて右疾患が発生するものであろうと考え、汚染原因の可能性のあるものを水俣工場等であると考え、右調査結果を昭和三一年一一月三日、被告熊本県の係官が出席する熊大研究班第一回報告会に報告をした。次に熊大研究班の入鹿山教授は、水俣工場廃水を水俣奇病の第一の原因であると考え、水俣湾の汚染との間になんらかの関係があるものと考えて同湾の汚染状況調査を行つた。当時水俣工場廃水の排出量は、毎時三五〇〇m3で、水俣湾全体が水俣工場廃水によつて濃厚に汚染されており、同湾の地形、潮流から汚染物質は、容易に外海に放出されて稀釈されることがなく、湾内に停留していることが明らかにされた。④ 昭和三一年一一月に行われた水俣市袋小学校、袋中学校及び津奈木村赤崎小学校生徒の集団検査によれば、袋小学校生徒七五二名中中枢神経系疾患の諸症状を呈する有所見者 一二二名(16.2%)、袋中学校生徒三一七名中右有所見者三九名(12.3%)であつた。⑤ その頃の熊本日日新聞、西日本新聞等は、水俣奇病に関する記事を屡々掲載して患者総数五二名中一七名死亡の事実を報道し、当時社会の耳目を聳動させていた。⑥ 熊大研究班の喜田村教授の調査によれば、患者多発地区の月浦、出月及び湯堂における昭和二八年から昭和三一年の間の猫の斃死数は、別表七のとおりであり、自然発病猫、実験発病猫及び健康猫の体内における蓄積水銀値は、別表八のとおりであつた。水俣奇病患者の発生は、家猫の水俣奇病発病に約一、二か月遅れて出現した。⑦ 水俣市が水俣湾及びその付近海域の漁獲高を調査した結果によれば、昭和二五年から同二八年における平均漁獲高は、一二万二四六〇貫であつたが、昭和二九年の漁獲高は七万四五一六貫と右平均漁獲高の六一%しかなく、昭和三二年にはさらに減少して右平均漁獲高の九%に落ち込み、昭和三三年には8.7%にまで落ち込んで、昭和三四年八月一五日、水俣市漁業協同組合と被告チッソの合同による水俣湾内の魚影調査では、魚が一尾も網にかからないほど水俣工場廃水による汚穢汚濁は進んでいた。

昭和三二年

① 昭和三二年一月二五、二六日、東京で開催された第一回中央合同研究会(厚生省、国立予防衛生研究所、国立公衆衛生院、熊大研究班、被告熊本県、水俣市、水俣工場付属病院等の各担当員が参集)では、熊大研究班、国立公衆衛生院の研究陣が、水俣病は、重金属による中毒によるものとの考え方が有力である旨述べ、同会議では、水俣湾の魚介類が有毒化しており、右魚介類の摂食によつて発症することが確認されたので、魚介類の毒性が消失するまで摂食を中止させるべきである旨の決議をした。② 昭和三二年三月八日、県水対連の静岡県に対するアサリ中毒事件処理に関する問合わせに対し、同年四月三日、静岡県衛生部長は、アサリ中毒事件が起こった際の対策の一つとして、昭和一七年、警察部長通牒で有毒区域内のアサリ等貝の一切の採取禁止をし、昭和一九年には静岡県令で右禁止をし、昭和二五年三月一七日には、静岡県知事が浜名湖内の一定の区域から採捕されるカキ、アサリは、当分の間有毒な物質が含まれており、人の健康を害うおそれがあるから、これを販売し(不特定多数の者に授与する販売以外の場合を含む。)又は販売の用に供するために加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列したときには、当時の食品衛生法第四条の規定に違反し、同法二二条の規定によつて行政処分をし、同法三〇条によつて刑罰に処せられることがある旨の公告をした。③ 水俣保健所長 伊藤蓮雄は、昭和三二年三月二六日から水俣湾内の魚介類を無差別に猫七匹に投与する実験を始めたところ、五匹の猫が右魚介類投与開始後早いもので七日目から、遅いもので四八日目から自然発病猫と同様の水俣病症状で発病しその病理所見も一致した。④ 昭和三二年三月三〇日、厚生科学研究班は、「熊本県水俣地方に発生した奇病について」と題する報告書で、中毒は、水俣湾内の魚介類の摂食によるものであつて、魚介類の汚染物質は、おそらく或る種の化学物質ないし重金属であろうと推測され、同湾近くの水俣工場の実態につき十分調査をして工場廃水の成分を明らかにする等によつて原因を明らかにしたい旨の報告をした。⑤ 昭和三二年六月二四日、参議院社会労働委員会において厚生省公衆衛生局環境衛生部長は、水俣病は化学物質かある種の金属即ちセレニウム、タリウム、マンガンのいずれか又はその複合による中毒であり、水俣の魚を食することによつて発病することは確実に分つている、発生源と推定されるものが水俣工場で生産されており、その物質による病変であることは確定されている旨の答弁をした。⑥ 昭和三二年九月、熊大医学部は、被告チッソに対し硫酸製造用原鉱(硫化鉄)その他の原鉱の処理方法、排水路、製品の使用原料名及びその量、廃棄物処理方法等について歴年別の資料の提供方の問合わせをしたが、被告チッソは熊大医学部に対し十分なる資料の提供をしなかつた。⑦ 昭和三二年一〇月、厚生科学研究班は、第一二回日本公衆衛生学会総会において、水俣病は、水俣湾内産の魚介類を摂食することによつて起こるものであることは明らかに実証されたが、その魚介類の有毒化の原因及び本病発症の機転については、今後さらに研究を続行し、近い将来これを解明したい、回遊性の魚類で同湾内に短期間留まつたものでも毒性を帯びるようである旨の報告をした。⑧ 昭和三二年一一月二九日、国立公衆衛生院における厚生科学研究班主催の水俣病研究報告会では、水俣病が猫その他の動物にも自然的または実験的に発病するものであり、その病理学的所見は、人の場合に酷似しており、魚介類の汚染物質としては、重金属のセレン、タリウム、マンガンが考えられる旨の報告をした。⑨ 昭和三二年頃における水俣湾及びその付近海域に対する水俣工場廃水による汚穢汚濁の結果、魚介類、海藻、水俣付近の鳥獣の異常死等の異変状況は、破滅的であつた(別表一一参照)。

昭和三三年

① 昭和三三年八月二一日、被告熊本県の経済部長は、水俣市漁業協同組合以外の八代海沿岸各漁業協同組合長に対しても水俣湾及びその近付の想定危険海域(明神岬、恋路島及び茂道岬を結ぶ範囲の海域(別紙図面七参照))での漁獲を自粛するよう各組合員に対し指導するよう要請をした。② 昭和三三年九月一日、水俣市漁業協同組合は、漁民大会を開催して危険海域での法的な漁業禁止の措置を求めること等の決議をし、被告熊本県及び厚生省にその旨陳情した。③ 昭和三三年一〇月一六日、衆議院社会労働委員会において、厚生大臣は、水俣病の原因が水俣工場廃水の重金属によるものであり、特別予算を組んで早急に対策を講ずる旨の答弁をした。④ 昭和三三年一〇月、被告熊本県の水産試験所における調査報告によれば、昭和三二年七月末から同年八月にかけての水俣湾及びその付近海域の調査では、水俣市地先漁場における生物、水質及び底質は以下の状況であつた。即ちアサリ貝は、水俣湾外丸島港外北側地点で殻長 2.0ないし3.8cmのものが一m2内に五〇箇余り生棲しているに過ぎず、袋湾とか明神崎付近では一m2内に約四五〇箇の死貝が発見される等水俣湾及びその付近海域では貝類の腐死が目立ち、昭和三三年後半には、再び水俣病患者が次々と水俣湾沿岸等に発生した。

昭和三四年

① 昭和三四年七月二一日、水俣工場付属病院医師 細川一は、水俣工場が百間溝に排出する廃水一〇c・cとアセトアルデヒド工程から生ずる廃水二〇c・cを毎日基礎食に振りかけて猫に投与する実験を開始したところ、同年一〇月六日、実験猫四〇〇号に水俣病症状が出現し、痙攣発作、運動失調、後肢麻痺、流涎、視力障害等が出現した。② 熊本県知事は、昭和三四年七月二二日、水俣湾内の魚介類が有毒化していることから農林大臣に対し危険海域を漁業禁止区域とすること等の特別立法の措置を講ずるよう陳情した。③ 昭和三四年七月二三日、食衛調水俣食中毒特別部会員 後藤源太郎(熊大理学部教授)は、水俣病の原因物質を水俣工場廃水に含まれている水銀である旨の見解を表明するに至つた。④ 昭和三四年八月六日、水俣市漁業協同組合、鮮魚仲買商組合は、被告チッソに対し漁業補償一億円、海底に沈澱した堆積物の完全除去及び浄化設備の設置を要求し、同月一七日、被告チッソは、水俣市漁業協同組合に対し漁業補償等として一三〇〇万円の支払案のみを提示したが、同組合は拒否し、同組合員らが興奮激昂して水俣工場に乱入する騒動が生じた。⑤ 昭和三四年一〇月六日、食衛調合同委員会が開催され、水俣食中毒特別部会代表が中間報告をし、調査による水俣病発症のヒト、猫の臓器中の水銀値、水俣湾泥土の水銀量及び分布状況が、別表一二ないし一五のとおりである旨の報告をした。⑥ 昭和三四年一〇月一四日、熊本県漁業協同組合連合会は、不知火海水質汚濁防止対策委員会を設置し、被告チッソに対し水俣工場廃水の排出停止、沈澱物の完全除去等を要求する方針を決定し、同月一七日、その旨決議をして要求したが、被告チッソはこれを拒絶した。そこで、同月二〇日、同連合会長らは、厚生省に対し右事項が実現するよう要望し、これを受けて厚生省公衆衛生局長は、通産省企業局長に対し水俣工場廃水の排出につき適切な措置を講ずるように要請した。通産省は、同年一一月一〇日、厚生省公衆衛生局長に対して、水俣病の原因が水俣湾の魚介類に含まれる有機水銀化合物によるものであるとするのは疑問であり、一概に水俣工場廃水に帰せしめることはできないとの見解を示して回答した。しかしながら通産省は、その頃、被告チッソに対しては口頭及び文書で水俣工場廃水をそのまま不知火海へ流出させることを中止し浄化装置を設置するよう指導しており、被告チッソも通産省の右意向に沿い水俣川河口への排出を中止するに至つた。⑦ 昭和三四年一〇月二二日、衆議院農林水産委員会審議で、水俣の実情に鑑み水俣湾の魚介類採取禁止の措置をとる必要があり食品衛生法の適用を促したが、厚生省等被告国側は、右適用には否定的見解を示した。⑧ さらに昭和三四年一〇月二六日、熊本県議会水俣病対策委員会において、人命尊重の見地から水俣工場の操業を一時中止する指導をするよう熊本県知事に促したが、同知事は消極的見解を示した。⑨ 昭和三四年一一月四日、熊大医学部助教授 神原武(病理学)が第五回日本病理学会で、水俣病の原因物質は、水俣湾内の魚介類の体内で無機水銀から変位した有機水銀であり、右無機水銀は水俣工場廃水に含まれている旨の報告をした。⑩ 厚生省公衆衛生局長は、昭和三四年一一月一二日、食衛調から水俣病が水俣湾及びその周辺に生棲する魚介類を多量に摂取することによつて起こるある種の有機水銀化合物による主として中枢神経系統が障害される中毒性疾患である旨の答申を受けて(右の内容による答申を受けたことは争いがない。)これに沿い、翌一三日、熊本県知事等に通知した。食衛調水俣食中毒特別部会長は、同月二〇日、右答申直後に解散させられたことは、水俣工場の非協力な態度によつて有機水銀の種類、発生源等についていまだ解明がされていない中途段階であることから非常に残念である旨の談話を発表した。⑪ 昭和三四年当時の水俣湾内外における水銀値は、別紙図面八のとおりであり、特に水俣工場廃水の排水出口付近では、水銀値が異常に高い二〇一〇ppmを示した。当時の魚介類の水銀量調査資料には、熊大研究班の喜田村教授による別表一六があり、不知火海における漁獲調査資料については熊本県水産試験場のもの等があり、当時水俣湾及びその周辺海域の魚介類が水俣工場廃水に含まれる水銀によつて異常に汚染されて弊死減少しており、不知火海全般の魚類の減少を来たし各漁業協同組合の漁獲高の減少となつて現われていた。⑫ 水俣工場は、昭和三四年一〇月一九日 醋酸プール、同月三〇日 八幡プール浸透水逆水管設備、昭和三四年一二月二五日 廃水浄化装置サイクレター・セディフローターを各完成したが、これらの設備は、水俣工場廃水に含まれる水銀化合物を殆ど除去する能力を備えておらず、結局水銀化合物を含んだまま水俣工場廃水は、不知火海へ排出され続けられた。⑬ 当時、水俣工場技術部においても、当時の水準の計量分析器によつて水俣工場のアルデヒド母液及び精ドレンの中で約三〇ppm、昭和三六年当時の進歩した機器で二〇〇ないし三〇〇ppmの総水銀(有機水銀を含む)の検出をすることが可能であつた。⑭ 昭和三四年一二月二八日、内閣は、政令第三八八号「工場排水等の規制に関する法律施行令」を制定公布したが、水銀化合物の流出源であるアセトアルデヒド醋酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設は、右規制の対象である特定施設からはずされており、規制の対象外とされた。

昭和三五年

① 熊大医学部衛生学教室の昭和三四年一二月から昭和三五年一月にかけての水俣病患者らの毛髪水銀量調査では、水俣地区以外の健康者が五ppm未満 一五名、五ないし五〇ppm 一名に対し、水俣病患者は、一〇ppm未満 四名、一〇〜五〇ppm 一一名、五〇〜一〇〇ppm 一名、一〇〇ppm以上 九名(最高七〇五ppm)と異常に高い者が多く、水俣地区では健康者とされる者ですら一〇ppm未満 五名、一〇〜二〇ppm 五名、二〇〜五〇ppm 三名、一〇〇ppm 二名と高かつた(別表一七参照)。② 昭和三三年から昭和三五年にかけての水俣湾及びその付近海域に生棲するヒバリガイモドキを動物(猫)に投与した実験によると、早い猫で一三日目、遅い猫で八五日目に水俣病を発病した(別表一八及び別紙図面九参照)。

昭和三六〜昭和三七年

熊本県衛生研究所の昭和三七年五月の「水俣病に関する毛髪中の水銀量の調査」と題する報告書によれば、昭和三五年一一月から昭和三六年三月までの不知火海沿岸住民の毛髪水銀量調査結果、御所浦 一〇ppm未満 二五九名、一〇〜五〇ppm 七八四名、五〇〜一〇〇ppm 一二九名、一〇〇ppm以上 二四名、水俣 一〇ppm未満 三八名、一〇〜五〇ppm 一〇〇名、五〇〜一〇〇ppm 四九名、一〇〇ppm以上 一二名等その他の地区でも一〇〜一〇〇ppmに集中し高い数値を示した。同研究所における昭和三六年一〇月から昭和三七年三月までの同様調査結果においても一〇〜五〇ppmの数値を示す者が圧倒的に多い(別表一九、一九'、二〇参照)。

昭和三八年

① 昭和三八年二月、熊大入鹿山且朗教授は、熊大研究班会議で水俣病の原因物質と考えられる有機水銀化合物を水俣工場で採取したスラッジから抽出した旨の報告をした。② 昭和三八年一〇月、熊大医学部衛生学教室の調査によると、水俣湾の水銀値は、海底土がなお数mの深さで堆積しており、水銀量も多く2.4m以下の海底土中で最高七一六ppmの数値を示していた(別表二一、二二及び別紙図面一〇参照)。

昭和四一年〜昭和四四年

① 熊大医学部入鹿山教授が昭和四三年三月から昭和四四年二月までにわたつて水俣湾及び水俣川河口(大崎)のアサリ貝中の水銀の調査によれば、水俣工場がアセトアルデヒド生産を中止した昭和四三年以降は、アサリ貝中の水銀量が急激に減少していることが分かつた(別表二三参照)。② 昭和四三年、入鹿山教授の調査によると、水俣工場のアセトアルデヒド反応母液酸液中に総水銀 五三六ppmが検出され、右水銀中にメチル水銀が一三四ppm含まれていることが分かつた(別表二四及び別紙図面一一参照)。③ 経済企画庁長官が、昭和四四年二月三日、水俣水域におけるアセチレン法塩化ビニールモノマー製造工程から排出される廃水中にメチル水銀を検出されないことと定めたときには、水俣工場のアセトアルデヒド製造を終息し、被告チッソが水銀化合物を触媒として使用することを必要としない石油からアセトアルデヒドを製造する方法に総て転換を終えた後のことであつた。従つて、カーバイド→アセチレン→アセトアルデヒド製造工程については、結局、なんらの制限もなく被告チッソは操業を続け、単価的に安価で大量生産に向いている石油からアセトアルデヒド製造に転換するまで、フル操業して右転換準備をした。④ 昭和四四年三月一三日、内閣は政令第二一号「工場排水等の規制に関する法律施行令の一部を改正する政令」によつて、塩化ビニールモノマー洗浄施設を特定施設に加えた。

昭和四六年

水俣工場は、昭和四六年三月、水銀を触媒とする塩化ビニールの製造をしなくなつた。

昭和四八年

昭和四八年、被告熊本県の水俣湾における調査結果は、別紙図面一二、一三のとおりであり、水俣工場廃水に含まれていた水銀がなお相当量残存していることが分かつた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  原告らは、被告らが水俣病の原因究明を妨害した旨の主張をするので以下判断する。

前顕証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、熊大研究班は、被告熊本県から水俣病の原因究明の調査依頼によつて設置され、班員は、鋭意その究明に当たり、被告チッソに対しても水俣工場の使用物質、製品、廃水経路、各工程の廃水の分析等の調査のため問合わせ、資料の提供を申し入れたが、被告チッソは、関係当局に対する報告による以外には、企業秘密を口実として熊大研究班が希望する調査、資料の提供に十分応じようとせず、熊大研究班が水俣病の原因物質を水俣工場廃水に含まれるある種の有機水銀(メチル水銀)であるとの帰結に到達するのに不必要な時間と労力を要する紆余曲折をさせることとなつたことも否定することはできず、熊大研究班員に大きな不満を残したこと、被告チッソは、関係当局に対する報告すら不十分かつ不正確な内容であつたり、昭和三四年一〇月、水俣工場付属病院医師 細川一の猫四〇〇号の実験結果が判明していない時期に猫実験の結果によつてもアセトアルデヒド製造工程における工場廃水によつても水俣病は発症しない旨広言し(現実には、その直後典型的な水俣病症状が発現した。)、発症後はアセトアルデヒド製造工程から生ずる廃水投与の猫実験を禁止し、頑強にメチル水銀説を否定して生産を強行したこと、他方、被告国の通産省は、アセチレン系有機合成化学工業に対し資金面、販売面、税務面等多方面において手厚い保護育成政策を講じ(昭和三一年三月五日通産省省議決定によるカーバイド工業及びタール工業育成対策等)、アセトアルデヒド醋酸、塩化ビニール等の増産に力を入れ、順次アセチレン系有機合成化学工業から石油化学工業への脱皮を策定していた時であり、カーバイドから水銀化合物を触媒としてアセトアルデヒド製造をするのに嗟跌を生じさせる障害となる水俣病の原因物質が、触媒として使用した水銀化合物から生成されることを肯認することは、極力避けようとする意図のもとに、右原因物質がメチル水銀であることを否定する方向に動き、同省軽工業局長が被告熊本県の知事に対し無機水銀と有機水銀とは違う、無機水銀が有機水銀となることはない等といい張り、同知事、厚生省からの被告チッソの水俣工場廃水の排出規制の要請に強い難色を示し、食衛調が水俣病の原因物質が水俣工場廃水中のメチル水銀であるとの答申を厚生省に行つた直後から、被告チッソを擁護し、或いは通産省の意向を受け、にわかに打ち出された日本化学工業協会専務理事 大島竹治の爆薬説、東京工業大学教授 清浦雷作の有毒微生物説等の全く根拠のない諸説を挙げて他の原因物質によるものであるかのように主張し、通産省の右主張に引きずられたのか厚生大臣は、メチル水銀化合物の種類、水俣工場内における生成過程を追跡調査解明すべき部分を残している食衛調水俣食中毒特別部会を、納得しうる合理的な理由を示さないまま右答申を受けた翌日電撃的に解散を命じ、右調査解明を一頓挫させて妨害する結果を招来させたこと、なお前記のとおり右答申後の昭和三四年一〇月二二日、衆議院農林水産委員会審議において、水俣湾の魚介類採取禁止のため食品衛生法四条二号の適用を促す意見の陳述がされたが、厚生省側は難色を示し、被告熊本県も通産省、厚生省の意向に沿い被告チッソに対する廃水規制、水俣湾及びその付近海域の危険海域の魚介類採取禁止の規制措置を講ずることに難色を示して行わなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  水俣病及び水俣病患者発生地域について

(一)  水俣病は、被告チッソが水俣工場において水銀化合物を触媒としてアセトアルデヒドを製造し、右製造工程中に生成する右機水銀化合物(メチル水銀化合物)を含む工場廃水を、十分に調査研究することなく長期かつ大量に不知火海に排出した結果、水俣湾及びその付近海域の魚介類をメチル水銀化合物によつて汚染させ、沿岸住民の中で右汚染魚介類を多量に経口摂取した者が発症する中毒性の主として中枢神経系疾患であり、胎児性水俣病は、母体が右汚染魚介類を経口摂取して体内にメチル水銀化合物を取り込み、胎児が胎生期に胎盤を通じメチル水銀化合物に侵されて発症する右疾患であることは、当事者間に争いがない。

(二)  前顕証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告チッソは、水俣工場において昭和七年から昭和四三年まで第二次大戦前後の一時期を除き長期継続して人体に対し有毒物質である水銀化合物を触媒としてアセトアルデヒドのほか塩化ビニール及び無水醋酸を製造し、右製造工程において相当量の水銀化合物が流出することを認識しながら敢えて工場廃水中に流出させ、殊に昭和三四年一〇月には、水俣病の原因物質がメチル水銀化合物であつて、水俣工場廃水に含まれていることが科学的に高度の確かさをもつて推定されるに至り、水俣工場廃水の浄化ないし排出停止を緊急に求める漁民等の悲痛かつ深刻な申入れないし抗議を受けながら頑として受け入れず、これを無視してその後も一〇数年にわたりアセトアルデヒド等の増産に次ぐ増産を進め、大量の右有毒な工場廃水を殆ど無処理のまま不知火海に排出し続け、水俣湾及びその付近海域の沿岸のみならず、南北約八〇Km、東西約二〇Kmの不知火海一円に及び水俣病患者を多数発生させ、その発生は昭和一六年からであり、行政庁において認定された水俣病患者は、昭和六一年八月三一日現在において被告熊本県 一七二二名、鹿児島県 四二二名に及んでいること(別表二五、二六、別紙図面一四参照)、なお熊大医学部教授 入鹿山且朗の昭和三六年三月から昭和四三年八月にかけての水俣湾及びその付近海域における魚類の水銀値の調査結果は、別表二七のとおりであり、厚生省の水銀における安全性の暫定基準値である総水銀 0.4ppm、メチル水銀 0.3ppmとの対比からも濃厚な汚染状態が続いていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二次に本件患者らが水俣病に罹患したか否かにつき以下判断する。

1  水俣病の病像について

(一)  水俣病は、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド醋酸製造工程中に副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を、長期かつ多量に不知火海の水俣湾及びその周辺の海域に排出した結果、魚介類が汚染され、魚介類の体内に濃縮したメチル水銀が蓄積し、さらに、地域住民が右魚介類を経口摂取することにより、人体内にメチル水銀が蓄積して罹患する中毒性疾患であることは、当事者間に争いがない。

(二)  また、チッソ水俣工場排出のメチル水銀の不知火海における汚染状況は、前記認定のとおりであり、右汚染は広範囲に及び、魚介類、動物、人体への被害は、その全容さえ把握することができず、根深く甚大なものと言わざるをえない。

(三)  <証拠>を総合すると次の事実が認められる。

(1) 人体内に侵入したメチル水銀は、肝臓、腎臓等の臓器に凝集し、血液に混入して脳に至り、脳の各所の細胞や末梢神経細胞等を破壊する。先ず、大脳皮質では、両側性に大脳半球の広範囲の領域にある神経細胞が破壊され、最も障害の強いのは、大脳後頭葉で、しかも鳥距野領域、中心前回、後回、横側頭回などである。脳構築からみると、第Ⅱ層から第Ⅳ層にかけての神経細胞障害が最も強いが、その他の神経細胞も破壊される。脳回表層部よりも脳溝深部谷部に病変が強く、鳥距野では、深部前方程病変が強く、後頭極へ近づくにつれて軽い。神経細胞の障害は、急性期に急性腫脹、クロマトリーゼ、重篤変化、融解、崩壊、ノイロノファギーが見られ、後に重症なものは消失して脱落する。その脱落が強いものは海綿状態となり慢性に経過すると、残存神経細胞は変性萎縮、硬化し、障害部にグリア細胞の増殖を招来する。小脳では、両側性に新旧小脳の別なく皮質の顆粒細胞層が障害され、顆粒細胞の融解、崩壊を招来してその脱落を来す。プルキニエ細胞は保存されやすいが、後に破壊されて脱落を招来し、ベルグマン・グリア細胞の増殖を伴う。このような神経障害は、小葉中心性に現われ易く、後になると、いわゆる中心性顆粒小脳萎縮の病像を招来する。大脳核、脳幹及び脊髄の病変は、脳皮質病変に比して軽く、末梢神経は、一般に脳中枢の病変に較べて軽度である。しかしながら、神経系統における病変は、広範囲にわたつて惹起され、中枢全般はもちろんのこと末梢にも出現する。一般臓器の病変は、急性期に消化管の靡爛を呈するものがあり、肝臓及び腎臓の脂肪病変がみられるほか、骨髄低形成がみられ、慢性に経過すると、全身の栄養障害と諸臓器の萎縮がみられる。

(2) メチル水銀による人体に対する影響は、人体の全体との関連において考察すべきであつて、脳、末梢神経等の神経系にのみ限局して論ずべきものではない。血中のメチル水銀の濃度又は神経系への侵入量が、一定の危険閾値を超えれば、神経系の不可逆的崩壊が発生する。低級アルキル系有機水銀は、組織のSH基と強固に結合する特性があり、まず赤血球のグロビン・タンパクのSH基に結合して血球に乗り、体内を循環しながら徐々に臓器内に侵入する。メチル水銀と同程度の毒性を持つエチル水銀は、猿に投与した実験では、神経系のみならず、膵臓などの臓器にも蓄積、増量し、体内に摂取されたエチル水銀は、神経系の外、臓器や組織側の蛋白とも結合することが認められている。

右動物実験の結果は、人のメチル水銀中毒症の発生機序を考察し、その理解を深めていく場合に有力な一つの資料となる。猿の実験結果では、まず急性期から亜急性期にかけてのメチル水銀中毒症の脳損傷を決定していく諸因子のうち、脳の部位、経時別による水銀の侵入量の多寡に加えて、細胞側の水銀に対する損傷性の高低差が重要であるが、これと併行して脳の血行障害の存在を重視すべきである。メチル水銀が神経細胞に直達し、その壊死、崩壊をきたすのと併行し或いはそれ以前に、メチル水銀が、脳血管壁自体に侵入し、その機能異常を来たし脳血管の攣縮、断血性を招来して脳実質の血行障害を発展させたり、脳血管の内皮細胞自体にまず侵入しその損傷をきたすことによつて脳・血液関門が障害され、その結果脳浮腫を発生させたり、脳の損傷性を一層、増幅させ、メチル水銀の脳実質への侵入量を増加させた可能性のあることを否定できない。因に、人の急性期から亜急性期におけるメチル水銀中毒症の神経病理学は、脳の断血性血行障害と浮腫病変の結果像を明示している。猿の実験では、早期から心筋へ多量のエチル水銀が侵入し、その残留性も高い所見となつており、エチル水銀は、大動脈の特に筋層や内皮細胞層にも相当多量に侵入していることから、猿の全身の循環障害を招き、脳の血行障害に重畳した可能性があり、さらに、他の臓器や組織の血行障害をも招来しているものと考えられ、人のメチル水銀中毒症の病理像にも右推察に合致する症候の所見としては、ハンター・ラッセルの報告例がある。右報告例には、冠動脈硬化症とこれに基づく断血性の心筋障害、細小動脈硬化性の萎縮腎等が指摘されており、慢性期の多数の水俣病患者にも右症状が見られる。即ち、亜慢性期から慢性期に属する幼少児や若年性成人のメチル水俣中毒症患者の脳には、脳動脈の硬化性病変が殆どの場合に見出され、加令因子を超えた病的症状であり、急性期にもその片鱗が見られる。冠動脈硬化症、心筋障害や肥大、その他の臓器の細小動脈硬化症とこれに基づく組織損傷、たとえば細小動脈硬化性萎縮腎などの発生機序については、単に老令的因子の介在だけで説明できない部分があり、メチル水銀の積極的な役割を否定することができない。エチル水銀投与の動物実験では、大動脈管壁の特に心筋を含む筋層にエチル水銀が多量に侵入し遷延的に残留する所見が得られていることから、相当量のエチル水銀が、膵臓のランゲルハンス氏島にも侵入し、経時的に増量することが推測され、胎児性ならびに小児の慢性例の水俣病の全例にランゲルハンス氏島の病変を欠くことがない病理学の所見とも一致する。そして、ランゲルハンス氏島への有機水銀の侵入は、活性インシュリンの生産量を低下させ、血糖値の上昇を来たして糖尿病の症状を示す全身性の代謝異常を惹起することが考えられる。

(3)  従つて、メチル水銀によつて罹患する水俣病は、その病像が病理学的にいまだ十分に解明されている段階にあるものとはいえないが、現段階においては、人体に侵入したメチル水銀は、血液内に入り血流に乗つて人体各所を廻り、特に、脳、神経細胞を襲つて壊死または破壊し、これに起因して人体各所に諸症状を発現する中枢性神経系疾患としての面のあることは明らかであるが、それのみならず、血管、臓器、その他組織等にも作用してその機能を弱体劣化させ、これに起因し病変を発生或いは既発生の病変を重篤化する可能性のあることを否定しえない中毒性疾患である。

(4) 人体内に摂取、蓄積されたメチル水銀は、或る期間を経過すると体外に排出されて人体内に残留する量が半減する。メチル水銀の摂取量が増大すると人体内の蓄積量及び排出量も増大し、日々一定量のメチル水銀を長期間にわたつて連続して摂取すると、人体内のメチル水銀の蓄積量は或る時点で排出量と平衡状態となり、蓄積量が増大しなくなる。メチル水銀が人体に作用し症状として発現するには、メチル水銀の蓄積量が或る限度を超える場合であり、右限度を超えた場合には、脳、神経細胞が不可逆的に侵襲を受けて破壊され、中枢性神経系の症状が発現する。水俣病発症のメチル水銀蓄積量の限界値即ち閾値は、摂取量、摂取回数、摂取総量、半減期、人体の体質、体調、既発生の疾患の有無等により異なり定数値はない。体重五〇kgの人で約二五mgのメチル水銀摂取量によつても感覚障害が発症する場合があり、約五五mgで視野狭窄、運動失調、九〇mgで構音障害、一七〇mgで難聴、二〇〇mgで死に至る場合もあり、個人差があつて一概にはいえない。なお、人体内のメチル水銀蓄積量の生物学的半減期も、脳、血液、血球、毛髪等で数値が異なり、殊に、脳のメチル水銀蓄積量の半減期は、二〇〇日以上、発症から二五〇日以上の日数を要するようであり、相当長期間にわたつて脳に残留し脳細胞を侵襲することが窺われる。

(5)  メチル水銀の人体に与える影響は、メチル水銀の侵入量、侵入期間、人体内における蓄積量、残留期間、人体側のメチル水銀に対する対向性の強弱等によつて様々であり、その発現する症状も多様である。① メチル水銀摂取量が大量であつて急激かつ広汎に脳や全身に重篤な障害が起り、麻痺、意識障害、痙攣などを発して死に至る急性劇症型、② ①のような重篤な障害を受けながら死に至らなかつたが、大脳皮質が広範囲に強い障害を受け、小脳障害もあり、失外套症候群を呈して、いわゆる植物人間として生存しているにすぎない重症型、③ 通例見られる水俣病の症状を発現していたが次第に重症となるいわゆる慢性刺激型及び慢性強直型、④ 感覚障害、求心性視野狭窄、運動失調、構音障害、難聴のハンター・ラッセル症候群ないし水俣病症候群をもつた普通型の定型的水俣病に属する型、⑤ 臨床症状が、水俣病に通例見られる症候群として整つておらず、蓄積水銀量も少なく、多くは、急性軽症者や慢性発症者の一群のいわゆる不全型。この不全型は、大脳皮質の好発局在性の神経細胞の間引脱落が主で、小脳顆粒細胞脱落も比較的に軽い、⑥ 水俣病の症状が、他の脳神経疾患の脳血管性障害等で隠されている型等がある。

(6)  水俣病の発症は、メチル水銀の摂取、吸収及び蓄積の過程があり、一定量以上の蓄積があれば発症するに至るが、一般的には摂取量が増えれば早期に発症し、連続して摂取しても摂取量が少なければ、長期にわたつてメチル水銀が蓄積することとなるために、初期症状の見られない者或いは軽症者が後年に至り水俣病の症状が明らかとなり或いは重篤化するに至ることがある。即ち、① 昭和四〇年新潟県阿賀野川流域に発生したいわゆる新潟水俣病において、阿賀野川下流水域の川魚が捕獲を禁止され、その後の水銀摂取が極めて少量と考えられたのに、数年後、症状が発現した例も確認されており、慢性の遅発性水俣病である。② 熊本における水俣病においても、初期に軽症であるか症状の発現が見られないのに数年を経て昭和三五年頃から昭和四〇年頃にかけて症状が増悪ないし発症した例が多く見られる。

(7)  水俣病に罹患した場合には、主に、中枢性神経系の各障害が見られる。四肢末端の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、平衡機能障害、構音(言語)障害、聴力障害、歩行障害等が症状として多く発現するが、他に口周囲、舌尖のしびれ、筋力低下、振戦、眼球運動異常、味覚障害、嗅覚障害、精神症状、痙攣その他の不随意運動、筋強直等様様な症状を示す。通例、初期には、四肢末端及び口周囲のしびれ感が緩慢に始まり、漸次拡大して言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴等が発現する。① 感覚障害 水俣病患者に極めて出現頻度が高く、感覚障害は通例しびれ感として自覚される。感覚障害の有無については、筆などによる触覚検査、針などによる痛覚検査で他覚的所見が得られ、四肢末梢系の感覚障害は、四肢末端に手袋、足袋状(golbe and stooking状)の感覚異常となつて現われ、時には片麻痺状も見られる。口周囲の感覚障害は、他覚的に感覚鈍麻が見られる。② 運動失調 感覚障害と共に出現頻度の高い症候であり、水俣病の運動失調は、小脳性運動失調であつて運動時の円滑さの障害、運動の大きさの測定障害、協調運動機能障害である。運動失調は、水呑み、煙草吸い、マッチ付け、釦掛け、字を書く時などの諸動作に現われて、これらの動作が拙劣であり、多くの場合に粗大な振戦を伴うことが多い。さらに、歩行、言語状態の仔細な観察によつても判断することができることが多く、アジイアドコキネージス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験等によつて他覚的所見を得ることができる。③ 求心性視野狭窄及び視野沈下、眼球運動異常等の眼症状 視野は、眼球を静止させて光を確認しうる広さの範囲であり、水俣病による求心性視野狭窄及び視野沈下は、大脳後頭葉鳥距野の神経細胞脱落等の障害に起因する。視野障害は、視野周辺から始まり周辺ほど著しい感度低下を来して傘型沈下を示す。水俣病における視野狭窄は、通例、求心性かつ両側性であり、水俣病の症候として高率に発現する。④ 平衡機能障害 水俣病における平衡機能障害は、メチル水銀によつて小脳及び脳幹部の細胞を破壊されることによる障害に起因するものであり、運動失調が存する場合には、平衡機能障害が発現している場合が多く見られる。平衡機能は、視覚系、内耳前庭系及び内耳前庭系以外の諸知覚系を刺激受容器とし、眼運動系及び脊髄運動系を効果器管として中枢総合系の小脳及び脳幹が制御している。⑤ 構音障害 小脳性の運動失調の一症候であり、緩徐な言語、爆発性言語、断綴性言語、不明瞭な言葉使い等が見られる。⑥ 難聴 水俣病における聴力障害は、メチル水銀により大脳側頭葉横回の神経細胞脱落によつて惹起され、聴覚の振動音を電気信号に変換して神経に伝達する系が障害される感音性難聴の中後迷路性難聴である。これは、語音聴力検査等で確認することができる。水俣病に罹患して発症する難聴は、低音部より高音部が顕著である。⑦ 歩行障害 水俣病における歩行障害は、小脳性運動失調の一症候である。歩行障害は、動揺性の酒酔状態における歩行に似ており急激な方向転換、停止などはできず、甚しい場合は、起立困難となる等の症状が発現する。⑧ その他味覚鈍麻、嗅覚鈍麻、流涎、精神異常等々の多様な症状が見られる。脳卒中、高血圧、動脈硬化症等もメチル水銀に起因するものではないとにわかに否定することができない症状である。

(8)  水俣病における中枢性神経系の各障害に対応する自覚症状(愁訴)もまた多様であり、手足がしびれる、手足がじんじんする、指先が利かない、物を取り落す、手が震える、手が思うように動かない、手足に力が入り難い、手の力が弱い、釦掛けがし難い、字が思うように書けない、躓き易い、鴨居などに頭を打ち付け易い、疲れ易い、体がだるい、根気がない、仕事が永続きしない、頭重、頭痛に悩まされる、眠れない、目眩がする、目が疲れ易い、回りの物が見えない、遠くの物がよく見えない、物が二重に見える、音が聞こえない、耳鳴りがする、言葉がはつきりしない、言葉が出難い、体の筋肉がピクピクする、匂いが分らない、味が分らない、物忘れをする、気の遠くなる発作がある、カラス曲りになる等々多種多様である。

以上のとおり認められ、<証拠>中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  水俣病罹患の有無の判断について

被告らは、水俣病罹患の有無の判断につき、(1) 汚染された魚介類の経口摂取によりメチル水銀が体内に蓄積された事実の存否のほか、(2) メチル水銀中毒症に起因するものと思われる症候がいずれも水俣病にのみ特有の症候ではなく他の疾患によつても同一症状が発現する可能性があるから、水俣病に特徴的に出現する症候の組合わせを設定し、その組合わせに該当する症候の存否を原則として必要とすべきである旨の主張をするので、以下検討する。

水俣病認定判断の基準については、昭和四六年八月七日付環境庁事務次官通知及び昭和五二年七月一日付環境庁企画調整局環境保健部長通知が存在することは、当事者間に争いがない。

前記事実によれば、水俣病に発現する各症状の中、四肢末梢性及び口周囲の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、視野沈下、構音障害、難聴等は、水俣病に特徴的な症状ではあるが、右の特徴的な症状を含む水俣病の示す各症状はいずれも他の疾病によつても発現する可能性のあるものであつて、水俣病にのみ発現する特有の症状ではない。しかしながら、水俣病は、チッソなる一企業が長期かつ多量に猛毒なメチル水銀を含む工場廃水を内海である不知火海に排出し、食物連鎖により濃縮したメチル水銀によつて汚染された魚介類を、広域の沿岸に定住する夥しい住民が、相当期間にわたつて食べ続けた結果、メチル水銀が経口摂取によつて人体内に蓄積し、主に脳、末端の神経細胞が破壊されて罹患する中毒性疾患であつて、その症状も急性、慢性、不全型と多種多様である。従つて、汚染海域沿岸の住民の疾病が、水俣病に発現する多様な症状のいずれかの症状と同一症状を示している場合、右疾病が水俣病か否かを判断するのに最も重要かつ決定的な要素は、① メチル水銀曝露の事実の存否であり、メチル水銀曝露の事実は、毛髪水銀を測定すれば端的にその根拠となり得るが、右測定結果を得ていない場合は、居住歴、生活歴、職歴及び家族、同僚、知人、付近住民等の水俣病罹患の有無などの事実調査によるメチル水銀曝露の事実の存否を明らかにし、メチル水銀曝露の事実が肯定されれば、次に、② メチル水銀の汚染海域の沿岸に居住する住民の発現する症状が、水俣病に発現する症状と同一症状であるか否かを判断し、同一症状である場合、専ら水俣病以外の疾病に基づくものであることが明らかである場合を除いて、水俣病に起因するものであることは否定できないものといわざるをえない。

そうすると、被告らの右主張は理由がない。

なお、前判示の如く、メチル水銀による魚介類の汚染が広範囲かつ長年月にわたつており、右摂取量、時期等も各個人によつて当然相違すること、メチル水銀中毒の症状の出現にも多様性のあることを考慮し、前記①の如くメチル水銀曝露の事実、次いで②の如く各人の症状について、その出現の態様(必ずしも症状の組合せを要しない。)や程度を検討し、各人が他の疾病に罹患して合併症が存する場合にも、当該症状が明らかに他の疾患を原因とすることが認められる場合を除き、各人の症状につきメチル水銀摂取の影響によることを否定できない場合には、水俣病にも罹患しているものというべきである。そして水俣病か否かの判断には、被告らが主張する昭和五二年七月一日付環境庁企画調整局環境保健部長通知のような各種症候の組合わせを必要とする見解は狭きに失するものというべく、右組合わせを要件とすれば、単に神経精神科、内科、眼科、耳鼻咽喉科等の各専門分野において、メチル水銀曝露の事実を軽視若しくは無視した各単科的医学的判断が示される傾向を招来し、右事実の存否との有機性のない単科的医学的見解を単に無機的に集合したに過ぎないような結論を導き易い弊害が懸念され、さらに右組合わせに含まれる特徴的症状を示さない慢性型若しくは不全型の水俣病に罹患しているか否かの判断をするのは、極めて困難とならざるをえない。

2  メチル水銀曝露の有無について

水俣病は、メチル水銀による環境汚染であり、人体被害の前にその汚染海域及びその周辺地域の自然環境を破壊し、食生活を通じて家族、地域に集積した被害を発生させたものであるから、各人が水俣病に罹患しているか否かの判断の前に、汚染海域に依拠する周辺住民のメチル水銀曝露の事実につき、まず判断することとする。

(1)  <証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

居住地

海岸からの距離、地勢、交通の利便、漁業や農業等の集落の人々の職業、生活状況などから、汚染魚の摂食の可能性、特に昭和二〇年代から四〇年代の居住状況が疫学的条件として重視される。

本件患者らの昭和三〇年代までの住居は、御所浦町嵐口地区二一名、出水市米ノ浦・名護六名、同市桂島一名、水俣市茂道七名、同市袋四名、同市百間町一名、津奈木町岩城・大泊九名、同町赤崎二名、芦北町女島三名、同町計石四名、同町花岡一名、田浦町大字田浦町五名、同町小田浦三名、八代市二見三名である。

① 天草郡御所浦町嵐口地区

水俣市から直線距離で約一〇Km、不知火海に浮ぶ漁業の島である御所浦島の北側にある地区である。陸地は狭く、ミカン以外の農産物は殆どない。潮流は、水俣から御所浦へと向つており、昭和三〇年代中頃までは、巾着網を主とした漁業であつた。以後、太刀魚つりなどの一本釣り、四〇年代以後は、エビ、タイなどの刺網漁が盛んとなつた。漁民は、水俣付近に出漁する者が多く、大部分の住民が直接、間接に漁業に関係し、島の住民の食生活は魚が中心で、ほぼ同一とみてよい。昭和三四年頃からネコが狂死し、豚、鶏などの家畜が狂死した。昭和三五年頃の被告熊本県の毛髪水銀値の測定では、最高値の九二〇ppmを示した松崎ナス(当時六二才)がいた。測定した住民の七七%が、一〇ppm以上の高い毛髪水銀値を示した。

② 出水市

米ノ浦・名護地区は、出水市の海岸地区で漁業が盛んであり、農地も他地区に比べて広く農業も盛んである。この地区の住民は、漁師から容易に魚を入手でき、季節によつては網子として漁業に従事した者も多い。この地区の海岸は、アサリ、カキなどの貝類が豊富で、主婦たちが容易に採ることができ、又舟や岸からの釣り、夜ぶり(鉾突き)、タコ採りなどもこの地区の住民の一般的な楽しみとされていた。猫、豚、犬、鶏などの狂死が相次ぎ、急性劇症患者、胎児性患者が発生した。桂島は、チッソ水俣工場から南西約一二Kmに位置する小さな島で、全員漁業を営んでいる。

③ 水俣市

茂道は、水俣病多発地区である。現在は、海岸に埋立道路ができたが、以前は陸の孤島といわれ、交通が不便で流通は極めて限られていた。殆ど、漁業又は半農半漁である。住民は、専業の漁業でなくとも、網子として働き、或いは、楽しみとして舟を持ち、釣りや夜ぶりをしていた。この地区に昭和三二年頃、他所から猫を貰つてきて飼育すると、三〇日から六〇日で発病した。猫は全滅し、犬、豚、鶏、イタチ、水鳥、カラスなども水俣病となり、急性劇症患者や胎児性患者も多発した。

袋は、農業が主として営まれている。しかし海から一〜二Kmと近く、農業の合間に主婦たちは、カキ打ちや貝採りに、男たちは、釣りや夜ぶりに出かけた。同地区に搬入される魚介類は、主として茂道地区からであつた。

④ 津奈木町

大泊、泊、赤崎は、不知火海に面したリアス式海岸の海辺近くで、主に漁業を営んでいる。土地が狭く、農業は蜜柑以外では成り立たない。昭和三〇、四〇年代は、海岸道路が整備されておらず、流通が悪かつた。農業、船大工その他の人も、時には網子として働き、家族や親戚に漁業従事者がおり、近所からも分けて貰うなどして魚介類を多食していた。猫の狂死も多発した所である。

⑤ 芦北町

女島、計石も大泊、泊の北への延長上の海岸にあつて、右④と同様である。特にこの地区は、漁業従事者が大部分であり、昭和三四年急性劇症患者が発生し、認定患者も多数存在する。

⑥ 田浦町

大字田浦町、小田浦ともに国道三号線沿いにあり、海岸から五〇〇mから一Km以内の地区で、漁業が中心である。田浦港の水揚げ高は、不知火海で一、二を争い、八代、熊本、人吉から山間地への消費地に近いことから、鮮魚商が盛んであつた。漁業に従事していなくとも、海岸に近いため、自ら釣りに行つたり貝類を採つたりしていた。猫の狂死も多発した所である。

⑦ 八代市二見地区

田浦の海岸続きで、患者の多発地区である。井牟田に隣接し、水俣湾をも漁場にしていた。

食生活について

前記のとおり、右各地区の住民は、漁業でなくとも魚介類を多食していた。例えば、桂島の漁師の調査では、男性は一日 一九〇〜八四二g、女性で一日 九一〜四〇三g、平均一日 333.6gを摂食し、又他の報告でも、男性で一日 396±118.1g、女性で一日 164.3±97.4g、子供で一日 221.4±106.5gを摂食していた。日本人の平均一日の魚介類摂取量 108.9gに比して、明らかに魚介類を多食していたことになる。この量は、昭和五年の水俣湾外に八代海の魚介類の水銀含有量で計算すると、メチル水銀の一日摂取量の基準値 0.025mgを上回り、しかも、昭和三〇年代は、この約五〇倍の水銀が含まれていた。津奈木町の赤崎、福浦、平国の人々を津奈木町の人(農業)は、方言で「赤崎、平国、ちん米くわん、じゆうじゆうからいも、イワシのしや。(米は食べずに、サツマイモとイワシばかりを食べているという意味である。)」と言つてあざけつていた。漁師や陸地の狭い海辺に住む人々は、畑地ではサツマイモを作り、米は買わなければ食べられず、大方は貧しく、主食は、魚とサツマイモであり、外からの副食、肉などの流通は今日のようにはなかつた。

職業

漁師、非漁業者とも魚介類を多食している。網子、イリコ製造業者、鮮魚商も魚介類を多食し、舟大工、鍼灸師、僧侶、勤め人や日雇いであつても、近所から貰つたり自ら魚介類を採りに行つたり、夜ぶりに行て魚介類をよく食べており、職業による魚の摂取量の差は、さほど大きくはない。水俣病の発生時期は、半農、半漁の者が多く、貧しさもあつて副食を得るため、カキ、貝、タコ採りに行き、舟を持つていて一本釣り、夜ぶりをやつた者が多い。魚に比べて汚染のひどい貝類(一〇倍)を食べる量は、農民も漁民も大差はなかつた。

家族歴

食生活を同じくする家族及び同居人の水俣病罹患の有無は、メチル水銀曝露の有無の関係で重要であり、網元、網子の関係も又重要である。認定患者がいれば汚染の重要な証拠となるが、認定、未認定を問わず、家族らにどのような症状があるか、或いはどのような症状で死亡したかが参考となり、昭和三〇年代の流産・死産も重要である。

自然環境の異変

水俣病の公式発見前に、魚介類が斃死し、猫が狂死したり、魚が浮上したなどの異変が目撃されている。猫の狂死の場合、流涎、突然の回転運動、突進運動などの症状に特徴があり、地元では猫踊りなどといわれていた。右症状は他の疾患と間違うことはなく、家猫の狂死は、汚染の有力な証拠となる。昭和三二年頃、茂道、湯堂などで猫は一か月で発症し、猫の発症は、実験によると一日体重一kg当たりメチル水銀一mgを必要とする。昭和三〇年代には、多くの家畜、鶏、豚、犬などが同様症状で狂死しており、これも汚染の証拠となる。地域住民は、死んだ魚は食べないが、弱つて浮いた魚を拾つて食べた人も多い。魚のエラや眼玉を見て変色していない場合は食べていたようであり、魚が浮きあがる場合、魚には一〇ppm以上の水銀が含まれていたと推定されている。

毛髪水銀値及び臍帯水銀値

昭和三五年、熊本県衛生研究所及び鹿児島県衛生研究所が不知火海沿岸住民の一部について毛髪水銀を測定した。右結果は、本件患者らにも、当時同様汚染の背景を推定させる。水俣市では一九九人が測定され、最高 一七二ppm、50.3%が10〜50ppmを示し、30.6%は50ppm以上を示し、津奈木町では、一〇二人を測定し、最高 一九一ppm、59.8%が10〜50ppm、28.4%が50ppm以上を示した。芦北町では四〇人を測定し、最高 一九二ppm、47.5%が10〜50ppm、50.0%が50ppm以上を示し、御所浦町では一一六〇人を測定し、最高 九二〇ppm、64.4%が10から50ppm、一四%が五〇ppm以上を示し、田浦町では三三名が測定され、最高 二〇〇ppm、45.5%が10〜50ppm、36.3%が50ppm以上を示した(別表一九'参照)。出水市米ノ津では四四五人を測定し、最高 624ppm42.2%が10〜50ppm、32.1%が50ppm以上を示した。

保存臍帯中のメチル水銀も当時の汚染状況を示す重要な手がかりとなる。臍帯本人の汚染の証明となるだけではなく、母体である母親、ひいてはその同一家族の汚染の証拠にもなる。

地域の集積性

水俣病は、環境汚染による中毒であるから、メチル水銀曝露の事実は、同一生活圏、同一生活様式と考えられる一つの地域(地区、集落)の場合、家族内の発病だけではなく、地域全体が同一条件下にあるものと考えられる。御所浦町、八代市二見、芦北町計石、田浦町などは、島であつたり、或いは交通不便であつたりしたうえ、差別を恐れ、魚が売れなくなることを心配して、住民が水俣病を隠したりして申請が遅れた事情があるが、行政庁による認定患者が多数存在することは、その地区の汚染の確かな証拠となる。右認定患者数は、御所浦町嵐口地区 二三人(五九年四月六日現在)、出水市米ノ津・名護 一一五人、桂島 四三人、水俣市茂道 一九九人、袋 四九人、津奈木町大泊 三四人、赤崎 七三人、芦北町計石 二一人、女島 九五人、田浦町大字田浦町 五二人、小田浦 四人である。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  本件診断書の評価について

(一)  本訴における立証上の問題点と当裁判所の見解

前顕証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件は、その被害の全容さえ把握できない環境汚染による広汎な被害を発生させた類をみない公害訴訟であり、多数の不全型又は慢性型の水俣病認定申請者の早期かつ的確な救済の点で問題のある現在の水俣病認定制度のもとで右水俣病患者らの老令化が進む中で、多くの患者が、最後の拠り所として司法的救済を求め、多数原告に対する迅速な裁判を求めているという特異性があり、当裁判所としても、その審理の迅速性と適正の確保のために、当事者双方にいかなる立証を尽くさせるかについては、苦心したところである。そこで、当裁判所は、右の諸要請の調和点として、原告ら全員につき水俣病患者の臨床経験の豊富な主治医の診断書と原告らの供述録取書を証拠として採用し、原告らの申請にかかる原告らの一部の者の本人尋問及びその主治医を証人として採用し、さらに当裁判所が原告らに促したその余の原告らの一部の本人尋問及びその主治医を証人として採用し、法廷及び現地において地域、病型の代表的な人、メチル水銀曝露の事実、症状等を解明する必要のある人に留めたものである。なお被告らからは、原告らの水俣病罹患の有無について死者を除く本件患者らの鑑定申請をしたのみで、人証の申出はなんらなされてはいない。被告らは、被告熊本県に対し水俣病認定処分申請者である本件患者ら全員のうち検診を経た者の検診資料の全部を証拠として提出せず(棄却処分済の人についてのみ提出し、しかも被告熊本県関係分で提出したのは審査会資料のみであつた。被告国及び同熊本県は、その気がありさえすれば、一部でも検診を終えている者については、疫学調査の結果や検診記録を提出し、原告側提出の供述録取書、診断書との矛盾点を明らかにするなどの反対資料として提出し得た筈である。)、仮に右原資料を提出しないとしても、個々的に問題のあるとする者については、診断した医師の証人尋問や原告本人尋問等も申請しえた筈であり、当裁判所がその機会を与えたのにも拘らず敢えてこれをしなかつた経過があること、メチル水銀曝露の具体的事実の判断に重要な各人の生活状況についての、本人の供述が最適の証拠であり、これは本人の供述録取書、供述書があれば認定が十分に可能であり(その信用性については、他の関係証拠に照らし吟味することは勿論である。)、本件においては、詳細な供述録取書ないし供述書が証拠として提出されていること、各人の病状については、適切な医師の診断書があれば、臨床所見等の病状の認定もまた十分に可能であり、本件では、水俣病について専門知識を有し、水俣病患者に対する臨床経験の深い熟達した主治医の詳細な診断書が証拠として提出されていること(死亡者でカルテが現存しないいくつかについては主治医を証人として尋問した。)、なお仮に鑑定を採用したとしても、水俣病をめぐる四囲の状況からは、もはや適正な鑑定人を得がたく、しかも鑑定のために相当長期の日時を要することが予想され、本件は、提訴以来既に六年以上経過しており、迅速な裁判が求められていること等から、当裁判所は鑑定申請を採用せず各人の水俣病罹患の有無の立証については、右方式を取つたものである。

(二)  診断書の一般的証明力について

さてそこで、主治医の作成した診断書について、個別認定に入る前に、一般的な証明力について以下検討する。

本件患者ら七〇名の診断書を作成した医師は、後記のとおり上妻四郎、平田宗男、原田三郎、佐野恒雄、藤野糺、赤木健利、宮本利雄、松尾和弘、樺島啓吉、板井八重子、松本脩の一一名であり、このうち松本脩医師を除く一〇名が、「水俣病裁判支援・公害をなくする県民会議医師団」(昭和四六年結成)に所属し、統一した診断基準のもとに診断書を作成している。即ち甲一〇〇〇号証、証人上妻四郎の証言によれば、右医師らは、診断書を作成するにあたつて、第一に、個々に疫学的条件を重視し、数回にわたり患者の自宅及びその周辺を訪問し、生活環境や生活状態を調査し、その結果を診断の際の最も重要な根拠としていること、第二に、所見のとり方についても、患者を検診するにあたつて、患者の自宅、水俣診療所、水俣協立病院その他の場所での日常生活の支障を参考にした診察を行い、検査所見は原則として患者を二週間位水俣協立病院に入院させて、患者の疲労が検査結果に影響しないように注意し、また過去の複数の検診録や検査所見も参考にして診断をしていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると右診断書作成のための調査方法、診断態度は相当であるというべきである。次に証人原田正純、同藤野糺(第一回)、同上妻四郎の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、県民会議医師団では、右三名の証人が指導的立場に立つ医師らであり、水俣病の病像について汚染された魚介類を多食した(又は母親が多食した)という疫学的条件に加え、少なくとも四肢末梢性の感覚障害があり又は症候の組合せがあり、これらが他の疾患によることが明らかな場合を除いて水俣病と診断する基準を採用し、被告国、県の症候の組合せを必要とする認定基準そのもの及び認定制度に伴う検診などの運営方法等に批判的立場をとつていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右診断基準は、当裁判所の見解とも一致するものであつて、相当とすべきである。なお右医師らが、被告らの認定制度の運用に対し批判的立場をとつている点についても、各医師が各人の医師としての良識に従つて行動していることの結果と考えられ、このことだけから、右各医師の診断書の診断内容や所見のとり方一般についての信用性が害されると結論付けることはできない。

(三)  診断書を作成した医師らについて

(1) 上妻四郎医師

昭和二年生、昭和二四年 熊本医科大学医学専門部卒業、昭和二五年 医師免許取得、熊本大学神経精神科入局、その後大分少年保護鑑別所勤務、熊大神経精神科教室助手、城野医療刑務所勤務、宮崎・高宮病院(精神科)副院長、熊大体質医学研究所気質学研究部講師を経て、昭和三八年 医療法人ピネル会上妻病院開設、昭和三五年 論文「脳たんぱく質の研究」で学位取得、昭和四一年より三期法務省人権擁護委員。

昭和四四年 水俣病県民会議を結成して、その代表幹事となり、同年暮から水俣現地を訪れ、昭和四六年一月、県民会議医師団を結成し、その団長となつて、その後、患者の掘り起し運動に取組む。最初、原田正純らの案内で水俣病患者を診察、今日まで約一〇〇〇名程度(うち二〇名は胎児性患者)の水俣病患者を診察した。

本件では、原告田渕レイコ、同白竹あつ子、亡福田いつ子、原告荒木ヒロ予、同大石雪子、同野村盛清、同本田精一の診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>により認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 平田宗男医師

明治四三年生、昭和九年 九州医学専門学校(現在の久留米大学医学部)卒業、同校脳神経科教室入局、その後同校の講師、助教授を経て、応召、昭和二〇年陸軍軍医中尉として復員後、論文「インシュリンショック療法の臨床的研究」で九州大学より医学博士の学位を授与される、昭和二一年七月から昭和二六年三月まで平田医院開業、同年七月 医療法人芳和会熊本保養院を開設して院長に就任、昭和二一年五月から昭和三四年二月まで及び昭和四五年八月から現在に至るまで同医療法人理事長、昭和五一年一一月 同医療法人菊陽病院院長、昭和五六年同病院総院長。

昭和四五年六月から水俣現地で検診活動。いわゆる赤本(「水俣病―有機水銀中毒に関する研究」熊本大学医学部水俣病研究班昭和四一年三月)等により勉強会も行い、昭和四六年一月、県民会議医師団結成に関与、水俣病患者五〇〇人以上を診察し、論文として「田浦町集検報告」―医学評論通巻(第四六号)別刷―一九七四年五月二四日発行―等があり、水俣病に関する学識経験が深い。

本件では、原告小島サツエ、同竹田フミエ、同竹地重哲、同井坂ヤヲノ、同畑崎和一郎の診断書を作成している。

以上の事実は<証拠>により認められ、右認定に反する証拠はない。

(3) 原田三郎医師

大正一三年生、昭和二四年 熊本医科大学卒業、同大学第一内科教室研究員、同大学第一内科研究生、同大学神経精神医学教室研究生を経て昭和三五年 医学博士の学位を授与される、熊本保養院、宮崎・高宮病院、熊本市の清小園(園長)を経て、昭和四六年から国立療養所菊池恵風園に勤務。

内科が専門であるが、現在担当しているハンセン氏病患者は、水俣病患者と同様に、神経の末梢の麻痺、四肢末梢の麻痺が特徴である。昭和四五年、水俣病第一次訴訟原告の田中実子を訪ねて以来、県民会議医師団に参加し、水俣病患者一〇〇人くらいを検診した。水俣病第二次訴訟の原告緒方覚を診断している。

本件では、原告横山義男、同渕上ヨシエについて診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>により認められ、右認定に反する証拠はない。

(4) 佐野恒雄医師

昭和一〇年生、昭和三九年 熊本大学医学部卒業、昭和四二年一一月まで同医学部第二病理学教室研究員、助手、その後内科医として各地の病院、診療所に勤務し、現在医療法人芳和会希望ヶ丘診療所勤務、昭和五八年死体解剖資格認定証明書(病理解剖第四四九六号)取得。

昭和四三年三月から昭和五六年三月まで熊大医学部第二病理学教室の武内忠男教授のもとで、水俣病患者の病理解剖の研究に従事、研究テーマとして脊髄と末梢神経の関連をとりあげ、「人体水俣病における脊髄末梢神経特に脊髄神経根の組織病理学的研究」(熊本医学会雑誌第五四巻第四号、昭和五五年一二月)を発表し、右論文によつて医学博士号を取得、右研究は、水俣病患者の病理解剖一八例と対照としての一〇例を比較検討し、脊髄神経の前根と後根の繊維の大きさをコンピューターで解析し、その結果は、後根では変化がないものの、前根では大きな繊維の脱落が見られ小さな繊維は数の増加がみられるというものであつた。佐野医師は、昭和三九年四月から一年間の水俣市立病院での医師実施修練を受けた際、当時の副院長であつた三嶋医師から神経病理学の所見のとり方について指導を受け、また藤野糺医師、原田正純助教授からも指導を受け、昭和四八年五月から県民会議医師団に参加し、年に二、三回の割で集団検診にも参加し、二〇〇名を超える水俣病患者を診察した。

本件においては、原告沢田友喜、同浜田清熊、同大丸清一、同牧三郎、同田中秋好の診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>により認められ、右認定に反する証拠はない。

(5) 藤野糺医師

昭和一七年生、昭和四三年三月熊本大学医学部卒業、同年七月 医師国家試験合格、昭和四四年四月 同医学部神経精神医学講座研究員、昭和四七年四月同研究生、同年九月 精神鑑定医指定、昭和四九年一月 医療法人芳和会水俣診療所長、昭和五三年三月 同診療所が医療法人芳和会水俣協立病院となり、院長に就任、昭和五六年二月「ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究」の学位論文で医学博士号を授与される。

熊本大学医学部神経精神科の立津政順教授のもとで、昭和四五年三月から水俣病患者の診察にたずさわり、昭和四七年四月 医療法人正仁会水俣保養院に勤務し、昭和四九年 水俣診療所所長に就任以来水俣に居住し、今日まで多数の水俣病患者の診察、治療にあたり、研究面でも前記学位論文の他にも水俣病に関する多くの論文を発表している。環境庁の水俣病研究班の研究協力員である。熊大二次研究班の検診にも参加している。藤野医師は水俣病の臨床医としての実績は勿論のこと、研究者としての実績も高く評価されている。殊に、前記学位論文は、メチル水銀の汚染地区である鹿児島県出水市荘桂島地区の住民の綿密な疫学調査・一斉検診を実施し、その結果を、メチル水銀の非汚染地区である鹿児島県大島郡瀬戸内町加計呂麻島の西阿室地区の住民のそれと比較検討し、桂島はメチル水銀の濃厚汚染地区で住民五七名中五一名が水俣病、六名がその疑いと診断され、全員がメチル水銀の影響を受けていることを明らかにし(因みに、昭和四六年から鹿児島県と出水市の行つた調査では、水俣病の疑いとされたものは三名にすぎなかつた。もつとも当時は閉鎖的な社会の中で桂島住民が、水俣病と診断されれば、魚が売れなくなり、地域からつまはじきにされることを恐れて、調査に非協力的であつたことにもよる。)、また、四肢末梢型のいわゆる手袋・足袋状の知覚障害が、水俣病に特有の顕著な症状であることを明らかにした。

本件においては、原告平本豊史、亡西山貞吉、原告浦崎直、同竹山肥薩子、同森下アキヲ、同松田政行、亡松田近松、原告川崎スエマツ、同橋口三郎、同渕上ハツエ、同佐々木正信、同柳迫フタエ、同柳迫フサエ、同柳迫ツルエ、同柳迫盛義、同佐々木兼光、同真野敏郎、同伊藤シヅヲ、同伊藤フジ、同田中重年、亡釜貞喜、原告福田稔の診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>により認められ、右認定に反する証拠はない。

(6) 赤木健利医師

昭和一八年生、昭和四三年 熊本大学医学部卒業、医師国家試験合格、昭和四九年 熊本大学大学院医学研究科(神経生理学)卒業、医学博士を授与される、昭和五三年四月三一日まで熊本大学医学部第一生理学教室助手、同年五月一日より医療法人芳和会に勤務、専門は神経生理学と精神科。

水俣病については、学生時代徳臣教授の講義を受け、いわゆる赤本を勉強。昭和四五年五月 県民会議医師団に入り、原田正純らに所見のとり方などを教授してもらい、これまで五〇〇名を下らない水俣病患者を検診している。

本件においては、原告野崎光雄、同宮脇東助、同村上正盛、同越智フミエ、同脇畑サダメの診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>によつて認められ、右認定に反する証拠はない。

(7) 宮本利雄医師

昭和一七年生、昭和四四年 熊本大学医学部卒業、医師国家試験合格、昭和四五年三月まで同学部付属病院で研修、昭和四八年三月まで同学部第三内科研究生、昭和四五年四月から下通診療所、平和診療所、北九州健和会中原病院、熊本日赤病院での勤務又は研修を経て、昭和五六年一〇月から医療法人芳和会くわみず病院院長、また同年四月から熊本大学医学部産婦人科研究生及び昭和六一年四月から右医療法人理事長、専門は産婦人科。

昭和四六年一月 県民会議医師団結成前から水俣病の検診に参加、これまで約三三名の水俣病患者を診察、いわゆる赤本を参考とし、平田宗男、藤野糺、原田正純らと討論するなどして、水俣病の所見のとり方等を研究してきている。

本件では、亡竹部貞信、原告斉藤フジ子、亡吉中清、原告吉永文雄の診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>によつて認められ、右認定に反する証拠はない。

(8) 松尾和弘医師

昭和二〇年生、昭和四六年 熊本大学医学部卒業、医師国家試験合格、以後各地の病院、診療所等の勤務を経て現在熊本市竜山病院副院長、専門は消化器内科、胃ガン読影医、九州大学医学部の神経内科の指導を受け、脳卒中について研究、神経系疾患のスモンについても研究し、訴訟にも関与したことがある。

昭和四七年から県民会議医師団に参加。原田正純らの指導を受けて水俣病を研究、集団検診に参加し、五〇〇名以上を検診している。水俣診療所、水俣協立病院において一〇年以上水俣病患者の診察に当り、一〇〇〇名以上の水俣病患者の診療に当つたことがある。

本件では、原告竹部長吉、同竹吉トメ子、同盛里シゲノ、同中村チサエ、亡濱田タケノの診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>によつて認められ、右認定に反する証拠はない。

(9) 樺島啓吉医師

昭和一九年生、昭和四六年、熊本大学医学部卒業、医師国家試験合格、昭和四八年 熊本県立小川再生院勤務、昭和四九年 熊大医学部付属病院神経科精神科医員、国立療養所菊池病院勤務、昭和五〇年 同付属病院助手、昭和五四年熊大医学部助手(神経精神医学講座)、昭和五五年 同講師、昭和五六年二月医学博士、同年一〇月から医療法人芳和会に勤務、臨床医としての経験は一四年余である。専門は、神経精神学の中の中毒性の神経精神障害、精神分裂病。

熊大二次研究班に立津政順教授の共同研究者として参加、昭和五五年八月 熊本医学会雑誌に、「小児期発症水俣病の臨床的研究」を発表し、数少い水俣病小児期発症例についての研究者である。昭和四六年六月 県民会議医師団に参加し、現在まで約一〇〇〇名の水俣病患者を検診している。

本件では、原告原田文江、同宗像日出子、同石原百合子、同森元弘美、同柳迫好成、同高辻本サエの診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>により認められ、右認定に反する証拠はない。

(10) 板井八重子医師

昭和二二年生、昭和四八年 熊本大学医学部卒業、医師国家試験合格、以来臨床医として昭和五〇年九月まで東京健生氷川下セツルメント病院に勤務した後、同年一〇月 医療法人芳和会水俣診療所、昭和五三年以来水俣協立病院副院長、昭和五七年 身体障害者福祉法指定医。

昭和五〇年 水俣診療所に勤務以来、県民会議医師団にも参加し、多数の水俣病患者の診療に当り、水俣病患者又はその疑いのある者を三〇〇〇名(内約五〇〇名は認定患者)位診ている。昭和五三年から「有機水銀中毒症と耐糖能障害について」をテーマに熊本大学研究生、日本糖尿病学会所属、昭和五八年から、「有機水銀中毒症と全身臓器障害の研究」をテーマに東京大学の研究生、水俣病に関する研究論文は、藤野糺らとの「有機水銀汚染地区住民の臨床症状の遷移―比較的少量の汚染の影響に関する臨床的研究―」、「有機水銀による環境汚染が住民の健康に及ぼす影響、ある漁村地区の場合、アンケート調査と検診結果より」があり、その他多くの水俣病の研究論文がある。

本件においては、亡濵﨑初彦、原告棈松時子、同森朝枝、同長野喜六、同森豊喜、同森マサ子、同今村フサエの診断書を作成している。

以上の事実は、<証拠>により認められ、右認定に反する証拠はない。

(11) 松本脩医師

大正一三年生、昭和二五年東京医科大学卒業、昭和二九年医師国家試験合格、熊本県葦北郡芦北町で父の代からの開業医、県民会議医師団には参加していない、水俣市・葦北郡医師会副会長、芦北町議会議員、専門は産婦人科、内科。

芦北町計石に最も近いことから月に認定患者三〇名、申請患者七〇名が来院し、入院の認定患者三名もいる。医院の立地条件から、これまで多数の水俣病患者又はその疑いのある患者の診療に当つている。昭和四二年熊本大学の産婦人科研究生の時代に、田代助教授の指導の下に芦北地区の海岸の胎児性水俣病の調査を行つたことがあり、この結果は同助教授が学会で発表している。また昭和四四年七月以来熊大医学部第二病理学講座研究生となつて武内忠男教授の指導を受け、同教授から叔父にあたる松本敞医師が水俣病である旨指摘され、死後解剖の結果水俣病であることが判明した経験がある。

本件では、主治医として診察していた亡古江岩五郎、亡向政吉につき認定申請のための水俣病の疑いとの診断書を作成したことがあるが、カルテは医院が水害にあい判読不明になるほど汚損したので廃棄した。

以上の事実は、<証拠>によつて認められ、右認定に反する証拠はない。

以上のとおり、本件各診断書を作成した医師らについて、各診断書の記載内容及び証言内容についての個別的検討は別にして、一般的な医師としての経験・能力及び水俣病に関する知見に問題はなく、特にその証明力に疑問を持たせるような事情は存しない。

(四)  診断書における所見のとり方について

<証拠>によれば、松本脩医師を除く前記一〇名の医師らは、本件各診断書を作成するにあたつて、次のような態度・方法で臨床所見をとるなどしたことが認められる。

(1) 本件患者らを検診するにあたつて自宅、水俣診療所、水俣協立病院その他の場所で日常生活の支障を参考にした診察を行なつた。検査所見は原則として原告患者を二週間水俣協立病院に入院させて、患者の疲労が検査結果に影響しないように心がけた。

(2) 総ての本件患者(提訴時の死亡者を除く)が過去にも診察を受けて来たことから、複数の診療録があるが、現在症および検査所見は原則として一番新しい(最近の)ものを基とした。なおこの際過去の検診録や検査結果も参考にした。さらに水俣診療所、水俣協立病院に通院したものについては、当時の診療録の内容も参考にした。

(3) 現病歴と自覚症状については、総ての原告患者の現病歴は長く、自覚症状は多いことから年代を思い起せるような事実との関連で、また治療歴との関連で正確を期した。そして、自覚症状を質問によつても確かめ、終りに自覚症状のまとめを行なつた。

(4) 臨床所見については、  一般内科所見、  身体症状、  精神症状、  検査所見と大別し、所見のあるものについての症度は、高度、中等度、軽度の三段階とした。特に断つていないのは中等度である。

一般内科所見 一般内科所見として体格・栄養・心肺・腹部・脈拍・血圧などを診察した。

身体症状 頸部の運動制限の有無、運動時疼痛の有無、神経孔圧迫試験、必要に応じ伸展試験を行なつた。脳神経症状としては、瞳孔検査、眼球運動、視力、視野(対面法)、ストップウオッチと音叉による聴力検査、提舌、舌運動、軟口蓋の運動、顔面運動、発声、日常会話、ラ行・パ行の連続発声による構音障害の検査、タバコ・薬品・アルコールなどによる嗅覚障害の有無、胸鎖乳突筋・僧帽筋の筋力試験などをみた。固有反射では上腕二頭筋、上腕三頭筋、腕撓骨筋、膝蓋腱、アキレス腱反射、さらに下顎反射、腹壁反射、足底筋反射。病的反射では、上肢のワルテルベルグ反射およびホフマン現象、下肢のバビンスキー徴候の有無、膝間代および足間代、上下肢の筋緊張、股関節・膝関節・足関節での屈伸力をみた。失調症状では普通歩行、一直線歩行、直立立位時の動揺の有無、姿勢保持、ロンベルグ現象、マンの試験、片足立ち、しやがみ動作、手の回内・回外交互反復運動(ジアドコキネーゼ)、指鼻試験、膝踵試験、書字、線引きなどから総合的に判定した。感覚障害では、痛・触(一部は冷・温も)覚、振動覚、足趾の位置、運動覚などをみた。痛覚は、二〇グラム、五グラムの針で、触覚は筆を用い、必要に応じて綿花も使用した。その他手指の変形・筋萎縮の有無、振戦、手掌・足蹠の発汗の有無をみた。

精神症状、他

表情、応対、話し方、態度などから感情、意欲、性格面の障害の有無、さらに診察や検査に対する協力性、応答に対する真偽、心因性反応の有無などをみた。指南力、記銘力、記憶力、計算力、思考、判断などの知的機能をみた。また必要に応じて巣症状の有無をみた。さらに生活環境においては、部屋の状況から敷居の上り下り、用便(手すりの有無も)、履物、湯のみ時のつぎ方や茶わんの持ち方、はし使い、ボタンはずし、ひも結び、くつ下や下着の着脱など日常生活での症状の把握を心がけた。

検査所見

① レントゲン検査

頸椎・腰椎レ線をとり整形外科専門医(川崎協同病院土屋恒篤医師)による整形外科的診察と判定を行ない(昭和五八年八月六、七日)、必要に応じて胸椎レ線も撮つた。頭部CT撮影を行ない、小脳および後頭葉の変化を中心に観察した。

② 眼科検査

視力、ゴールドマン型視野、フェルステル型視野、眼球運動、眼底検査を行ない眼科専門医(川久保病院渥美健三医師)による診察と判定を行なつた(昭和五八年八月六、七日)。ゴールドマン型視野ではⅠ(周辺視野で狭窄なく、内部イソプターで視野沈下のみ認められるもの)、Ⅱ(軽度求心性視野狭窄)、Ⅲ(中等度求心性視野狭窄)、Ⅳ(高度求心性視野狭窄)の四段階で異常を示した。フェルステル型視野では、筒井の熊大二次研究班の基準に準じ、外側・内側・上方・下方の角度の計が二八〇度以上が正、二八〇度未満〜二二四度を境界異常、二二四度未満〜一六八度を中等度求心性視野狭窄、一六八度未満を高度求心性視野狭窄としたが筒井に準じて二二四度未満のものを有意の所見とした。滑動性眼球運動は筒井の基準のⅠ(正常)、Ⅱ(正常範囲)、Ⅲ(軽度異常)、Ⅳ(中等度異常)、Ⅴ(高度異常)で判定した。

③ 標準純音聴力検査

気導で両側耳二〇dB以上三〇dB未満の低下を軽度、三〇dB以上六〇dB未満の低下を中等度、六〇dB以上の低下を高度の聴力障害と考えた。

④ ジアドコメーターによる検査

神田らのジアドコメーターにより、片手試験・両手試験を行ないそれを平均した左右の角速度(振ぷく×二/周期、度/秒)で示した。対照として熊本市の健常者を年齢(一〇歳代ずつ)でマッチさせて検査し(表1)(以下の検査も同様)、M±二SDをこえるものを異常と考えた。

⑤ 感覚に関する検査

Ⅰ 電気閾値

永木の電気閾値計により同様の方法で行なつた。対照として熊本市の健常者の検査を行ない(表2)、M±二SDをこえるものを異常、M±三SDをこえるものを高度異常と考えた。

Ⅱ ペインメーター(痛覚閾値)

左右の足背・下腿・手背・前腕を永木を時間法(一部強度法)にて行なつた。対照として熊本市の健常者の検査を行ない(表3)、M±二SDをこえて一三秒以下のものを中等度異常、一三秒で痛みを感じないものを高度異常と考えた。

表1

ジアドコメーター(角速度)

(単位:度/秒)

N

N

M

SD

M

SD

M

SD

M

SD

20代

24

764

125

864

141

16

898

144

961

171

30代

85

831

180

878

185

7

834

169

940

200

40代

67

782

160

841

162

6

681

93

741

139

50代

21

775

172

842

206

8

843

213

930

285

60代

18

674

169

693

164

19

788

226

758

189

70代

14

792

163

783

207

13

677

201

706

197

80代

4

644

113

736

178

5

614

136

639

162

表2

対照の電気閾値

N

M

S.D.

N

M

S.D.

20代

33

1.99

0.37

25

1.74

0.31

30代

106

2.40

0.49

37

1.82

0.42

40代

94

2.58

0.49

33

2.27

0.54

50代

35

2.60

0.59

24

2.29

0.62

60代

16

3.00

0.65

19

2.66

0.65

70代以上

22

3.39

0.65

20

2.94

0.61

表3

対照から得られたペインメーター200mcal/scc/cm

2

の時間法による痛覚閾値の平均値と標準偏差・部位間の有意の差および年齢との相関

部位

痛覚閾値(SCC)

痛覚閾値(y)と年齢(x)との相関

平均値

標準偏差

部位間の有意の差

回帰直線の式

相関係数

有意性

前腕伸側

6.91

1.64

y=0.046x+4.63

0.367

p<0.01

手背

6.64

1.72

p<0.01

y=0.054x+3.94

0.414

p<0.01

下腿前面

6.62

1.68

y=0.034x+4.98

0.265

p<0.01

足背

7.41

1.98

p<0.01

y=0.035x+5.64

0.236

0.01<p<0.05

表4

対照の知覚神経伝導速度

年齢

正中神経

尺骨神経

腓腹神経

指一腕

腕一肘

指一腕

腕一肘

N

M

S.D.

N

M

S.D.

N

M

S.D.

N

M

S.D.

N

M

S.D.

20,30代

83

57.4

2.8

82

67.5

4.2

83

57.4

2.8

82

67.5

4.2

64

51.5

2.9

40,50代

69

53.8

3.9

69

64.2

3.7

69

53.8

3.9

69

64.2

3.7

77

51.7

2.7

60代以上

21

51.4

3.9

20

62.8

4.0

21

51.4

3.9

20

62.8

4.0

60

49.0

3.9

Ⅲ 末梢神経伝導速度

腓腹神経の感覚神経伝導速度(SCV)を測定した。対照として熊本市の健常者の検査を行ない(表4)、M±二SDをこえるものを異常と考えた。

⑥ 脳波

とくに発作性所見の有無をみた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、本件診断書作成の際の検査所見のとり方については、相当であつて特に問題はない。

(五)  他の疾患との鑑別及び医師の専門性について

前記のとおり水俣病は、日常の生活の中でメチル水銀に汚染された魚介類を多食した多数の住民が罹患する地域集積性、家族集積性のある疾患であり、汚染された魚介類を多食したという各人のおかれた疫学的条件(このような言葉の使い方については疑問を呈する向きもあるが、メチル水銀曝露歴及びこれを推認させる生活歴、食生活、環境の異変、家族の状況等である。)があり、水俣病にみられる自覚症状と臨床症状があれば、その所見が明らかに他の疾患である場合を除き、水俣病と強く推認されるのであり、殊更、患者が(或いは母親が)汚染された魚介類を多食したという前提を抜きにして、一つ一つの所見をとり出して他の疾患との厳格な鑑別を問題とする必要はないというべきである。即ち本件は、医学的な研究目的ではないのであるから、医学的診断の正確性に近づくほど良いことではあるけれども、相当程度の正確性を期することができればそれで十分であり、医学的に一〇〇%間違いない程の厳格な鑑別を要求して、そのために一つ一つの症候について多くの検査等を実施し、患者に必要以上の苦痛を強い、無用の時間をかけることは妥当ではない。しかしながら汚染された魚介類を多食したという疫学的条件が希薄で、自覚症状に比較して臨床所見が少なく、感覚障害、運動失調等の所見の有無の判断自体に、医師が疑問を抱き躊躇するような場合などは、医学的な諸検査等を経たうえで、水俣病であるか或いは他の疾患であるかの鑑別を問題にすべきことは当然である。このような観点から本件を検討すると、前記のとおり各診断書を作成した医師らの診断の手法は、疫学的条件を重視し、現地に赴きあるいは水俣協立病院に入院させて、各人の日常生活の状況を観察し、時間をかけて診察し、前記のような諸検査を実施して病状の診断をなしており、また各医師も神経内科の専門医ではないけれども、各々水俣病についての研究・研鑚を積んだ経験の深い医師らであつて、診断書の信憑性は相当に高いものと判断される。

被告らは、右医師らが神経内科の専門医でないこと等を問題にするけれども、反面乙号証として提出する検診結果、審査会資料も、熊本県の分にあつては検診医の氏名すら公表せず、被告らの実施した検診がどの程度熟達した神経内科の専門医によつてなされたのか明らかでないし、患者が汚染された魚介類をどの程度多食したかという疫学的条件を抜きにして、また患者との基本的な信頼関係の有無とは関係なく、各科目毎に機械的に実施した検診によつて得られた一般内科、神経内科、精神科、眼科、耳鼻咽喉科の各所見と臨床検査成績等をバラバラに記載したのみの乙第一〇〇〇号証以下の各書証は、これに対応する甲第一〇〇〇号証以下の診断書等と対比して信憑性に乏しく、また各所見から総合的に水俣病であるか否か或いはその所見が水俣病の症候であるか否かの医学的推論の過程も首肯しうるものとはなつていない。

4  本件患者らの病状

(一)  原告小島サツエ(原告番号四七)

(1) 同原告が大正六年九月二五日に出生し、昭和五二年一二月一六日付で認定申請をし、その当時、天草郡御所浦町嵐口に居住していたこと、長女 西浦志真子が認定申請中であること及び夫 小島時次郎が未申請であることは、被告国・県との間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

疫学的条件

① 生活歴

天草郡御所浦町嵐口二六一九在住。大正六年九月二五日嵐口にて出生。生家は半農半漁であつた。嵐口尋常高等小学校卒業後京都で二年間、大阪で一年間紡績工場で働く。その後嵐口に帰り、一八才の時、六か月間博多で旅館の女中をした後嵐口に帰り漁業に従事し、結婚後も業(一本釣り)を続ける。夫は昭和三七年から嵐口診療所に救急船の船長として勤め始め、漁業をやめた。収入が減つたため真珠会社に勤めたが昭和五二年八月にやめた。昭和一三年に結婚し、七子をもうけたが、流産が一度ある。

② 食生活歴

食生活は魚が主食のようなもので、タチウオが一番多いが、小さいときからずつと食べてきた。料理法は刺身、味噌汁、煮付け、から揚げなどで、家が漁師であり、舟を売つてからも夫が診療所に勤めていたので患者さんから魚をもらつたり、近所の人からもらつたりして多食した。魚の量は御飯の量より多い。魚は島の近くでとれたものが多かつたが、水俣湾のタチウオなども食べた。又あさり貝は毎日のように食べた。

③ 環境の変化

昭和二七年頃、飼猫三匹がヨロヨロと弱つていなくなつた。三三年頃からは海に魚が浮いた。

④ 家族歴

父は五二年二月脱疽で右下肢を切断し、その後死亡。母は高血圧である。同胞は六人いるが、三男は戦死し、次女は四才時に死亡し、残る四女は健在である。夫は嵐口診療所勤務で、認定申請はしていない。子供は七人おり、長女が申請中である。

症状

① 既往歴

小さい時から気管支炎をおこしやすく、大阪から帰つてから一八才から一九才の頃、特に悪くなつた。他は特に若い頃は悪いところはなかつた。低血圧といわれたことがある。

② 症状の出現とその経過

昭和四八年頃手足のしびれと頭重感がはじまつた。昭和五三年頃より不眠、物の味や臭いもわかりにくくなつた。昭和五七年からは頭がふらつき倒れそうになるので毎日注射をしている。

③ 現在の症状

Ⅰ 自覚症状

手足のしびれ、痛み、頭痛、不眠、下肢のだるさ、耳が遠い、目が疲れ易い、臭いがわからない、味がわからない、手から物をとり落とす、言葉が出にくい、手足の力が弱くなつた、上肢のカラス曲り、疲れ易い、食欲がない、根気がない、物忘れする、頭がふらつとして倒れそうになるなど。

Ⅱ 所見

イ 知覚障害 四肢末梢性、口周囲の触覚、痛覚鈍麻がある。ロ 運動失調 一直線上の歩行時動揺軽度、一直線に足を並べての直立時中等度動揺、ロンベルグ軽度陽性、開眼、閉眼時片足立ち不安定、しやがみ動作不円滑で踵の挙上なし、指鼻試験はずれ軽度、アジアドコキネーゼ左右とも遅い、上下肢バレーテスト正常、指と指のタッピング少し遅い、着衣動作拙劣、書字、線引き明らかに失調性、その他に失神様発作が時にあり、中等度の運動失調が認められる。ハ 構音障害 軽度の障害が認められる。ニ 視野、眼球運動 軽度の求心性視野狭窄が認められる。ホ 聴力障害 軽度の障害が認められる。ヘ 味覚障害 認められる。ト 嗅覚障害 認められる。チ 精神症状 抑うつ的で意欲減退がある。記銘、記憶力障害あり、暗算は多少遅いが精神症状による日常生活の支障は少ない。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 結論

以上認定の事実によれば、原告小島サツエには、嵐口で生まれほとんど同地で生活し漁業にも従事し、メチル水銀に汚染された魚介類を多食してきた等の疫学的条件があり、昭和四八年頃から手足のしびれが出現して症状が始まり、四肢末梢性の感覚障害、中等度の運動失調、軽度の構音障害、軽度の求心性視野狭窄、軽度の難聴、味覚・嗅覚障害等の症状がみられ、水俣病に罹患しているものと認められる。

(二)  原告野崎光雄(原告番号四八)

(1) 同原告が大正八年三月二七日に出生したこと及び妻 ヒデノが認定申請中であることは、被告国・県との間で争いがなく、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

疫学的条件

① 生活歴

天草郡御所浦町嵐口一五七一の二在住。大正八年三月二七日生。天草郡御所浦町嵐口の巾着網の網元をしていた漁師の家にうまれる。学校は尋常小学校高等科二年の一学期で中途退学。運動会の徒競争やマラソンではいつも一等賞をとつていた。体は健康でほとんど病気はしたことがない。学校をやめたあとは巾着網の網子として働きアジ、イワシ等の魚を獲つていた。昭和一四年、二〇才の時、軍に入隊した。テストでは甲種合格だつた。昭和一五年満州へ、その後熊本駐屯地に配属され、そこで終戦を迎えた。戦後は再びキンチャク船に乗り網子として働いた。漁場は主に水俣沖、田浦沖、米ノ津沖、茂道沖であつた。昭和三八年からは魚があまり獲れなくなつたため、牛深沖に出ていくようになつた。昭和四九年乗つていた船の転覆事故を契機に漁業をやめて、大阪の建設会社に土木作業員として出稼ぎに出るようになつた。仕事は道具の見回りなどの軽い作業を行なつていた。昭和五四年二月に高血圧のため嵐口に帰つた。それ以降は仕事らしい仕事はしていないが、月に二、三回は釣りに行つている。昭和二四年一〇月結婚、妻 ヒデノとの間に二男三女をもうける。

② 食生活歴

生家が漁家であつたため、魚は小さい時から主食のようにたくさん食べていた。料理法はさしみや煮付け、焼き魚にして食べていた。他にも貝や蠣を近くの浜から獲つて食べていた。漁に出ていた頃は自分で獲つた魚を一日に大皿山盛り一杯以上食べていた。昭和三〇年頃に魚が大量に浮いた頃は、死んだ魚は食べなかつたが、まだ生きている魚はたくさんとつてきて食べた。現在は網子をしていた頃に比べると量は減つたが、それでも一日に一、二回、一匹以上は魚は食べている。

③ 環境の変化

昭和三三、四年頃、飼猫が首を垂れてキリキリ回つて、二、三日後に死んだ。昭和三六、七年頃、豚が子供を生んだ後立てなかつた。エサには魚の骨や内臓を投与していた。

④ 家族歴

一二人兄弟の第五子。妻 ヒデノとの間に二男三女をもうける。妻は水俣病申請中である。家族の中に水俣病の認定を受けた者はいない。

症状

① 既往歴

昭和二三年頃、神経痛のためハリ灸を受けていた。昭和四〇年頃、船上の事故で尿道が傷つき、阿久根市の病院に一か月入院した。同年頃から、高血圧で治療を受けている。初めの頃は牛深の病院にかかつていたが、最近は水俣協立病院に通院している。

② 症状の出現とその経過

昭和三七、八年頃から手足のしびれ、ややおくれて頭痛が始まつた。昭和四〇年頃には他の人から手がふるえていると言われるようになつた。昭和四六年、熊大の検診で水俣病といわれたが、このときは連絡がすれちがつて申請できなかつた。この頃、手足、身体がだるくて動かなくなつたことがある。昭和五三年に水俣協立病院で検診を受けて水俣病の申請をした。この頃からは、後記の多彩な自覚症状が出て今日に至るまでずつと続いている。

③ 現在の症状

Ⅰ 自覚症状

両手、両足のしびれがある。手のふるえ、手足(特に手にひどい)のカラス曲りや脱力感がある。手足や脇腹にピリピリした痛みがある。肩や後頭部が痛い。疲れやすく、疲れるとなかなか回復しない。夜よく眠れない。目がかすむ。手が不器用でボタンかけなどが難しい。

Ⅱ 所見

イ 知覚障害 四肢末梢性の触覚・痛覚障害がある。ロ 運動失調 直立時や普通の歩行時に軽い動揺があり、一直線上の直立、歩行時に著明な失調がみられる。片足立ちは不安定で閉眼しての片足立ちは不能であり、中等度の運動失調が認められる。ハ 構音障害 認められない。ニ 視野、眼球運動 右はゴールドマン型視野で沈下が認められ、フェルステル型視野では異常なし、左は検査不能。ホ 聴力障害 認められない。ヘ 精神症状 やや多幸的で深刻味なく、軽い知的機能の低下がある。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 結論

以上認定の事実によれば、原告野崎光雄には嵐口で生まれ育ち、メチル水銀に汚染された魚介類を多食し、飼猫が狂死した等の疫学的条件があり、昭和三七、八年頃から手足のしびれが出現して症状が始まり、四肢末梢性の感覚障害、運動失調等の症状がみられ、水俣病に罹患しているものと認められる。

(三)  亡竹部貞信(原告番号四九の一ないし七)

(1) 亡竹部貞信が明治三九年二月二〇日出生したこと、妻 タカノ、妹 吉永スサエ、その夫 吉永文男が認定申請中であること、弟 浦崎貞義が認定申請中であつたが昭和五五年一月二〇日死亡したことは被告国・県との間では争いがなく、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

疫学的条件

① 生活歴

天草郡御所浦町一八一七の一に在住していた。明治三九年二月二〇日、熊本県天草郡御所浦町嵐口にて、漁業を営む竹部貞八の長男として生まれる。嵐口小学校卒、成績は普通。運動会では走るのは速く、青年時代は御所浦の代表として本渡中学校で行われたマラソン大会に出場、二、三等賞をもらつたことがある。又すもうも強く、水俣の八幡祭りのすもう会には飛び入りで出場し、タオルのほうびを二、三本もらつたこともある。小学校卒業後、家業である漁業に従事し、昭和八年結婚し、昭和一〇年頃までは、長崎県五島付近、昭和一〇年以後不知火海一円、特に水俣沖を主たる漁場とし、嵐口港より出航し、巾着網で漁をした。そのころ嵐口港では二隻しかない最新の設備をしていた。巾着網では主としてイワシ、タチウオ、タレソが多くとれた。とれたイワシを自宅で加工し、いりこを製造した。昭和三〇年頃魚があまりとれなくなつたので、貨物運搬船にかえた。一八才の長男 綽哉と乗り組み、材木や石を百間港(水俣)や米ノ津港(出水)より積みこみ北九州方面へ運んだ。昭和四九年突然腹が痛くなり、腸閉塞で入院手術した。その時より船をおり、かわりに綽哉の妻が船に乗り込む。手術後友人をさそい漁に出て脳卒中の発作をおこし、以後闘病生活を送つていたが、昭和六一年一月二二日死亡。

② 食生活歴

自分で漁をしていたころは網にかかる魚、特にイワシ、タチウオ、イカなどを多食し、食事に魚はかかせなかつた。運搬業を始めてからも自分達で食べる分は釣つたり、親類の竹吉甚郎、中島ひろし、吉永文男らよりもらい魚を欠かしたことはなかつた。刺身が多かつたが、煮魚、焼き魚も好んで食べた。現在も魚を買うことはほとんどなく、親類よりもらうが食べきれず近所に分けることも多い。食卓に魚がないことは考えられず、量は昔に比べ少なくなつたが、それでも毎日食べる。

③ 環境の変化

部落の猫が狂死した頃、何匹も猫を飼つていたが突然死んだりしたことがある。現在は飼つていない。

④ 家族歴

妻 タカオ、妹 吉永スサエ、妹の夫 吉永文男はいずれも申請中、又弟 浦崎貞盛は申請中であつたが昭和五四年死亡している。

症状

① 既往歴

昭和四九年腸閉塞で手術、術後一〇〇日入院、その時心臓が悪いと言われた。昭和五〇年五月船上で食事中たおれる。脳卒中発作で棚底の蓮田医院に四〇〇日入院、その後リハビリのため上天草病院に二年入院。

② 症状の出現とその経過

昭和三〇年ころ貨物船に乗りくんでいたころから手足のしびれ感、筋のけいれん、カラス曲り様の症状が出ていたが仕事のしすぎだろうと思つており、一時間ぐらい休んでいればよくなつていた。特に冬は症状がひどくなつていた。昭和四四年ごろより物がはつきり見えない、まわりが見えない等の症状が出現した。昭和五三年二月現地の小学校で水俣協立病院藤野医師の診察をうけ水俣病の症状を指摘され、認定申請をする。

③ 生前の症状(昭和五九年五月二五日現在)

Ⅰ 自覚症状

左手足の力が入らぬ、左半身及び右手足のしびれ感、腰の痛み、全身倦怠感、物がはつきり見えない、まわりが見えない。耳が遠い。耳鳴、臭いがわからない、ころびやすい、ぞうりが抜ける、手が不自由、カラス曲り、筋肉がピクピクする、左半身のふるえ、不眠、物忘れ等の症状あり。

Ⅱ 所見

イ 知覚障害 左側の半身性と同時に健側の右側の末梢性表在性感覚(触・痛覚)障害(肘、膝に及ぶ)あり。又口周囲の感覚障害を認む。ロ 運動失調 右側(健側)の膝踵試験で陽性。右指鼻試験ではずれる。右中等度のアジアドコキネーゼ。中等度の運動失調が認められる。ハ 構音障害 認められる。ニ 視野、眼球運動 ゴールドマン型視野では軽度の求心性視野狭窄が認められ、フェルステル型視野では中等度求心性視野狭窄が認められる。眼球運動では衝動性、滑動性ともに追従不能で高度の障害。眼底検査で網膜色素変性をみる。ホ 聴力障害 認められない(<証拠>には聴力障害を認める旨の記載部分もあるが、同証の聴力検査の結果記載部分と符合せず、結局認められない。)。ヘ 嗅覚障害 認められる。ト 固有反射では、上下肢共に左側が亢進、筋緊張は左上肢に痙縮、病的反射では左バビンスキー陽性、四肢の粗大力低下(左>右)。舌の運動障害、嚥下障害も認められる。チ 精神症状 情意面では抑うつ状態が強い。知的機能面は記銘力、記憶力障害を認める。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) 結論

以上認定の事実によれば、亡竹部貞信には嵐口で出生して漁業に従事し、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した等の疫学的条件があり、昭和三〇年頃から手足のしびれが出現して症状が始まり昭和五〇年五月脳卒中発作の後遺症による左半身の麻痺等があるものの、健側である右半身にも末梢性の感覚障害及び運動失調が認められ、又口周囲にも感覚障害が認められること(眼底検査で網膜色素変性があるため求心性視野狭窄はそれによるものか、メチル水銀中毒によるものか、あるいはその両者によるものかいずれとも断定できない。)から、水俣病に罹患していたものと認められる。

<以下省略>

第二責任の有無について

一被告チッソにつき

1  一般に化学工場は、化学反応を利用して各種の化学製品を製造し、右製造過程において多種多量の危険物を原料や触媒として使用しているのであるから、右過程において副生される物質は、動物は勿論人間に対しても重大な危害を加える蓋然性が高度であり、化学工場が廃水を工場外に放流する場合、常に高度の知識と技術を用い、廃水中に含まれる危険物質の有無、程度、性質等を調査し、人体等に危害を加えることのないよう万全の措置をとり、若しも有害であることが判明し安全性に疑念が生じたときには、直ちに操業を中止する等の必要な措置を講じ、地域住民の生命、健康に対する危害を防止すべき業務上の注意義務があること、被告チッソが水俣工場のアセトアルデヒド等製造工程において、長期かつ多量に水銀化合物を使用しながら、右製造工程で排出される工場廃水中に、人体に対し有害物質が含まれているか否かを十分調査検討することもなく、不知火海に排出し続けた過失によつて、不知火海の魚介類を汚染し、右魚介類を経口摂取した沿岸住民の中に、水俣病に罹患した者がいることについては争いがない。

2  前記事実によれば、被告チッソは、水俣工場のアセトアルデヒド、塩化ビニール等の製造工程において生ずる工場廃水に相当量の水銀化合物が流失するのを認識しながら敢えて工場廃水に流失させ(なお前顕証拠によれば、一般に水銀又は水銀化合物は、人体に有毒であつて、毒性のない水銀化合物は稀であることが認められ、右認定に反する証拠はない。)、さらに右工場廃水には、アセトアルデヒド製造工程等において副生する人体に最も有毒な物質の一つである有機水銀化合物(メチル水銀化合物)をも含んでおり、人体を含む動物に極めて危険であり、自然環境では、右工場廃水に起因する水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁、廃水中の残滓の海底における堆積、右海域における魚介類の斃死減少及び右海域の魚介類を摂取した鳥、猫、犬、豚等の鳥獣が狂死する異変が相次ぎ、人体に対しても危害が発生することが容易に推測される異常状態が続いていたことから、水俣工場廃水を排出する場合人体に危害が発生しないよう工場廃水を十分に調査分析して有毒物質を除去するか、工場外に排出しないよう万全の措置をとるべき業務上の注意義務があるにも拘らずこれを怠つた重大な過失が少くともあるものというべく、殊に昭和三四年一一月頃、右工場廃水に有毒物質(ある種の有機水銀化合物)が含まれている高度の確かさによる推定がされるに至つた後においても、右事実を認識しながら殊更これを否定して耳を傾けず、その後も次々に人体被害が続出していたにも拘らず、人命を軽視ないし無視していたといわれても致し方のないように一〇年以上にわたつてアセトアルデヒド等の増産を続けて大量の工場廃水を殆ど無処理のまま不知火海に排出し続け、このため不知火海の沿岸住民である本件患者らを水俣病に罹患させ、福田いつ子の母 原告福田アサエが右汚染魚介類を経口摂取したことにより福田いつ子を胎生期に胎盤を通じて有機水銀化合物に侵させて胎児性水俣病に罹患させたものであるから、被告チッソは、民法七〇九条によつて原告らに対し後記損害を賠償すべき責任があるものといわなければならない。

二被告国及び同熊本県につき

前記事実によれば、

(一) 被告国及び同熊本県は、昭和二九年八月頃には、水俣湾及びその付近海域が水俣工場の多年にわたる水銀化合物等を含む工場廃水の排出によつて汚穢汚濁し、その魚介類が多量に斃死して減少し、沿岸の家猫などの動物が狂死したり、沿岸住民の中にも原因不明の中枢神経系疾患に罹患する者が出現した事実を調査報告によつて認識しており、昭和三一年一一月頃には、水俣工場廃水により水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁が益々深刻化して、同海域の魚介類が数知れず斃死し、右海域の魚介類を経口摂取した猫、豚、犬等の家畜が地域ぐるみ中枢神経系疾患によつて狂死し、沿岸住民にも狂死した家畜類似の症状による患者が続出して死亡者が相次ぎ、右患者の大多数の者が水俣湾及びその付近海域の魚介類を経口摂取した者であり、水俣湾及びその付近海域の魚介類が水俣病を発病させ、右魚介類を汚染する有毒物質が水俣工場廃水に含まれていることが強く疑われていたのであるから、水俣湾及びその付近海域の魚介類が水俣工場廃水に含まれる有毒物質によつて有毒化し、右魚介類が人体の生命、健康を害うこと及び右事態が深刻であることを容易に認識しえた筈である。さらに昭和三二年九月頃には、被告国、同熊本県の機関、研究陣等が、水俣湾内の魚介類の摂食中止の緊急の必要性のあることを強調し、当時の食品衛生法四条二号の適用による水俣湾内の魚介類の漁獲禁止を提言し、水俣病は、水俣湾内の魚介類を経口摂取することによつて発病するものであり、魚介類の汚染源は、化学物質ないし重金属であつて、水俣工場廃水に含まれているものと推定され、水俣湾内の魚介類を投与する動物実験によつても水俣病同様症状の発症することが立証されていたのであるから、被告国、同熊本県は、その頃には、水俣工場廃水に含まれる化学物質ないし重金属等の右毒物質によつて汚染された魚介類が人体の生命、健康を害うこと及び水俣工場廃水の排出停止、水俣湾の魚介類の漁獲、販売禁止等の措置をとるべき切迫した緊急事態であることを認識していたものといわざるをえない。なお昭和三四年一一月頃には、水俣工場廃水の排出によつて水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁はさらに深刻化して拡大し、水俣工場の水銀化合物を触媒として製造するアセトアルデヒド及び塩化ビニールモノマーの廃水の排水路を水俣湾に通ずる百間溝から水俣川河口に通ずる排水路へ変更したことによつて水俣川河口付近の沿岸住民にも水俣病患者が続発して患者発生地域が拡大し、さらに不知火海一円にわたつて猫の狂死が相次ぎ、被告国の機関からも水俣工場廃水の排出規制の提言や、熊本県知事、水俣市長及び漁業協同組合等から漁獲禁止の法的措置の要求や水俣工場廃水の即時排水停止、漁業補償等の決議、陳情が相次ぎ、被告国の機関、大学等からも水俣病は、水俣湾及びその付近海域の汚染された魚介類を多量に摂取することによつて起こるある種の有機水銀化合物による主として中枢神経系疾患であり、魚介類の汚染源は、水俣工場廃水であるものと推定する見解が表明され、水俣工場付属病院医師 細川一の動物実験によつても、水俣工場廃水に含まれる有毒物質が、水俣病と同一症状を発症せしめることが立証されており、その頃には、被告国、同熊本県は、水俣工場廃水、右廃水に含まれる有毒物質(ある種の有機水銀化合物)によつて汚染された魚介類が、人体の生命・健康を害うこと及び事態が益々深刻化し、水俣工場廃水の排出停止、水俣湾の魚介類の漁獲禁止等の措置を直ちにすべき極めて切迫した緊急事態であることを認識していたことは明らかである。従つて被告国、同熊本県は、昭和三二年九月頃から遅くとも昭和三四年一一月頃には、後記のとおり水俣工場廃水の排出停止及び汚染魚介類の採捕、販売禁止等の措置を講ずべき法的な義務が発生していたものといわざるをえない。そうすると、被告国及び同熊本県は、漁獲、販売等の禁止及び水俣工場廃水の排出停止等の規制権限等を行使すべき作為義務が発生し、これを行使しなかつたため本件患者らに後記のとおりの損害を与えたものというべきであるから、被告国、同熊本県は国家賠償法一条によつて原告らが被つた後記損害を賠償すべき責任があるものといわなければならない。

(二)  被告国及び同熊本県の作為義務の発生(存在)について

(1)  本件における被告国、同熊本県の責任は、一私企業である被告チッソが行つた加害行為及び被害の発生を適切な行政措置を講ずることによつて防止すべき義務が存在したにも拘らず、これを防止しなかつたことにある。行政庁は、国民の生命、健康が企業の活動等によつて重大な危険にさらされることがあるときには、このような危険の防止と国民の生命、健康の安全確保の責務を負つていることはいうまでもない。行政庁が右責務を全うするためになすべき規制権限は各種法規に規定されており、規制権限発生の要件を充足する事実が存在し、法律上規制権限行使義務があるのにこれを行使しなかつたとき、又は法律上一定の限度で権限行使につき裁量が許されており、右裁量の限度を超えて規制権限を行使しなかつたときには、作為義務違反となるものと考える。各種法規が行政庁に規制権限を与えてはいるが、行使するか否かにつき法律上の制約がなく行政庁の裁量に委ねられているときには、行政庁が右規制権限を行使しなかつたとしても、右権限の不行使は、直ちに違法とはなりえないが、以下のような場合には、権限の行使、不行使につき裁量の余地がなくなり、規制権限の不行使は違法となるものといわねばならない(裁量収縮の理論)。Ⅰ 国民の生命、健康に対する重大な具体的危険が切迫しており、Ⅱ 行政庁が右危険を知つているか又は容易に知りうる状態にあり、Ⅲ 規制権限を行使しなければ結果発生を防止しえないことが予想され、Ⅳ 国民が規制権限の行使を要請し期待しうる事情にあり、Ⅴ 行政庁において、規制権限を行使すれば、容易に結果発生の防止をすることができる等の各要件を充足する事態にある場合に、行政庁が国民の生命、健康に対する重大な危険を排除するのに効果的な規制権限を行使しなかつたときには、行政庁の裁量権の消極的乱用というべき著しい不合理な状態であるから、規制権限不行使は違法というべきであり、右規制権限不行使の結果、個別の国民に生じた損害を賠償すべき民事責任が発生するものといわなければならない。さらに行政法規の趣旨、目的が、第一次的には個々の国民の生命、健康を守ることにはなかつたとしても、当該法規が間接的究極的には、個々の国民の生命、健康の安全確保を目的としており、他に右緊急事態に即応する適切妥当な行政法規がない場合にも、緊急避難的に当該法規を適用して重大な危害を防止及び排除すべき義務があるものというべく、右義務に対応する規制権限を有するものと解するのが相当である。行政庁は、個々の国民の生命、健康の重大な危害が切迫している場合、積極的に右危害の発生を防止及び排除するのに役立つ各種法規の規制権限を行使し、強力な行政指導を行う等できる限りの可能な手段を盡して危害の発生を防止及び排除の措置をとるべき義務があるものといわねばならない。

(2)  被告国、同熊本県は、昭和三二年九月頃から遅くとも昭和三四年一一月頃までには、水俣湾及びその付近海域の魚介類が汚染されて有毒化し、汚染源が水俣工場廃水であることが推定され、同廃水に含まれる有毒物質によつて広域多数の住民の生命、健康に重大な危害が切迫していた事実を認識し、或いは容易に知りうる状態にあつて、被告国、同熊本県が水俣湾及びその付近海域の魚介類の漁獲禁止、水俣工場廃水の排出規制の規制権限を行使しなければ、到底沿岸住民の生命、健康の侵害を防止しえないことが予想されており、地元の漁民等は当時右規制権限行使を要請し、これを期待していたのであり、右規制権限を行使して右魚介類の漁獲禁止、水俣工場廃水の排出規制の措置をとつておれば、沿岸住民が水俣病に罹患するのを容易に防止することができた筈であつて、前記五要件を充足する事態にあつたのであるから、食品衛生法、漁業法、熊本県漁業調整規則等による後記規制権限を有し、かつその行使の要件をも充足しており、右各法規を適用してできる限りの予防措置をとるべき法的義務が存在していた。いわんや現実に多数住民の生命、健康に重大な危害が発生していることが確認され、その原因が被告チッソの水俣工場廃水に含まれる有毒物質であり、これに汚染された魚介類を摂取することによるものであることが判明した時点においては、直ちに右各種法規を適用して魚介類の採捕及び販売の禁止、水俣工場廃水の排出停止ないし浄化装置の設置を命ずべき法的義務が存在したものというべく、後記のとおり各法規に基づく規制権限等を行使し、或いは強力な行政指導をなすべき義務を負つていたものと断ぜざるをえない。

(3) 規制権限の根拠規定等

食品衛生法(昭和四七年六月法律第一〇八号による改正前のもの、以下同じ。)

食品衛生法は、憲法一三条、二五条を上位規範とし、これを受けて制定されている法規であり、営業者を規制の対象とし、公衆衛生の安全確保を目的としているが、公衆衛生の安全確保は、個々の国民の生命、健康の安全確保の集積であるから、結局、間接的究極的には、個々の国民の生命、健康の安全確保に欠かすことのできない食品の衛生及び安全な供給の確保を目的としているものである。同法は、また営業の自由も保護法益としているが、個々の国民の生命、健康の保全が他の基本的人権に最優先するものであるから、営業の自由といえども、社会公共の福祉就中個マの国民の生命、健康の安全確保を脅かし重大な危害を加えるおそれがあるような場合には、社会福祉、公共の福祉のために、行政庁は、加害行為者、加害状態に対し積極的に介入し、営業の自由を規制すべき法的義務が存するものというべく、基本的人権中最上位にある国民の生命、健康の保持のためには、営業の自由といえども制限を受ける内在的な制約があるものといわなければならない。食品衛生法四条二号は、有毒又は有害物質が含まれ、若しくは付着している食品を販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列することを禁止しており、同条二号の有毒又は有害物質が含まれ、付着している食品とは、有毒性又は有害性を帯びておれば、要件該当事実としては十分であつて、その食品が有毒又は有害化する過程とか有毒又は有害物質が何であるかを特定するまでもなく、有毒又は有害物質が含まれ、付着している食品に該当するものと解するのが相当である。食品営業者が有毒又は有害性を帯びた食品を販売し、又は販売目的で採取し、加工したりしたときには、同条二号に該当する違反行為として、同法二二条により、厚生大臣又は都道府県知事は、営業者又は当該官吏吏員にその食品、添加物、器具若しくは容器包装を廃棄させ、その他営業者に対し食品衛生上の危害を除去するために必要な措置をとることを命じ、又は都道府県知事が、同法二〇条により飲食店営業その他公衆衛生に与える影響が著しい営業であつて、政令で定めるものの施設につき業種別に公衆衛生の見地から必要な基準を定め、同法二一条により右営業を営もうとする者に省令の定めるところによつて許可した右営業を取り消し、若しくは営業の全部若しくは一部を禁止し、若しくは期間を定めて停止する等の規制権限を有している。右規制権限は同法四条二号に該当する事実が発生していることをも前提としており、その規制権限も有毒又は有害食品等を実力行使による廃棄行為を一事例としてその他営業者に対し食品衛生上の危害を除去するための必要な措置をとることができる旨定めているのであるから、廃棄すべきほどの同法四条二号に該当する有毒又は有害物質を含む食品については、そもそも営業者に対し事前にこれを販売し、又は販売の用に供するために、採取し、加工し、使用し、調理する等の行為を禁止し制止する規制権限も、食品衛生上の危害を除去するための必要な措置として付与されているものと解すべきである。厚生大臣又は都道府県知事は、このような目的を達成するための規制権限を付与されており、右規制権限を適正に行使すべき職務上の義務を負うものといわねばならない。

漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの)、水産資源保護法、熊本県漁業調整規則

漁業法は、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的としており、水産資源保護法は、水産資源の保護培養を図り、漁業の発展に寄与することを目的とし、熊本県漁業調整規則は、漁業法六五条、水産資源保護法四条に基づいて制定され、同規則は水産動植物の繁殖保護、漁業取締その他漁業調整を図り、あわせて漁業秩序の確立を期するため、必要事項を定めることを目的とする法規である。右各法規は、水産動植物の繁殖保護、水産動植物を対象とする漁業秩序の確立によつて、究極的には、有毒又は有害物質を含まない水産動植物の秩序ある採取、販売等による安全な漁介類の継続的安定的供給をし、もつて食生活上国民の生命、健康の安全確保に貢献する法規でもあるから、水俣工場廃水に含まれる有毒物質によつて水俣湾及びその付近海域の魚介類が汚染され、著しく斃死減少して水産動植物の繁殖保護を害する事態となり、その汚染魚介類を経口摂取した沿岸の多数の住民を水俣病に罹患させ、沿岸住民の生命、健康に重大な危害が発生する等の前記五要件を充足する切迫した緊急事態においては、熊本県知事は、漁業取締、その他漁業調整のための漁業法六五条及び水産資源の保護培養のために必要と認めるときの水産資源保護法四条による水産動植物の採捕、販売に関する制限又は禁止等につき制定された熊本県漁業調整規則三二条により、水産動植物の繁殖保護に有害な物質を遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置した者に対し、その行為者に対し除害に必要な設備の設置を命じ、又は既に設けた除害設備の変更を命じることができるものと規定しており、水産動植物を斃死させ汚染する水俣工場廃水に含まれる有毒物質は、右規定の有害な物質に該当することは当然のことであり、有毒物質が工場廃水から除去されていないときには、工場廃水は、全体として右有害な物質に該当するものと解すべきである(なお、漁業法六五条、水産資源保護法四条により主務大臣又は熊本県知事が政令、規則を制定すべき義務違反をも主張するが、当時政策的責務は存在したとしても、法的義務違反があつたとまではいえない。)。次に漁業法三九条一項によつて漁業調整、船舶の航行、停泊、繋留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使を命じることができる旨定めている。また熊本県知事は、熊本県漁業調整規則三〇条によつても漁業調整その他公益上必要があると認めるときは、許可の内容を変更し、若しくは制限し、操業を停止し、又は当該許可を取り消すことができる。右の「その他公益上の必要があると認めるとき」とは、右に羅列する事項と同等の事項即ち水面利用の各種利害の衝突するような事項のみならず、或る範囲の水面自体を工場廃水の排出場所として使用し汚穢汚濁させ、或いは工場廃水に含まれる有毒物質によつて水産動植物を汚染させて食用となりえないような状態に陥らせた場合、右状態が正常に回復するまでは右水面の漁業を制限し、他の水面の活用等の漁業調整の必要性も生ずるものというべきであるから、前記五要件を充足するような緊急事態にあつては、このような場合も含まれるものと解するのが相当である。以上のとおり主務大臣又は熊本県知事は、前記緊急事態においては、漁業法、水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則による規制権限を有し、右規制権限を適正に行使すべき職務上の義務が存するものといわねばならない。

水質保全法及び工場排水規制法

水質保全法は、公共用水域の水質の保全を図り、あわせて水質の汚濁に関する紛争の解決に資するため、これに必要な基本的事項を定め、もつて産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与することを目的とし、ひいては国民の生命、健康を守ろうとする法律である。工場排水規制法は、製造業等における事業活動に伴つて発生する汚水等の処理を適切にすることにより、公共用水域の水質の保全を図ることを目的とするものであつて、水質保全法を中心とする水質汚濁防止体制の中にあつて、工場排水規制法は、製造業等を汚染源とする分野における具体的な規制を担当する法律である。

水質保全法は、経済企画庁長官が港湾、沿岸海域等の公共の用に供せられる水域の水質の保全を図るために水汚染が問題となつている水域を指定し(指定水域の指定)、その指定水域に排出される水の汚染度の許容基準の設定(水質基準の設定)をなす義務(同法五条一、二項)を定め、工場排水規制法は、内閣が製造業等の用に供する施設のうち汚水等を排出するものを政令で「特定施設」として定め(同法二条)、特定施設ごとに主務大臣を定めなければならないとしていた(同法二一条、なお右水域の指定、水質基準の設定、政令に基づく特定施設の指定は事の性質上右の方法による規制権限を定めたものというべく、単なる規範定立行為ではないと解すべきである。)。そして主務大臣は、特定施設を設置している者に対し、特定施設の使用方法の計画の変更命令や汚水の処理方法の改善命令等の必要な措置をとることができ(同法四条以下)、さらに主務大臣は、特定施設の工場排水等の水質が当該指定水域にかかる水質基準に適合するか否かを検討し、適合しないと認めるときは、汚水の処理方法に関する計画の変更、特定施設自体に対する計画の変更又は廃止、汚水等の処理方法の改善、特定施設の使用の一時停止、その他必要な措置をとるべき旨を命じ(同法七条、一二条)、必要によつては職員をして立入検査をさせ、報告の徴収をし(同法一四、一五条)、もつて公共用水域の汚染の防止、水質の保全をはかるべきことを定めていた。また主務大臣は、指定水域の指定がない場合でも、特定施設を設置している者に対し、その特定施設の状況、汚水等の処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告をさせ(同法一五条)ることとしていた。以上のとおり右二法は行政庁に対し規制権限を付与し、規制すべき要件を充足した場合には、規制をなすべき職務上の義務を定めた法規であり、前記五要件を充足する緊急事態にあつては、右規制権限を行使すべき義務が発生するものと解すべきである。

警察法、警察官職務執行法

警察法は、警察が個人の生命、身体、財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、その他公共の安全と秩序維持に当ることを責務とする法律であり、警察官職務執行法は、右責務を忠実に遂行するために必要な手段を定めることを目的とする法律である。ところで警察官は、警察官職務執行法四条一項によつて、人の生命若しくは身体に危険を及ぼす虞のある危険な事態がある場合においては、その事務の管理者その他関係者に必要な警告を発し、及び特に急を要する場合においては、その事物の管理者その他関係者に対し、危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる権限を有する。さらに警察官は、同法五条によつて、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発し、又、もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及ぶ虞があつて、急を要する場合においては、その行為を制止することができる権限を有する。食品衛生法四条に違反する行為は同法三〇条、熊本県漁業調整規則三二条一項に違反する行為は同法五八条により、犯罪行為として処罰の対象とされており、警察官は、警察官職務執行法四条一項、五条に該当する事態が生じているときは、右各行為者、管理者等に警告、危害防止措置、行為の制止をする職務権限を有している。そして警察官は、前記五要件を充足する緊急事態には、右規制権限を行使すべき義務が発生するものといわなければならない。なお、警察官は、刑事訴訟法一八九条によつて司法警察職員として犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものと定められている。右捜査するか否かは、司法警察職員が犯罪があると思料した場合に捜査が開始されるものであつて、司法警察職員が収蒐資料によつて捜査するのを相当とするとき捜査が開始されるもので個別の国民に対し捜査の義務を負うものではないものといわなければならない。

行政指導

行政指導は、法規に基づかない場合、一般には規制権限に基づくものではなく、行政サービスとしてされるものであるから、行政庁が行政指導するか否かは自由裁量行為であつて法的義務があるわけではないが、通産省等の行政庁は、企業に対し種々の許認可権を有しており、右強大な権限を背景としてなんら規制をなすべき法規が存在しない場合においても、必要とあれば行政指導の名のもとに実質的規制をし、企業等も事実上これを否めず従うのが通例であるから、右のような強大な権限を背景とし企業等に対し影響力を行使しうる行政庁は、前記五要件に該当するような緊急事態にあつては、これに即応し適切な行政指導をなすべき義務が発生するものというべく、右義務を怠り、国民の生命、健康に対する重大な危害の発生を防除しなかつたときには、行政庁が国民から付託された責務に違反し、右違反は作為義務違反となることもありうるものといわなければならない。

(三)  被告国及び同熊本県の具体的作為義務の違反(規制権限の不行使)について

(1) 魚介類の捕獲販売等の禁止の措置をとらなかつた違法

前記事実によれば、

昭和三二年一一月頃には、

①  水俣工場廃水に含まれる有毒物質によつて汚染された水俣湾内の魚介類は、食品衛生法四条二号の有毒な物質が含まれているものに該当し、同法二二条により営業者がこれを販売し、又は販売の用に供するために採取し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列することを禁止する規制権限行使の要件及び右規制権限を行使すべき前記五要件を充足しており、厚生大臣又は熊本県知事は、右規制権限行使の裁量の余地はなく規制権限行使の義務が発生していたものというべきである。なお漁民の採取については、主として販売目的で採取されるのであるから禁止の対象となり、その他魚介類の加工業者、鮮魚商、冷凍業者等の汚染魚介類につき右行為を行う者が当然に含まれる。右規制に対する違反者には、食品、添加物等を廃棄する措置、営業停止、取消し等を命じ、さらに同法三〇条一項、非営業者に対しては同法三一条三号を適用して処罰を求めて実効性を高めることもできた筈である。

②  有毒物質を含む水俣工場廃水の排出によつて水俣湾内の当時の汚穢汚濁は、水産動植物を著しく斃死させる等破滅的な緊急状態に陥つており、熊本県知事が、熊本県漁業調整規則三二条によつて水俣工場廃水の浄化設備の設置を命じる規制権限行使の要件及び権限行使義務発生のための前記五要件を充足する事態にあり、熊本県知事は、右規制権限を行使すべき義務が発生していたものといわなければならない。また熊本県知事が、水俣湾の汚染魚介類を漁獲禁止にするため漁業法三九条一項、熊本県漁業調整規則三〇条一項に基づき水俣湾内の知事許可による漁業権を停止させる規制権限行使の要件及び権限行使義務発生のための前記五要件を充足する事態であり、熊本県知事は右規制権限行使の義務が発生していたものというべきである。なお水俣湾内では、水俣市漁業協同組合が共同漁業権を有しており右漁業権の行使を停止させたときは、漁業権者か否かを問わず漁獲することができなくなり、右に違反する者については、漁業権者は漁業法一三八条三号、漁業権者でない者については同法一四三条による処罰を求めて右規制の実効性を高めることもできた筈である。なお、右汚染魚介類の捕獲禁止に違反する者に対しては、警察官は警察官職務執行法四条一項に基づき取締りをし、警察庁長官等の取締りの枢要な責任者は、部下を指揮してその実効性を高めることができた筈である。

③  厚生大臣又は熊本県知事は、食品衛生法一七条により水俣湾及びその付近海域の沿岸の魚介類を取り扱う営業者その他の関係者から必要な報告を求め、担当係員をして臨検、検査をする等の調査権限を行使することによつて水産動植物の採捕禁止の実効性を高めえた筈である。

④  厚生大臣又は熊本県知事は、水俣湾内の水産動植物が汚染されて有毒化しており、摂食すれば水俣病に罹患する旨の警告を立札、回覧、放送等により反復して周知徹底をさせ、捕獲、販売をしないよう強力な行政指導をすることにより、右規制権限行使の実効性を高めえた筈である。

昭和三四年一一月頃には、有毒物質を含む水俣工場廃水は、アセトアルデヒド、塩化ビニール等の急激な増産が進むと共に排水量も増大して水俣湾及びその付近海域の汚穢汚濁は、魚介類に壊滅的な影響を与え、棲息する魚介類を有毒物質で汚染して沿岸住民の中には生命、健康を害い、水俣病患者が続出し、発生地域も拡大する等して破滅的な事態に陥つていたことから、食品衛生法四条二号、二二条、漁業法六五条、水産資源保護法四条に基づく熊本県漁業調整規則三二条の適用による右①②の水俣湾内の魚介類の捕獲禁止、水俣工場廃水の浄化設備の設置等の規制権限を行使すべき義務があつたことはいうまでもない。なお昭和三一年五月一日、熊大研究班が水俣湾内の汚染魚介類の摂取によつて水俣病が発症する旨の報告をした時点以降は、最早、水俣湾内の魚介類は、論議の余地なく種類を問わず危険性を有していたことは明らかであり、厚生省が昭和三二年九月一一日付公衆衛生局長名でした見解即ち水俣湾内特定地域の魚介類の総てが有毒化しているという明らかな根拠が認められないから、総ての魚介類につき食品衛生法四条二号の適用をすることができないというのは、全く科学的ではなく、殊更右規定の適用を避けようとする意図が窺われ、直ちに右条項の適用をして事態に対処すべきであつたものといわなければならない。昭和三四年一一月頃には、被告国、同熊本県の漁獲禁止等の措置をとる規制権限不行使による作為義務違反は最早明らかである。

(2) 水俣工場廃水の浄化又は排出停止の措置をとらなかつた違法

前記事実によれば、

昭和三四年一一月頃には、

①  水俣湾内に水俣工場がアセトアルデヒド及び塩化ビニール等の製造によつて生ずる有機水銀化合物等の有毒物質を含む工場廃水を排出し続けて汚穢汚濁し、水産動植物は極度に斃死し、さらに右有毒物質によつて汚染された魚介類を経口摂取することによつて沿岸住民に水俣病が続発する等破滅的な緊急事態であつたのであるから、被告チッソ(水俣工場)の行為は、漁業調整規則三二条一項の要件を充足する事態であり、かつ右事態は、熊本県知事が同条二項に基づいて水俣工場廃水就中アセトアルデヒド醋酸及び塩化ビニール各製造工程の廃液の排出行為につき、被告チッソに対し即時有毒物質の除去に必要な設備の設置を命じ、さらに、有毒物質の特定及び設備の設置準備期間中の右製品製造工程の廃液を百間港へ排出することを禁止し、工場内に留める設備をするよう命ずる等の規制権限を行使する要件及び権限行使義務発生の前記五要件を充足しており、右規制権限を行使する義務があつたものというべきである。右規制に違反した場合には、同規則五八条三号による処罰を求めて実効性を高めることもできた筈である。なお右有毒物質除去設備をすることなく有毒物質を含む工場廃水を引き続き排出する者に対しては、警察官は警察官職務執行法四条一項に基づき取締りをし、熊本県警察本部長は、所属の警察職員を指揮して右規制の実効性を高めることもできた筈である。さらに通産大臣又は熊本県知事は、被告チッソに対し有毒物質を含む水俣工場廃水の浄化装置の設置、廃水の排出停止等を強力に行政指導をすることによつて右規制権限行使の実効性を高めえた筈である。

②  工場排水規制法及び水質保全法が全面的に施行された後の昭和三四年一一月頃には、水俣湾及びその付近海域は公衆衛生上看過し難い影響が生じていたのは明らかであるから、経済企画庁長官は、直ちに水質保全法五条一項に基づき少なくとも水俣川河口から水俣湾にかけての水域を指定水域と指定をし、同条二項に基づき右指定水域にかかる水質基準を有機水銀化合物が検出されないことと設定する事態にあり、右規制権限行使の要件及び権限行使義務発生の前記五要件を充足する事態にあつたのであるから経済企画庁長官は、右規制権限を行使する義務が発生していた。さらに、工場排水規制法二条二項に基づき、内閣は、政令で被告チッソの水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設を汚水又は排液を排出する特定施設と定め、かつ同法二一条により通産大臣を主務大臣と定め、同大臣は、同法七条、一二条、一五条等に定められた規制権限に基づき少なくとも水俣工場のアセトアルデヒド廃水及び塩化ビニール廃水を工場外に排出しないよう措置を講ずる義務が発生していたものといわなければならない。しかるに、アセトアルデヒド製造及び塩化ビニールモノマー製造設備のうち内閣が特定施設に組み入れて政令で指定したのは、塩化ビニールモノマー洗浄施設のみであつて、それも昭和四四年三月一三日のことであり、経済企画庁長官が、水質保全法五条一項に基づき指定水域の指定をしたのは、昭和四四年二月三日であつて、その範囲も、水俣大橋から下流の水俣川、水俣市大字月浦字前田五四番地の一から同市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれに流入する公共用水域という狭い範囲であり、水質基準も水銀電解法苛性ソーダ製造業又はアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場又は事業場から指定水域に排出される水の水質基準を有機水銀が検出されないこととして昭和四四年七月一日から実施するというもので、被告チッソが昭和四三年五月一八日にメチル水銀化合物の主要な流出源でありかつ水俣病発生源であつたアセトアルデヒド醋酸製造施設を閉鎖してアセトアルデヒド製造を取り止めた後のことであつた。被告国は、被告チッソが水俣工場における水銀を触媒とするアセトアルデヒド製造部門の閉鎖を待つて右措置をしたとしかいいようがない遅きに失した措置であつた。その間、昭和三四年三月から昭和四四年二月頃までには、不知火海沿岸住民のうち急性劇症型の水俣病患者は二六名、慢性型の水俣病患者は、行政庁の認定によつても一〇〇〇名を超えて発症しており、実際の患者総数はこれを遙かに超えて数万名に及んでいるものと推測される。なお通産大臣又は熊本県知事は、事態が破滅的深刻な状態であることに鑑み、水俣工場就中アセトアルデヒド醋酸製造及び塩化ビニールモノマー製造部門の有機水銀化合物を含む廃液の即時排出停止の強力な行政指導をすることにより右規制権限行使の実効性を高めえた筈である。

第三損害について

原告らは、被告らの犯罪的行為によつて惹起された長期にわたる肉体的、精神的、家庭的、社会的、経済的損害と環境破壊の総てを包括する総被害の一部を本訴において包括一律請求をする旨の主張をする。

しかしながら、不法行為を原因とする損害賠償請求は、個々人が個別具体的に被つた損害の回復を求めるものであり、家庭的、社会的、経済的損害とか環境破壊による損害とかいうが、これらについては本件不法行為との相当因果関係及び個別具体的損害の主張立証がないから、右各損害の主張は理由がない。なお家庭的、社会的、経済的不利益とか環境破壊とかの事情をいうのであれば、精々、精神的損害に反映する事情として考慮されうる事柄であると考える。

そこで本件患者らの損害は、本件患者らが水俣病に罹患したことによつて被つた精神的、肉体的苦痛と、右罹患に起因する家庭的、社会的、経済的不利益その他諸般の事情を総合考慮し、慰謝料の算定をするのが相当である。

前記事実によれば、本件患者らの水俣病の病状は、自覚症状、他覚的所見とも多種多様であつて症度も異なり、その発症時期についても小児期から高年まで幅広く、さらに合併症を有する者もおり、その他本件患者らの置かれた生活環境や職業による日常生活上の支障の程度にも差がある等様々であるが、本件患者らの水俣病の症度については、以下のとおり三段階に類別するのが相当である。即ち(1) 日常生活の機能に著しい障害のあるもの、(2) 日常生活の機能にかなりの障害のあるもの、(3) 日常生活の機能に何らかの障害又は継続した不快感を有するものと類別することができる。そこで本件患者らの事情就中発病年令、発病後の日常生活上の支障が存続した期間、症度及び合併症の有無を総合考慮して慰謝料を原告らの請求金額中別紙「本件患者らの病状及び慰謝料金額等一覧表」の本件患者らに対応する各慰謝料額欄記載の金額をもつて相当とすべきである。なお弁論の全趣旨によれば、別紙相続関係一覧表記載の死亡者である亡釜貞喜、同濱田タケノ、同竹部貞信、同吉中清、同濵﨑初彦、同松田近松並びに同表記載の各相続人(いずれも原告)を除く原告らは、原告ら訴訟代理人らに本件訴訟を委任し、弁護士費用として右認容金額の一割相当の金額を支払うことを約したことが認められ、右認定に反する証拠はない。右弁護士費用は、右死亡者及び右原告らの中行政上水俣病認定を受けた後記五名を除きその余の者が本訴請求を余儀なくされた費用として被告らに請求しうるものとするのが相当である。なお、遅延損害金については、原告竹田フミエ、同吉永文男につき履行期の後である昭和五〇年一月一日、その余の原告らにつき履行期の後である昭和四九年一月一日以降請求しうるものとするのが相当である。

そして<証拠>によれば、別紙相続関係一覧表記載の死亡者(釜貞喜、福田いつ子、古江岩五郎、向政吉、濱田タケノ、竹部貞信、吉中清、濵﨑初彦、西山貞吉、松田近松)については、同表記載の各相続人(いずれも原告)が相続によつて右死亡者の一切の権利義務を法定相続分に応じて承継したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、右各相続人は、右各死亡者の慰謝料請求債権及び亡釜貞喜、同濱田タケノ、同竹部貞信、同吉中清、同濵﨑初彦、同松田近松につき同人らの各相続人が各弁護士費用相当の損害金請求債権を各法定相続分に応じて承継したものというべく、結局原告ら全員に対する認容すべき各金額は、別紙認容金額一覧表記載の各原告らに対する各認容金額欄記載の各金額となる(但し、計算において生じた円未満は切捨てることとする。)。

次に原告松田政行、同橋口三郎、同澤田友喜、同伊藤シズヲ及び同伊藤フジの五名は、本件訴訟中熊本県知事等から水俣病に罹患している旨の行政上の認定を受け、右認定後被告チッソが補償協定に基づく補償金として原告澤田友喜に一七〇〇万円、その余の者に各一六〇〇万円を交付したことは右原告ら五名の自認するところであり、右原告ら五名につき水俣病による精神的、肉体的苦痛に前記諸事情を総合して考慮した慰謝料及び遅延損害金は、右補償金をもつて弁償されているものとみるのが相当であるから、結局右原告ら五名の被告国及び同熊本県に対する本訴請求は理由がないものといわねばならない。

第四結論

そうすると原告らの中右五名を除くその余の原告らの請求は一部理由があるからこれを認容すべく、その余の部分及び右原告ら五名の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、八九条、九三条を、仮執行宣言及び担保を条件とする仮執行免脱宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官相良甲子彦 裁判官吉田京子 裁判官草野真人)

別紙相続関係一覧表<省略>

請求金額一覧表<省略>

本件患者らの病状及び慰謝料金額等一覧表<省略>

別表一ないし二七<省略>

別表図面一ないし一四<省略>

別紙

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